ツキヨリモ

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ツキヨリモ

わが心はかの合歓という木の葉に似て、物触れば縮みて避けんとす。                    『舞姫』  森鴎外 「これがのちの速記本と呼ばれるような本ですか」  吹雪は勇蔵にのちの新しき世に登場する牡丹灯籠の噺が収録された速記本に近い形の本を手渡された。 吹雪の師匠である三遊亭圓朝の人情噺や他の弟子の口演も収録されていたので吹雪自身もハトが豆鉄砲を食らったような表情になった。 「勇蔵君は誰からこのような素晴らしい速記本を貰ったんですか?」  吹雪は厳しい顔つきで勇蔵に矢継ぎ早に質問する。  勇蔵には直接訊きたいことがたくさんあった。 「嗚呼。あの山本笑月っていう坊主頭の変な男からだよ。未来から来たとかなんとか……。俺が後の坪内逍遥っていう文士になるんだとかさあ。本当かな?」  勇蔵自身は自分が将来大物作家になるという自覚はないらしい。 「兎も角、変な人は警戒したほうが善いかと。その時は一人だったのですか?」 「そうだ。そんときには採菊姉ちゃんもいなかったから、暇で団子でも食いに茶屋に立ち寄ったら、あの笑月っていう変な男がいた」 「成る程。然し、悪人だと決めつけるのも良くないですね」 「吹雪姉ちゃんもそいつのこと知ってんのか?」 「いえ、私はその山本笑月という人についてはあまり知りません」  速記本については互いに興味があるので吹雪と勇蔵は意気投合した。 下駄の鼻緒が切れた時も勇蔵は、吹雪の鼻緒を器用に結んでくれた。 普段から素足に下駄を履いている吹雪は、鼻緒が切れたとしても自分で対処していた。勇蔵のように手先が器用な9歳の少年には今まで出会ったことがない。吹雪は色素の薄い長い髪をいつも簪で纏めている。 氷の精霊から人間の少女になった吹雪は勇蔵自身に少しだけ惹かれていた。 圓朝が急いで噺をまとめておくれよ、と頼まれた時には勇蔵を呼んで髪を綺麗に結わせたこともある。勇蔵は気が利く少年で優しい。 「吹雪姉ちゃんは髪が綺麗だな」 「フフフ、有り難うございます」  勇蔵が稽古部屋に来てくれる日が増えて吹雪も採菊も以前より感情が豊かになり、口数も増えた。
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