きゃとるこみゅにけーしょん

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「……星河さん?」  叔父の牛舎にいた不審者の正体は、転校してきたばかりの美少女だった――。 * 「職員室にすっごく綺麗な子がいたよ!転校生なんだって!」 「へぇー」  登校するとどうやら都会から来たらしい転校生の話題でクラス内は話題は持ちきりだった。田舎の学校だし多感な高校生だから仕方がない。新しい刺激があれば存分に楽しみたいのだ。しかし今は7月の半ば、もうすぐ夏休みになる。不思議なタイミングで転校してきたものだなぁ。 「えぇ、興味無さそう。つまんないの」 「牛も人間もストレスを感じないように落ち着いて過ごすのが一番だからね。私は転校生ごときではしゃいだりしないのだよ」 「なぜ牛」 「あの味を知らないのかな?知っていたらリスペクトするしかないよね」  うんうん、と満足気に頷いていたらクラスメイトは引いていた。私の叔父は近所で和牛を育てている。幼い頃に叔父の育てた和牛を食べさせてもらったその時から、牛に対して敬意を払うようになっていた。私はあの和牛の味の衝撃を越える出来事に、あれから出会っていない。 「和香は牛のことすら言い出さなければねぇ……でも別に継ぐつもりはないんでしょ?」 「食べるの専門だから」 「リスペクトしてる割に楽してるねぇ……あ!転校生来たっぽい!」  先生が教室に来て騒がしかった生徒たちはバタバタと自席へと戻って行った。先生の後ろについて来ていた私たちと同じ制服を着ているのにまだ馴染んでいない転校生は、話題にされていた通り、とても綺麗な女の子だった。艶やかな長い黒髪をなびかせ、教室の前に立つ姿は凛としていて美しい。露骨に色めき立つクラスメイトたち。 「初めまして、星河宙です。よろしくお願いいたします」  まるで舞台で挨拶しているかのような華やかさと上品さが星河さんにあった。お金持ちのお嬢様だったりするのかな。はしゃいだりしないとか言ったけれど、この田舎では感じられない雰囲気を纏った転校生に少し興味が湧いていた。  休み時間になる度に星河さんの周りは人だかりが出来てしまい近づく隙もなかった。まぁそのうち落ち着いて話すことはできるだろう。気長に待とうと思っていた私は、思いがけず彼女との関係が急接近することを、そしてあの和牛の味の衝撃を超える出来事に出会うことを、この時の私は微塵も予想していなかったのだった。 *  翌日。学校は休みで家でダラダラとスマホをいじりながらソファに寝転んでいたら母親におつかいを頼まれた。野菜をお裾分けして来てと言われ渋々叔父の家へと向かう。家に居た叔母に野菜を渡し、牛舎で仕事をしている叔父の様子を見に行った。牛舎から物音が聞こえたから声をかけてみる。 「叔父さん?いる?和香だよー……叔父さん?」  牛舎の中で明らかに牛ではない歩いている人の気配を感じたのに返事がない。まさか不審者?いやでも、こんな牛しかいない場所に入ったって……和牛はお金になるけど、盗むなら近所の肉を卸している精肉店の方が……ってそんな話ではない。  近くにあった大きなフォークのような農具を掴み、恐る恐る物音がする方へと近づき、思いっきり農具を振り上げる。ごめんね牛さんたち、驚かせて。でもキミたちを守るためなんだと心の中で言い訳しながら、叫んだ。 「誰っ⁉」  するとそこにいたのは、和牛を興味深そうに眺めている制服姿の星河さんだった――。   「星河さん?な、なんでこんなところに?」 「あ……えっと、教室で見た……」 「あ、荒井和香です。同じクラスの。よろしくお願いします……じゃなくて!」  余程牛を見るのに集中していたのか、近くに来て叫んだことで、ようやく私のことに気が付いたようだった。キョトンと可愛らしい顔をした後、私の顔を見て指を刺し、思い出そうとする素振りを見せたから、つい自己紹介してしまった。 「和香ちゃんは何をしているの?」 「いやこっちのセリフ!ここは私の叔父さんの家だから……迷って入っちゃったの?ダメだよ勝手に入ったら。あ、あと絶対牛には触れちゃダメだからね!