矛盾した償い

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 元々友人が多い方ではなかったが、それでも人が変わったように誰とも話さなくなった。正確には、誰とも話せなくなった。人が怖かった。いつ誰がどこで襲ってくるか分からないような世界なのだと、私は思い知らされてしまったからだ。子供では対処できない問題なのも分かっているから友人に相談することもできなかった。したところで、親に話しなよ、と言われることは目に見えていたし、警察に駆け込んでも根掘り葉掘りどんなことをされたかを話さなければいけないということも、調べて分かってしまった。だから、あんな出来事を一から全部話さなければいけないようなことは、私には到底選べなかった。まだ子供で、それでも女で、そして世間をまったく知らなかった。  そして、さすがに二ヶ月以上も生理が来ないのはおかしいと思い、唯一思い当たる妊娠という答えに辿り着いたとき、私は絶望した。絶望して、そこからどういう人生を生きるのかを真剣に考える方向に意識がシフトされたのだった。お腹が大きくなる前に家を出なければならなかったのだから、決断は一瞬と言えただろう。この現実的ではない計画を実行するために必要な情報は、家を出てからも調べ続ける日々だった。  職場には無理を言って、どんなに体調が悪くてもたとえ仕事中に何度もトイレに吐きに行ったとしても、ギリギリまで働かせてもらった。そうして子供を産んですぐに、子供は親に育ててもらっていると嘘を吐いた。  本当は――生まれたその子をすぐにバラバラにして、変装をして地元に埋めに帰ったのに。  あの事件にはまったく関係のない土地に、私がこれから暮らすこの土地に、埋めるつもりはなかった。それは近くに埋めたくないとかそういうことではなかった。あの男に犯されたあの土地に、あの遺伝子を置いてきたかったのだ。  ()ろすことができなかった。まだ未成年の私一人では中絶を選択することができなかった上に、うだうだしているうちに22週間を超えてしまい、そうなると堕胎罪というのが適用されてしまうことが分かったのだった。私はできるだけ重い罪を背負いたかった。どんなに憎い遺伝子でも、命を絶つというその行為を、私はちゃんと償いたかった。だから、背負うなら堕胎罪ではなく殺人罪をと選んだのだ。なにも償わなかったあの男と同じにはなりたくなかったのかもしれない。  あの男――性器の感触しか覚えていないようなあの男を、私は生涯を持って恨むと同時に、私にそれでも芽吹いてくれた命に対する償いをすることを決めた。それが、高校最後の思い出ということになる。は私を恨んでいることだろう。生まれたその瞬間に、痛みだけを与えた私を。喜びなど一つも与えられなかった私を。  私は最後にその袋を握りしめて、警察へ向かったのだった。殺人罪の時効はもう廃止されている。私はこれから何年の刑に処されるのだろう。けれど、そんなことも些末なことだ。この罪を償い続けて生きていくと決心しているのだから。この一生涯をかけて。新聞に載るのは、元職場の人間と数少ない近所の住人だけが知る名前。その事実だけで、私にはもう充分だった。
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