眠れない俺と枕返しをする彼

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眠れない俺と枕返しをする彼

【枕返し(まくらがえし)】 夜中に眠る人間の枕元にやってきて、枕をひっくり返したり体の向きを変えたりする。 その容姿は子供や坊主といわれているが、はっきりとはせず。 寝ている部屋で死んだ人間の霊、座敷童の悪戯、正体はタヌキ、サル、猫が化けたの「枕小僧」とも呼ばれるなど、地方に諸説がある。 俺は物心ついたときから、まともに眠れたことがない。 ベッドに寝そべると、むしろ目が冴えてしまうので、座ったまま、うつらうつら。 眠りに落ちては起きてを小刻みに繰りかえし、瞼を閉じられるのは、せいぜい十分くらい。 おかげで夢を見たこともないという。 ずっと寝不足とあって、いつも目の下にクマをこさえて青白い顔をしているし、ひどい倦怠感を負っている。 病院に通ったり、自分でいろいろ調べたり、原因や改善法を探ったが、社会人になっても相かわらず。 「一生、このままかもしれない・・・」と半ばあきらめて、眠れない日々を鬱鬱と過ごしていたのだが。 今日は寝具売り場にいき、枕の購入を。 自分用ではなく、母へのプレゼント用。 「はあーこのごろ、ぐっすり眠れなくて体がだるいし、頭もふらふらするのよねえ! こんなに辛いなら、もう生きていたくないわー!」 そう騒ぎたてる母を心配して、というよりは、夜どおし電話の相手をさせられるのに、うんざりしてのこと。 もとより口癖である「もう生きたくないわー!」を聞くと、脅されているようで居ても立っても居られないし。 にしたって枕を選ぼうにも、ベッドで眠れない俺とは縁遠いものとあって右も左も分からず。 棚のまえで、ぼうっと突っ立っていたら「どういったものをお探しですか」と店員さんが声をかけてくれた。 プレゼント用であること、贈る相手の特徴や寝不足事情を伝えると「それなら」と適当な枕をピックアップ。 「どうせ、自分にはよしあしの判断がつかないしな」とすすめられるまま購入。 少少、お高くついたとはいえ「あの母」相手なら、そのほうがいい。 どうせだからと、追加料金を払い「ラッピングしてくれますか」と頼むと、店員さんは時間をかけて丁寧に包装してくれ、その間に枕にまつわる話を。 「昔の人は、眠ると体から魂がぬけだすものと考えていたそうです。 死ぬと、体と魂が切りはなされるけど、眠ると、離れ離れになりそうなのを枕がつなげてくれるのだとか。 そうした重要な役割があるものだけに扱いには気をつけないと。 もし、枕をひっくり返してしまっては、ぬけだした魂が体にもどれなくなる。 昔は、そう思われていたようですよ」 包装しおえた枕を、まさにひっくり返し「どうぞ贈られる方が快眠できるといいですね」と営業スマイルで差しだされて、やや怖気づきながらも受けとった。 その枕を脇に抱えたまま、母の家へ。 「店員さん、おすすめの快眠枕だよ」とわたせば、無表情、無言でつかみとって、包装紙をびりびりに。 破いた紙きれを散らしたものを、枕を包むビニールには手をかけず。 メーカーと商品名を見て、スマホに指を滑らせたなら「ふうん」と鼻を鳴らした。 「まあ、この値段なら、もらってやってもいいけど? にしたって母親が睡眠不足で悩んでるってのに、枕ひとつで、どうにかなると思ってんの? 相かわらず、みみっちいし、気が利かないし、甲斐性のない、親不孝な息子だね」 そう、こうして母はいつも贈り物をすると、その場で商品の値段などを調べていちゃもんをつける。 「こんな安物で、わたしが浮かれると思ているの!?舐めているの!?」と罵られなかっただけ今回はまし。 転売される可能性もあるが、もう慣れっこだし。 母がヒステリーを起こさなかったのに、ほっとして「じゃあ、俺はこれで」と帰ろうとしたら「待ちなさいよ!」と爪を立てて腕をつかまれた。 「枕を買ってきたなら、最後まで責任をとりなさいよ! 店員が売れのこりをぼけっとしたあんたに押し売りしたかもしれないんだから! そのせいで、わたしが眠れなかったら、あんたのせいだし! 家に泊まっていって、責任を持って見届けなさい!」 「い、いや、明日、仕事、朝早いから・・・」と返せば「この無責任糞野郎!」と肌に尖った爪が食いこんで。 「ほんと、あんた別れた糞旦那とそっくりで虫唾が走るわ! 糞旦那に似ているのに耐えながら、あんたが成人するまで面倒を見てやったというのに、なんて恩知らずで血も涙もない糞ったれな親不孝者なの! あーあーあー!こんな恩を仇で返すような惨いしうちされて、わたし、もう生きていたくないなー!」 「糞旦那とそっくり」「生きていたくない」の二大口癖を突きつけられては首を絞められているようで、とても敵わず。 そのあとも一回断ったことを、ねちねちと責められつづけ、〇時ごろになってやっと母は布団に。 「逆に寝つきがわるくなったら、どーすんのー!?」とさんざん暴れていたくせに、布団をかぶって、すこしもせず、鼾を響かせはじめた。 フスマの隙間から覗けば、伸び伸びと熟睡しているようで、しばらく経っても、そのまま変化はなし。 深くため息を吐いて胸を撫でおろし、全身汗まみれだったに風呂にはいることに。 熱い湯に浸かると、全身が溶けるような錯覚がするほどリラックスを。 