外部の菌とか入ったら大変なことになるんだから!早く出て!」 「菌?……大丈夫。私は宇宙人だから、菌なんて体に住み付かないよ」 「……はい?」  すぐに「和香ちゃん」と呼んでくるなんて意外とフレンドリーなんだ……って思っている場合じゃない。今、なんて言った? 「う、宇宙人?」 「あ、しまった」 「しまった?……と、とりあえず、ここ出て!」  星河さんの言っていることに全く頭が追い付いていないけれど、急いで星河さんの腕を取って、一旦牛舎から連れ出した。白くて何の力仕事も出来なさそうな細い腕。少し日に焼けて黒くて牛の世話を手伝ったせいで太くなった私の腕と対照的だ。 「――麦茶で良い?」 「うん、ありがとう」  叔父の家に侵入した理由を聞くためにも、そのまま返すにも行かずに自宅へと招いた。物珍しそうに私の部屋を眺めているから少し恥ずかしい。都会の女の子との部屋とは何か違うのだろうか。 「それで?えーと……ツッコミどころが多いんだけれど、とりあえずどうしてあんな所に?」 「キャトルミューティレーションをしたくって」 「キャ、キャト?……な、何?なんて?」 「知らないの⁉」  星河さんは突然コップの置いてあるミニテーブルを叩くと身を乗り上げ、私の顔の近くまで顔を寄せて来た。ち、近い。美人のアップ、強面とは違った圧がある。 「え、ご、ごめんなさい……都会で流行ってるとか?」 「そうなの⁉最先端ね!」 「いや知らないけど」  さっき牛舎で見た時から思ってたけれど、星河さんはふわふわしているというか天然なのか、なんだか会話が噛み合ってないような。 「それで、そのキャトルなんとかって何?」 「キャトルミューティレーション!ほら!これ!」  ミニテーブルから離れ、星河さんが見せてくれたスマホの画面には、宇宙船にさらわれる牛の絵と、その下に説明文があった。 「あ、そういう絵、見たことある!えっと……動物の死体が内臓や血液を失った状態で見つかること……え、こわっ!……え?これするって何⁉どいういうこと⁉」 「せっかく宇宙から来たし、サービスで見せてあげようかと思って!」  星河さんは無邪気な子どものように両手を挙げ、目をキラキラとさせながら嬉しそうに言ってくる。いや何言ってんの? 「いや何言ってんの?」  思ったことが真っすぐ言葉になっていた。防衛本能だろうか、牛舎で聞いた自称宇宙人という理解できない言葉を聞かなかったことにしていたというのに、星河さんは私を畳みかけるように不思議なことしか言ってこない。   「今回は侵略の下見の為に地球に来たのだけれど、初めて見た牛に見惚れちゃってつい、正体バラしちゃった。内緒にしてね、和香ちゃん」 「ほぁ?……ふ、不思議ちゃんってことでOK?」 「不思議ちゃんってなぁに?宇宙人だって言ってるでしょう?あ、あと、地球人と仲良くなったってお父様に報告したいから、私のことは宙ちゃんって呼んでね」 「は、はぁ……わ、分かりました……よろしく宙ちゃん……」  前に動画でド派手で個性的な格好をした人が東京には居るって見たし……こういう不思議な人が居るのも都会ではあり得るのかな……私は無理やりこの状況を自分に納得させることに――。 「いや出来るかぁっ!!」 「わぁ!どうしたの、急に大きな声を出して」 「いやいや、侵略って何?さっき牛舎にも勝手に侵入してたし、何かここで悪さでもするつもり⁉」  格闘技なんて習ったこともないけれど、適当なファイティングポーズを決めて宙ちゃんと対峙する。宙ちゃんは私のへんてこな動きを楽しそうに眺めている。 「ふふ、私と戦うの?アブダクションしちゃうよ?」 「また新しいこと言う!もう、何それぇ⁉」  私はスマホをいじって『アブダクション』を検索する。アブダクションとは……「宇宙人がUFOで人間や動物を連れ去る行為」のことだそう。 「何だそれ⁉ダメです!さっき地球人と仲良くするって言ってたでしょ!嘘つき!」  というか、そんなこと出来る訳なくない?そもそもなんで私は自称宇宙人の話を信じているのか。私は一転して宙ちゃんに対して強気に出てみた。 「はっ!そもそも宙ちゃんが宇宙人だって証拠がどこにあるの⁉アブダクション?