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01
「あの扉の向こうには何があるんだろう?」
ボクの呟きに、カヲリはいつものように笑う。その弧を描く唇には、ピンクのラメ入りのルージュ。その蠱惑的な色艶に、ボクの心臓が高鳴る。
・・・・・・
ボクの名前はイカサ。カヲルが言うには、14歳になったばかりなのだそうだ。そんなボクの世界を紹介しようと思う。まずは白い部屋について。ボクが生活する全てがここに詰まっている。トイレにバスルーム。他には中央に四角い簡素なテーブルとニ脚の丸椅子。部屋の隅には寝具。そして一台の青いカプセル型のソファー。
これがボクの世界の全てだ。
ボクの世話をずってしてくれている女性がいる。名をカヲルという。彼女はとても魅力的な女性で、ボクは彼女と話すのが好きだ。
彼女と過ごしてきた穏やかな日々に満足している。
ボクが知る世界は、全てカヲルが教えてくれた。
そんなボクと外の世界を隔てる一枚の鉄のドアがある。”隔絶のドア”と呼んでいる、そのドアをカヲルは朝と夕のニ回出入りする。
彼女と過ごせる時間は、食事時間を含むと四時間ほどだ。その時間は何よりも心が弾んだ。そんな彼女に”隔絶のドア”の先にある外の世界のことを聞くと、彼女は少し困った顔をしながら「今のあなたには必要のないことだから」と、はぐらかされてしまったことがある。
そんなボクだが、ずっと幼い頃に好奇心で”隔絶のドア”に近づいたことがあった。ドアに近づいた途端。身体にビリリっと、激痛が走ったのを覚えている。ボクはすぐさまベッドに戻り、それ以来ドアには近づかないようにしている。
カヲルは時々、ボクに試験を課した。妙な図形の問題だったり、数字の問題だったり。その内容は様々だった。カヲルは試験の結果を教えてはくれなかったが、一度だけ「イカサはとても頭が良いのね」と、褒めてくれたことがある。ボクはそれがとても嬉しかった。
ボクには、自分自身でも自覚できるほどの、空想癖がある。空想の内容は、カヲルが時折持ってきてくれた小説やマンガの主人公になるというものだった。ボクは特にアクション物が好きだ。
カヲルが夕食を持って帰った後。一人ベッドで寝そべると、頭の中を空想が飛び交う。ボクはその時間が楽しかった。
この楽しみは、ボクの数少ない秘密事だ。カヲルに知られるのは何だか恥ずかしかったから。
それからボクの部屋の隅にある、カプセル型のソファーについても話そう。色は青色で、人が一人ゆったり背を預けて眠れるぐらいの大きさがある。
ある朝、朝食を持ってきたカヲルにボクは尋ねた。
「カヲル。あのカプセル、そろそろ入ってもいいかな?」
カヲルは四角い簡素なテーブルの上に、パンやシチュー。ハムやベーコンといった食事が載ったトレーを置く。そしてボクをじっと見つめ返してくる。その様子に、ボクは慌てて答える。
「ずっと前に言ったじゃない。ボクが大きくなったら中に入って遊んでもいいよって……」
「そうね。そんなこともあったわね」
カヲルの答えに満足したボクは、続けて尋ねる。
「あれは、筐体式のゲームなんでしょ?」
ボクの質問にカヲルが無機質に答える。
「えぇそうね。そんなに遊びたい?」
「うん。ゲームって漫画の中でしか出てこないからね。興味があるんだ」
ボクは、ついつい言葉に熱がこもるのを感じながらも話す。そんなボクにカヲルは「明日まで考えさせて」と簡素に答えた。
その日の夕方。いつものように夕食を食べた。カヲルが空になった皿が乗ったトレーを手に、”隔絶のドア”に向かう。ボクはカヲルを追いかけた。返事が貰える明日が待ち遠しかったからだ。
「カヲル!」
「こっちへ来ては駄目よ。イカサ」
カヲルの硬質な声がボクを止める。
「……うん」
”隔絶のドア”
