私の庭の青い芝

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 その後は、ひたすら荷ほどきをして過ごした。  せっかくリフォームしたのだからと持ち物を厳選したこともあり、日が暮れるころにはほとんどの荷物が片付いていた。潰した段ボールをまとめると、くたびれ果てた体が休息を求める。ソファにもたれかかり、放置していたスマートフォンを手に取った。  昼過ぎにSNSに投稿した段ボール山の写真に、友人からのいいねがついている。逆に彼女たちの投稿を確認すると、連休中ということもあり母親業に追われているようだ。テーマパークの耳付きキャップをかぶる少女に、ライフジャケットを着て川遊びをする少年。今度は私がいいねを返す。  最後にDMを確認すると、拓海(たくみ)からのメッセージが届いていた。 『引越しは順調? 落ち着いたらお祝いしよう』  反射的に返事を打ちかけ、手が止まる。少し考えたあと、私はスマートフォンを放りだしてソファに寝転んだ。  拓海とは一年ほど前に、マッチングアプリで知り合った。私より三歳年下で、「瑛梨(えり)ちゃん、おれの姉と同い年なんだね」と言われたときには鼻白んだものの、末っ子らしいふわりとした空気感と、最初のデートでさりげなく苦手な食べ物を聞いてくれる気づかいに好感を持った。管理職をしていると、男性の同僚と議論になることも多い。ただただやわらかい拓海との時間は、癒しだった。  そんな拓海が、中古住宅の購入を考えていると話したとき、珍しく眉をひそめた。 「持ち家なんて、必要なくない?」 「必要っていうか……どうせ家賃を払うなら、自分好みにカスタマイズした空間に住みたいと思って」 「でも、なんで今? これまでそんなこと言わなかったのに」 「それはまあ、私もいい年だし。ローンを組むなら、若いうちがいいでしょ」  私の答えに、拓海は目に見えて警戒するような表情を浮かべた。「まあ、決めるのは瑛梨ちゃんだけど……」  安心して。と、つい言いそうになった。これは駆け引きなんかじゃない。あなたに結婚を迫っているわけじゃないから。  拓海は私の機嫌を読むのがうまい。二人の感情が衝突しそうなときは、いつも自分から避けてくれる。一方で、その気づかいは、より深い関係に踏み込むことへの拒絶でもあると思った。  それでも、私は彼との交際を選んだ。家を買ったことも、一つの選択だ。三十代に入って、やたら選択を迫られる一時期があった。結婚するのかしないのか。子どもは産むのか産まないのか。私は自分なりに重ねてきた選択を、恥じてはいないつもりだ。選択の末、得られたものもたくさんある。  けれど、歳を重ねるにつれて選ばなかったものの重みもまた、感じるのだった。例えばスカートの陰からのぞく瞳。『きらきらぼし』のまたたく手のひら……。
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