とやら、やってみなさいよ!」 「え?いいの?……じゃあ、ちょっと待ってね」 「え?出来るの?」  私の言葉に何の躊躇もなく宙ちゃんは立ち上がると手を真っすぐと天井へと伸ばし、掲げるようした。すると途端に窓の外が眩しいほどの光で溢れた。 「な、何⁉何してんの⁉」  慌てて窓を開けると、私の家の上空に大きな銀色の円盤状の物体から光が降り注いでいた。 「ちょちょちょ待って!!ごめんなさい!!アブダクション止めて!ストップ!プリーズ!」 「えぇー?せっかく呼んだのに」  不満そうな宙ちゃんが渋々と手を下げると私の家を包んでいた光が無くなり、上空に居た謎の飛行物体も無くなっていた。 「あんなの近所の人に見られたらどうすんの!」 「大丈夫、和香ちゃんにしか見えないように細工をしてあげたよ」 「お気遣いいただきありがとうございますぅ!!」  ごめんなさい、仲良く二人で買い物へと出かけたお母さんお父さん。あなた達が留守の間に、我が家に気が利く物騒な宇宙人を招いてしまいました。 「――えーっと……で、その、侵略っていうのはいつ頃するとか、決まっているのでしょうか」  この得体の知れない宇宙人のことをもっと知る必要がある。私は勝手に地球人を代表して取り調べを試みた。 「特に決まっていないけれど……まずはキャトルミューティレーションをしたいなぁ」 「そのこだわり何なの……ってかさぁ!あれどんだけ高級な和牛だと思ってんの⁉血ぃ抜いてそのままだっけ⁉もったいない!最っ低だよ!」  突然私が目の前の机をバンバンと叩きながら責めてきたことが予想外だったのか、宙ちゃんは面食らったようだ。シュンとして落ち込む姿を見て可愛いと思ってしまった。物騒な子だけれど、感情表現は豊かで、特に顔は本当に綺麗なんだよなぁ。私は慌てて宥めるように声をかけた。 「あぁーごめん、ごめんね。強く言い過ぎたね。そんな落ち込まないでよ。そ、そうだ!実際味わってみたら良いよ。ちょっと出かけてくるから待ってて!」 「うん?よく分からないけれど、いってらっしゃ~い」  笑顔で手を振る宙ちゃんに見送られ、私は和牛にキャトルなんとやらをするのが如何にもったいないことなのかを知らしめる為、宇宙人に和牛の素晴らしさを伝えるべく駆け出した。コイツ何言ってんだとお思いの皆さん、私も同じ気持ちです。 「――ただいま!お待たせぃ!」 「おかえりなさい。それはなぁに?」 「これが叔父さん自慢の和牛じゃい!」  精肉店でお小遣いをはたいて少しだけ買って来た和牛切り落とし。切り落としだから安価だけれど味に間違いはない。高いものを買わなかったのは、決して買えなかったのではなく、私には作戦があったのだ。本当です。地球の運命がかかっているのに、ケチった訳じゃないです。 「……ど、どうでしょうか」  買って来た和牛の切り落としは適当に火を入れて適当に塩をかけて宙ちゃんに食べてもらった。家の適当な皿に彩り鮮やかな付け合わせすらなく無造作に置かれたお肉は見栄えが悪い。だがもう一度言おう、味には問題ないはずだ。そして良いお肉にはシンプルに塩で味付けが一番なのだ。しかし宙ちゃんの口に合わなかったらどうしよう。ドキドキとしながら宙ちゃんがお肉を口に運ぶ一挙手一投足を見つめ続けた。 「……美味しい」 「え、ほ、本当⁉」 「美味しい……なんでしょうこれは、お塩だけだからこそ肉の旨味が引き立てられて、肉の脂までもが甘く感じられるような……そしてあっという間に舌でとろけてしまった……」 「……宇宙人って食レポできるんだね」  宙ちゃんも私と同じように和牛の美味しさに感動しているようだった。まさか宇宙人とこの感動を共有できるとは思っても見なかった私は嬉しくなって、この子と仲良くなりたいと思い始めていた。宙ちゃんはその後すぐに残っていた肉をあっという間にたいらげ、まだ食べ足りない顔をしていた。 「こんなの、知らなかった!地球人の教科書には載ってなかったよ!」 「ち、地球人の教科書?」 「地球人についての入門書!来る前にたくさん読んだのに!」 「そんなのあるんだ……まぁいいや……それより!どう?最高でしょ?和牛!