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私は裸足のままテラスに出て、拓海の肩をつかんだ。
「ちょっと、やめて。呼び込まないで」
「瑛梨ちゃん猫は嫌い?」
「そういうことじゃない、とにかくやめて」
野良猫への餌やりは、マンション規約で禁止されている。だが規約よりなにより、ただ来ないでほしい。『庭』へ立ち入ってほしくないのだ。
私の剣幕に、拓海はふにゃりと脱力するような笑みを浮かべた。
「しょうがないなあ」
酔いのせいか、少しすねたように言う。拓海はゆっくり立ち上がると、手に持った干物を、あろうことか前方に放り投げた。干物は擁壁のへりにぶつかり、跳ね返って芝生の中ほどに落ちた。
「やだ! やめてよ!」
私の大声に驚いて、猫はあっという間に走り去った。拓海も目を丸くして振り返る。
「ちょっと、どうしたんだよ」
「どうしたじゃない、私の庭にゴミを捨てるなんて!」
「声が大きいよ。部屋に戻ろう」
腕をつかんで押し戻される。拓海は片手でもがく私を押し留めながら、反対の手で掃き出し窓を閉めた。
「瑛梨ちゃん落ち着いて。ごめん、悪かったよ」
「ゴミを、ゴミを探さないと……」
「もう暗いから明日にしよう? 明日の朝、おれが探すからさ」
子どもをあやすような口調で言う。あの庭は私のものなのに。私そのものなのに。
「……帰って」
「だから、ごめんって」
「いいから帰って」
力任せに肩を押す。拓海の体は一瞬こわばったが、すぐに自分から一歩下がった。
「帰れって、今? 本気で言ってる?」
穏やかな口調でたずねてくる。決して語気を荒げず、けれど無茶を言っているのは私の方だとわからせるように。こんなときでも、衝突を避けようとする彼の言動が嫌でたまらなくなる。そして、そんな風に好きだった人の嫌なところばかり見てしまう自分が嫌だった。
「……わかった。また連絡して」
彼が出ていくや否や、私は庭に戻った。サンダルの硬い凹凸で柔らかい草を踏みにじるのが怖ろしく、裸足のつま先をそっと踏み入れる。
「ない……」
スマートフォンの明かりを頼りにあちこち探しまわるが、干物の小さな切れ端を見つけることはできなかった。柔らかい草の葉の間に挟まった異物を想像すると、自分の胸にもなにかがつっかえているような気がする。あきらめて室内に戻ったものの、その晩はよく眠れなかった。
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