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「なんかいい匂いがするけど、なに?」
店を閉めて、庭を挟んで隣にある家屋に戻ってきたアキさんは、先にくつろいでいた僕の顔を見るなり訊いた。
「それ」
買ってきたばかりのリードディフューザーを顎でさす。
「ブランデー?」
「みたいに見えるディフューザー。CALVADO’Sの香りを表現しているらしいよ」
※フランスのノルマンディー地方で作られる林檎を原料とする蒸留酒。ブランデーと同じ製法で作られる。
「匂いはブランデーというよりも、シャンパンみたいだけどね。でも急にどうしたの? 葉くん、こういうの好きだっけ」
不思議そうに言いながらさっさとシャワーを浴びに行こうとしているアキさんを、後ろから抱きしめてみる。
「今日はライブを見に行っていたんでしょ。なにかあった?」
「ない。ただ早くアキさんに会いたかっただけ」
呆れたように笑ってこっちを向こうとしたアキさんの唇を塞いでキスをすると、仕方がないなというように応えてくれる。
「脱がせていい?」
カットソーの裾に手をかけると、アキさんは手で制止して、「ほんとになんかあったんじゃない?」と心配そうに訊いてくる。
「……家ごとアキさんを僕の匂いに染めたくなっただけ」
「葉くん、強いお酒でも飲んだの?」
キザだとでもいうように、くすりと笑うアキさんに、僕の気も知らずにとちょっと腹が立つ。実際アキさんは何も悪くない。僕が昔のアキさんに嫉妬しているだけなんだから。
「本気で思っているんだよ。細胞レベルでアキさんを僕のものにしたいって」
真面目に言ったのに、アキさんは笑い出してしまった。
「なんか今日の葉くんは可愛いね。シャワーしてくるから待っていて」
「アキさん、笑っていられるのは今のうちだよ」
僕はそう言って、アキさんを肩に担ぎ上げてしまう。
「え、なに? ちょっと待って」
「待たない。明日休みでしょ。今日は寝せるつもりないから」
こうやって毎日を過ごすあいだに、部屋にも服にもアキさん自身にも、僕と同じ匂いが染み付いてしまえばいいと思う。
できたらトランペットも好きになって欲しいと思うのは欲張りすぎるだろうか。
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