ここは生まれ育った実家とはいえ、やっぱり眠れないし、なんなら緊張しっぱなしで、いつも以上に眠気がとんでしまうし。 ただ、朝まで母が起きないだろうと思えば、心が休まって風呂に癒されるまま、ついこっくりこっくり。 そのまま脱力し、背中を滑らせて、湯のなかに頭を落として。 直後にたくさんの泡を噴きだし「うぐ、わあああ・・・!」と叫んで、お湯をまき散らしながら跳ねあがった。 もともと眠りがあさいほうだし、風呂で寝落ちしたといって死ぬことはないだろう。 成人男性なら、風呂の水位で溺れはしない。 そうと分かりつつ、九死に一生を得たかのように思え、呼吸と鼓動を乱し、悪寒がしてやまない体を震わせて。 湯につかっていても体が凍えるに、たまらずに風呂からあがり、タオルで拭いて着がえ、一息ついたところで、またフスマの隙間から覗き見。 母の鼾のやかましさは相かわらずながら、枕元に仄かに青白い光が。 目を凝らすと、青白い光に透けてぼんやりと浮かびあがる三、四才くらいの男の子。 正座をして母の顔を覗きこみ、その体勢のまま、枕の両端をに手を添えて。 枕をひっくり返した。 男の子の存在にまるで気づかず、深い眠りについていた母だが、枕がひっくり返されたとたん、ひどく息ぐるしそうに。 喉になにか詰まったのか、おおきく口を開けつつ、呼吸がままならないようで、かすかに「ごぼごぼ」と水の泡が立つ音が聞こえるような。 瞼を固く閉ざしながら、苦悶の表情を浮かべて頭をふっていたのが、そのうち口を閉じて鼾もかかず、安らかな寝顔となり。 母の顔から視線をあげると、青白い光を放つ男の子はいなくなっていた。 音を立てないようフスマを開けて、忍び足で近づき、布団のわきに正座。 いすく開いたままの口に手のひらを向けてみると、呼吸をしていなく、首も脈を打っていなく。 「死んだから、鼾をかかなくなったのか・・・」と無感動に思い、男の子の正座していたところを見れば、畳に染みが。 濡れた跡を目にした瞬間、弟のことを思いだした。 幼いころの兄弟は性格が対照的で。 俺は引っこみ思案の臆病者、弟はポジティブなお気楽者。 昔から「もう生きたくない」が口癖だった母に対する態度も、それぞれちがっていた。 たとえば「あんたらのせいで、わたしの人生を壊された!生きているのいやんなる!」と喚きちらされたとして。 母の機嫌を損ねないよう気をつけつつ「今すぐにでも山とかに捨てられるのではないか」と部屋の隅で縮こまり震えていた俺。 どれだけ叱られようと懲りず、顔色を窺うこともなく、自由奔放にふるまい「ママ大好き!」と満面の笑みで抱きついていた弟。 そりゃあ、人一倍小心者の俺にしたら、人一倍こわいもの知らずな弟が、母の機嫌を損ねまくるのを見て冷や冷や。 「いつか、取りかえしのつかないことになるのでは・・・」と気が気でなかったのが、その日がついに訪れてしまい。 母の機嫌のわるさが絶頂のとき、食卓でふざけていた弟がコップを倒して、床に牛乳をまき散らし、けたたましく硝子も割った。 「もおお!まじ、やだあ!あんたみたいな子がいちゃあ、生きたくなくなるわあ!」と激昂した母は、風呂場に弟を引っぱっていき。 しばらく風呂場から言葉にならない怒声を響かせていたものを、ふと静かに。 すこししてから悲鳴をあげ、おしっこを漏らしたまま、固まっていた俺のもとに走ってきて叫んだことには。 「フクちゃんが、お風呂場で溺れて、死んじゃった! あれほどママがいないときにお風呂場にはいっちゃいけないと注意したのに!」 風呂場のできごとは不幸な事故として処理をされ「目をはなした、わたしがわるい、わるいのよ・・・!」と母は迫真の悲劇のヒロインを演じて、まわりから同情された。 まあ、葬式が済んだとたん「陰気な息子と二人きりの生活なんて!あー生きるのが面倒だわー!」といつもの調子全開だったが。 弟がいたことさえ忘れかけていた記憶がよみがえり、と同時にその場に倒れて、俺は深い眠りに落ちた。 母がそばにいたとはいえ、死んでいるなら、もう殺される心配をしないでよかったから。 物心ついてから初めて長時間の熟睡ができ、そのあと母の死への対処に追われたが、いつになく顔色をよくし、生き生きとしていたもので。 「母親の死が悲しくないのか?」とまわりが訝しむなか、母の妹、叔母だけは察してくれよう。 叔母もまた、暴君のような母に翻弄された一人。 大人になってからは、母と疎遠だったとはいえ、俺たち兄弟を気にかけていたので、弟の件も勘づいていたのだろう。 「姉さん、再婚が近いって自慢していたらしいけど、そうよね・・・フクちゃんが、幸せになるのを許すわけないわよね・・・」 目にハンカチを当てる叔母に無言でいたが「それは、ちがう」と思わざるをえず。 いくら母に邪険にされても「ママ大好き!」と死ぬ直前まで笑みを絶やさず情熱的に抱きついていた弟だ。 せっかくの再婚を「あんな男と再婚なんて、わたしも落ちぶれたもんね!いい加減、生きるのやめたいわ!」とぶーたれていた。 そんな母の望みを叶えてあげただけ。 おそらく、再婚を渋るのも「生きるのをやめたい」の言葉も本心でなかったろうとはいえ、死んでもママ大好きな弟には分からなかったようだ。
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