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高橋さんが振り返って私を見る。頭の中で言い訳をこねかけていた私は、本音を吐き出すことにした。
「私じゃ、参考にはならないと思うんです。……独身だし」
口に出せば、続きはすらすらと出た。
「学生は、特に女の子は、働きながら結婚や出産を両立できる会社っていうのを求めてると思うんです。今はその予定が無くても、将来の選択肢を狭めたくはないじゃないですか。だから、アピール材料として私は、向いてないんじゃないかなあと。まあ、そう思うわけで」
おかしなことを言っているわけではないのに、なぜだか胸がさわさわする。高橋さんは否定も肯定もせず、「そう……」と息をついた。
「わかった。じゃあ、他の候補者を当たってみるね」
「長尾さんはどうでしょう」私は部下の男性社員を挙げた。
「去年、半年の育児休暇を取ってます。男性も育休を取っている職場だということは、女子学生にとってもポイントになると思います」
「なるほど、考えてみる」
高橋さんがうなずく。それでこの話題は終わりという雰囲気になった。
「新居は庭つきなんだっけ。どんな感じなの」
「一度まっさらにしましたけど、もう草が生えはじめてます。芝みたいな」
「芝? それならいいけど……」
高橋さんは、世話焼き部長の顔を取り戻して言った。
「雑草ならさっさと抜いたほうがいいよ。放っておくとすぐに手がつけられなくなるんだから」
のんびり話をしていられたのはそこまでで、始業後は全てが慌ただしく動きはじめた。
連休中に実施されたメンテナンス作業の確認に、次回計画の立案。以前から仕込んでいた新規案件も次つぎに成立し、人繰りを考えなければならない。他にも部下との面談や新しく導入されたシステムの説明会など、スケジュールアプリに隙間なく詰め込まれた会議に出席していると、個人的な業務のほとんどは残業時間に回すことになる。遅い時間に退社し、駅近くの蕎麦屋で夕食をとって帰宅する日が続いた。
「ただいまー」
せっかくの新居も、よそよそしさの抜けないまま二週間ほど経っていた。荷物を置き、リビングの照明を点け、ソファに沈み込む。ついでにテレビのリモコンに手を伸ばしかけ、この日は思いとどまった。今日はもう、刺激はいらないなと思う。
少し考えて、私はソファから立ち上がった。窓辺に歩み寄り、閉めっぱなしのカーテンを開く。
月あかりの下で、庭がざわめいている。草の芽は、庭一面に広がっていた。
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