だからあれ、何だっけ?キャトル何とやらはダメ!分かった?」 「うん!」 「よし!じゃあついでに侵略も止めてくれる?」 「それはヤダ」 「ぬぅっ!」  どさくさに紛れてお願いしたらあっさり断られてしまった。頭を抱える私を笑って面白がる宙ちゃん。もしかして私、宇宙人におちょくられてる?   「でもさぁ!侵略したらもう和牛も食べられなくなっちゃうよ!」 「どうして?宇宙人だって飼育出来ると思うよ」 「甘いっ!どれだけ牛さんたちが大事に育てられてると思ってるの?侵略なんてしたら牛さんたちにも絶対ストレスかかるよ。そしたらこんなに素晴らしいお肉は生まれないんだからね!」 「そっかぁ……それは困るなぁ……こんなに美味しいのに」  宙ちゃんの顔に迷いが見え始めていた。よし、イケる。もう一押しだ。 「でしょ⁉……それに怖ろしいことに、宙ちゃんが食べたお肉は、まだまだ和牛の美味さの始まりでしかないのだよ」 「どういうこと?」 「これはね、切り落としなのだよ……牛さんにはもっとたくさんの部位があって、さらにはランク付けまであるの……宙ちゃんが食べたお肉はなんと……Bランク……上にはまだまだA1から最高ランクのA5まで後五段階も上のランクがあるわけだ……言っている意味がわかるかな?」  叔父さんいわく、美味しさとランクは関係ないらしいけれど、そこは今は置いといて、と。宙ちゃんの喉がゴクリと動いた。生唾を飲み込んで私の話に聞き入っている。そう、私の作戦とは、宙ちゃんに和牛の美味しさを少ししか教えないことによって、ひとまず侵略のタイミングを遅らせることだった。宙ちゃんの様子を見ると、とりあえずは和牛の美味しさを味わい尽くすまでは、侵略を待ってくれそうな気がする。だって――。 「そして料理をしたのは素人の私だ……つまり、一流の料理人に調理されればその美味しさは無限大――って宙ちゃん!よだれ!大変なことになってる!」  急いで大量のテッシュを掴んで宙ちゃんの緩み切った口へと押し当てる。綺麗な顔が台無しだ。 「ほ、ほら!想像しただけでヤバいでしょ⁉じゃあ、一旦侵略は保留にしない?」 「……仲良くなった和香ちゃんのお願いなら、仕方がない……よね」 「うんうん!そうだよ、ありがとう宙ちゃん!……これからもっと仲良くなって、私と一緒に和牛を味わう生活をしようじゃないか!」 「うん!」  ビシッとカッコよく宙ちゃんへと手を差し伸べた。満面の笑みを浮かべる宙ちゃんは私の手を取り強く握った。叔父さん見てください、和牛が地球を救いそうです。ウチの和牛は地球を救う美味しさです、と営業したらどうでしょうか。 「ねぇねぇ和香ちゃん、どうやったらそのA5ランクの和牛が食べられるの?」 「え?んー、まずはお金がねぇ……お店で食べるなら最低でも2万円は欲しいよね。でも都会で食べたいし、移動とか含めたらもっとかかるなぁ……そういえば宙ちゃんってお金どうしてるの?」 「……生活費以外のお小遣いは少ないの」 「宇宙人って堅実なんだね……もうすぐ夏休みだし、一緒にバイトでもする?」 「バイトッ……教科書に載ってた!やってみたい!」  教科書というのはさっき言っていた地球人の教科書だろうか。宙ちゃんは純粋無垢な子どものように喜びで肩を揺らし、目をキラキラと輝かせて私を見つめてくる。か、かわいいじゃねぇか。 「よし決まり!宙ちゃんにはどんなバイトが良いかなぁ?」 「んー……和香ちゃんのオススメが良い!」 「えーじゃあ――」  夏休みが終わる頃にはきっとバイトで貯めたお金で宙ちゃんと一緒に美味しい和牛を食べている事だろう。そうしたら宙ちゃんは再び地球侵略を視野に入れてしまうかもしれない。そんな結末にならないように私は今からどうやってこの可愛らしくて物騒な宇宙人を説得しようか考え始めていた。大きな夏休みの宿題を抱えてしまった私は地球の運命を背負ったドキドキと、宇宙人との友情を育むワクワクで胸がいっぱいになっていた。  小さな田舎の町で今、宇宙規模の忘れられない夏が、始まる――。
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