カヲルはボクに、そのドアの行き来する方法を絶対に見せようとはしなかった。
ボクも忠告されているから、肩を落としてすごすごと部屋に戻る。あのゲームで遊べるかはカヲルの気持ち次第だから、機嫌を損ねるわけにはいかない。
時間の経過とともに徐々にボクの好奇心が増していく。その夜はいつまで経っても眠れず、ボクはベッドの脇に重ねられている、幾つかの小説の中から、読みかけの本を取り出した。
小説の中では、ちょうど主人公がライバルという存在と戦って勝敗を決めるというシーンだった。
一通り目を通た後、ゆっくりと本を閉じたボクは、ベッドの中で目を閉じる。
明日の朝。カヲルがやってくるまでじっくり眠ろう。全てはカヲルの返事次第なのだから。
・・・・・・
「イカサ。起きて。イカサ」
空調管理された白い部屋のベッドの上で、イカサは寝返りを打った。
「ゲームの許可が下りたわ。今日から一日中遊べるわよ」
許可? ボクは夢うつつの中で、その単語に違和感を覚えたが、しかしすぐにゲームという言葉が浮かぶと、その違和感は何処かへ飛んでいった。
慌ててベッドから起き上がる。そんなボクにカヲルは心配そうにボクを見つめる。
「目にクマができてるわよ。昨日は眠れなかったの?」
ボクはカヲルに正直に打ち明ける。
「うん。ゲームのことばかり気になってね」
「そう」
ボクは、カヲルの顔に一瞬、影が差したような気がしたが「イカサが喜ぶと思うと、わたしも嬉しいわ」と言って、笑うカヲルの顔を見たボクは、そのことをすぐに忘れた。気のせいだったのだろう。
ボクが完全に起き上がるとまず朝食。目の前に座るカヲルの表情を真っ直ぐ眺めながら、ボクは黙々と食事を摂った。今日はオレンジジュースとロールパン、それにハムエッグとサラダ。いつもとそんなに変わらないメニューだったが今日は何だかそれも美味しく感じた。
ソワソワと落ち着きなく食事を摂る、ボクをカヲルが眺めている。そんなカヲルに食事を終えたボクは「もう遊んでもいい?」かと尋ねる。カヲルが姿勢を正して話し出す。
「ええ。でもその前に、知っておいて欲しいことがあるの」
「なに?」
「初めは世界の広さに色々戸惑うかもしれないけれど、次第に慣れてくると思うわ」
「うん」
「それと、カプセルに一度入ったら、目的を達成できるか、ゲームオーバーになるまで完了にならないから注意してね」
ボクはカヲルの注意に、自分が興奮していくのがわかった。否が応でも気持ちが高ぶってくる。
「とにかく始めてみないことには、ゲームの内容はわからないの。私もあまりよく知らなくて……」
そうしてボクとカヲルは立ち上がると、部屋の隅にある青いカプセルへと移動した。
ボクは思った。あの青いカプセルの中には、どんなストーリーが待っているのだろう。今にも飛び出しそうな心臓の動悸を、ボクは拳を作りそれを胸に当てて深呼吸を繰り返して抑えた。
「じゃあ、行ってらっしゃい。イカサ」
そう言ってカヲルは、腕時計の時刻をちらりと確認した。その様子を見たボクは、カヲルに「楽しんでくるよ」そう言って開閉ボタンを押す。開いたカプセルの中には、革張りのソファーがあるだけだった。
ボクはカヲルに質問する。
「カプセルの中には、ボタンも何もないよ。どうやってキャラを操作するの?」
「自分の身体を動かすのと変わらないわ」
「ふーん。わかった。ゲームを失敗したらどうなるの?」
「特に何もないから安心して」
「うん。わかった……」
ボクは初めて遊ぶゲームがどんな内容かが気になって仕方がなかったので、さっさとカプセルのソファーの中へと乗り込む。
すると、カヲルが操作したのか、カプセルの蓋がゆっくりと閉まっていく。外からボクをじっと眺めるカヲル。ボクは彼女に平気だよと手を振った。
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