矛盾した償い

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 家の裏に大きな山がある。もう私の中学卒業を最後にこの周囲に子供はなく、裏山を通る近道を通学に使うものはいなくなった。元々ほとんどの人が利用していなかったその道は、私が卒業した後から手入れをされなくなっていた。草木は伸び放題で、最早道と呼べるような場所はほとんど残っていなかった。そこを少し登った先、つづら折りになる道のカーブの奥。すこし平面になった場所があって、私は子供の頃よくそこで遊んだものだった。兄弟も年の近い友人もいなかったので一人だったが、ドングリを拾ったり、木に登ってみたり、ときにはそこに横になって風に揺れる木々やその合間から見える空を眺めたり。その奥側にちょっとした窪みがあった。熊の休憩所と勝手に呼んでいたそこに、私はまた一つ隠し物をした。  名前を変えるのには、約十年かかった。それがこの期間私がここに来なかった理由でもある。埋めるときに戻ってきて以来、一度もこの地には戻っていなかった。今でも家には父がいるのだろうか。それとも、肝硬変にでもなって往生したのだろうか。今となっては、父という存在すら希薄に思えた。  しかし、私は一人娘を置いて出て行った母のことが大好きだった。父からいつも庇ってくれた母。優しかった母。家にいる間、目一杯愛してくれた母。その記憶がどうしてもこびりついている。どうしようもないほどの月日が経っても、気持ちだけは美化されながら心に残るのだろうな、とどこかで思ってもいた。もし一緒に住んでいたなら、今もこんなに母を大切に思っていたかは分からない。一緒に住んでいた父のことを――アルコール依存症による虐待が大きな原因とも言えるが――私は今、なにも思うことがないのだから。恨んでもいなければ、会いたいとも思わない。生きていても死んでいても構わないと思っている。一緒に住んでいても頼れなかった、そんな父親だった。 「河原の林の…どこだっけ」  中でも一番嵩張るものを、一番掘りやすそうな河原の隣の林に隠した。普通なら入院中であろうその体で、私はこの街を走り回った。それはもう本当に尋常ではない精神力だったんだと思う。あのときはそれしか考えられなくて、とにかく必死だった。死に物狂いで、生きていた。そうして、この場所にもやってきたのだった。  サラサラの砂地のそこも林というくらい木や雑草が茂っていて、見つけるのにはかなり苦労した。今はもう枯れてきているとはいえ、硬くなった背の高い草がその場所を覆い隠す。ここには少し小さめの石を円で囲むように置いた。大きな石をわかりやすく置いておくべきだったと後悔したが、程良い石が見当たらなかったのだ。大きすぎるか小さすぎるかの石ばかりで、女の細腕では運べるものに制限があった。
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