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ウタカタニサク
朝起きて、顔を洗う。
文士だろうが落語家だろうが顔を洗うことから毎日がはじまる。
「うっ……」
なんとも云えない気分の悪さに採菊は襲われた。
胃のあたりがムカムカして気持ち悪いです、と三遊亭圓朝とその弟子である吹雪に報告してその日は筆仕事を休んだ。
(そういえば経水が二ヶ月もきてない……)
友人である吸血鬼の若い女いちじくは既に産まれたばかりの娘がいる。
娘の名は小夜。
小夜は母親であるいちじくに似て可愛い。
「あたしに似て可愛いだろう?」
「うん。負けず嫌いなところがいちじくに似てるかも」
「採菊もさっさと婚姻しろよ」
「今はやりたいことがあるから」
経水が二ヶ月もきていないし、最近よく体調を崩す。
採菊は、自分のお腹のあたりを触れる。
(多分だけど……柳橋様とのお子かもしれない)
採菊はあの夜に三代目麗々亭 柳橋に抱かれた。
ただの文士を目指している小娘の自分に何故そこまで優しく接してくれたのか分からない。兄が16歳の妹に接するような関係だと思っていた。
恰も、私を狙っていたような柳橋様のあの鋭い眼差し。
柳橋は採菊の着物の懐に手を忍び込ませる。
はだけた採菊の着物と柳橋の無骨な手。
互いに欲情を抑えきれずにいたあの夜。
あの情事を思い返す度に恥ずかしさのあまり、物陰に隠れたくなる。
(そんな訳ない。だって柳橋様とはもう別れた)
柳橋は興味本意で女に手を出すような男ではない。
産まれてくるであろうこのお子の名前は多分、男の子だろう。
名を健一と名付けてこの子を立派に育てよう。
条野家の後継ぎとしてではなく、私が愛情を持って育てます。
妊娠した採菊のお腹にいる子はのちの画家鏑木清方となる。
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