口紅

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口紅

 湊は賢治の不倫行為は確定だと考えた。落ち込む菜月の横顔を眺めながら、賢治への嫌悪感と怒りが込み上げて来た。 (このまま曖昧にするなんて絶対に許さない)  菜月が望めば協議離婚、慰謝料請求、財産は(びた)一文渡さない。何より郷士が許す筈が無かった。四島工業(賢治の実家)にも愚かな息子の尻拭いをして貰わなければならない。  その時だった。エントランスのインターフォンが鳴り二人は飛び上がって驚いた。「ちょっと待って」立ち上がろうとする菜月を制し、湊が対応呼び出しボタンを押した。来訪者は郵便局員だった。路肩には郵便局の赤い軽自動車が停まっている。 「綾野さん、小包をお届けに参りました」  確かに手には白い小さな箱を持っていた。 「すみませんが周りに誰かいますか?」 「管理人さんならいますが」 「分かりました。今、開けます」  その慎重さに菜月が驚いていると湊は「また如月倫子が来るかもしれないからね」と険しい顔をした。 「そうなの?考えすぎじゃない?」 「不倫相手の家に上がり込むような女だよ、なにをするか分からないからね。菜月もこれからは気を付けてよ」 「分かった」 ピンポーン  部屋のインターフォンが鳴った。モニターを覗くと先程の郵便局員で間違いなかった。「印鑑お願いします」「はい」「ありがとうございました」手渡された小包はとても軽かった。そして送り主の名前を見た湊は顔色を変えた。 「菜月、如月倫子からのプレゼントだよ」 「えっ!」  狼狽する菜月をソファに座らせた湊は「刃物でも入っていたら大変だからね」とカッターナイフを使い慎重に箱を開いた。中には梱包材に包まれた黒い小指大の物が入っていた。 「それ、なに?」 「口紅だよ」  湊が金色のスティックを回転させると深紅の口紅が顔を覗かせた。それは使用済みで唇のカーブを描いていた。 「や、やだっ!」  伝票には送り主の名前とご丁寧に”きさらぎ広告代理店”の住所が記入されていた。 「湊、この電話番号、賢治さんの携帯電話番号だわ」 「それにしても、なんでここの住所がわかったんだろう」 「賢治さんが教えたのかも」 「まさか、わざわざ不倫相手に自宅の住所を教えるとは思えないな」  しばらく考え込んだ菜月は「あっ!」と腰を上げチェストの引き出しをガタガタと開けた。酷く慌てているらしく手元が覚束(おぼつか)ない。 「み、湊これ!」  菜月が取り出したのは往復はがきの片割れで桜色をしていた。 「高等学校同窓会」 「賢治さん、最初は興味なかったみたいだったのに、裏返した時、表情が変わったの!」  裏返したそこには、 とあった。如月倫子は卒業者名簿でこの住所を知ったのかもしれない。高等学校の同窓会は3ヶ月前に開かれていた。賢治と如月倫子の関係はこの頃から始まっていたと推測された。 「菜月、残念だけれど賢治さんは不倫をしている」 「そうみたいね」 「この後どうするかは菜月が決めるんだよ。決まったら連絡して」 「分かった、湊、ありがとう」  その時すでに、湊を見上げた菜月の涙は乾いていた。  
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