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極彩色の魚たちがあてもなく泳いでいる。どこかの海を模した巨大水槽はゴッホとも薄明とも違う青に満ちていた。
「本当にデート抜けて来てよかったの?」
「どうせやることも話すこともないからいいよ。それにもともと今日はひかると過ごす予定だったし。ごめんね」
「いいよ。浮気相手より本命優先するのは当然じゃん。でも、デート抜けるってことは立場逆転しつつある?」
ひかるは風船から空気が抜けるみたいに笑った。それは未明を嘲笑しているように見えたが、なんとも思わなかった。
ひかるのオリーブのカラコンが水槽の青い光を反射してグロテスクな色をしている。水槽のなかを知らん顔ですれ違う魚たちの色彩で目を癒す。
「魚にも恋愛感情ってあるのかな」
俺の肩に頭を乗せたひかるは目で魚を追いながら聞いた。
「番に選ばれなかったメスが餌を食べなくなったって、どっかの国の大学が言ってた」
「へぇ。人間と似てんね。失恋したらご飯食べなくなるの」
「逆じゃない? 暴飲暴食するイメージ」
「それは忘れようとやけになってやるやつ」
「じゃあ、あの鮫が失恋してやけになったら水槽が空っぽになっちゃうかもね」
「たしかに」
俺たちの笑い声が重なる。俺はひかるの顔を覗いた。ふんわりとムスクの香りがする。金髪にへそ出しルックのファッションに身を包んだ派手な見た目の割に、香水は控え目なところが好きだ。
夜の水族館は人も少なく、巨大水槽を眺めるベンチには俺たちしかいない。俺はこれをいいことにひかるの唇を奪った。離れようとするとそれ以上の引力でひかるは唇を押しつけた。そのまま角度を変えて何度かキスをしていたら下半身が疼いた。それを理性で抑えてお互いに顔を離して、けど鼻はくっつけたまま見つめ合う。オリーブの瞳は僅かな光でその色彩の本領を発揮する。
「ねぇ」
ひかるの息が鼻にかかる。少しアルコールの匂いがする。
「あの子のどこが好きなの?」
「明るいとこと顔。あとヤッてる時の声」
「変態かよ」
「そんな変態に遊びでいいから付き合ってほしいって言った物好きは誰だっけ」
「はぁい。このあとどうする?」
「ホテル行こ」
「やっぱり変態じゃん」
ひかるは俺から顔を離して水槽を眺めた。髪の隙間から覗く右耳にピアス穴が増えていて、ゴッホが自ら耳を切り落としたことを思い出した。
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