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INSOMNIA EFFECT
サエくんと連絡を取り合いながら、水曜日は訪れて、私は鏡の中で入念に自分をチェックする。髪はきちんとアイロンしてあるし、ネイルはシンプルな銀色に星屑のようなグラデーションでラメを散らした。強すぎる香水はしない。Tシャツにスニーカーが基本だから、悪目立ちしないようにして、新しく買ったバッグでライブハウスに向かう。オープンは夕方五時からで、サエくんのバンドは五バンドある内の四バンド目だ。三十分前にサエくんとオープン前のフロアの外で会う。サエくんがゲストパスを渡してくれて、差し入れにエナジードリンクをメンバーさん四人分、持っていった。トキさんもたまたまフロアの外を通った時で、差し入れにお礼を言ってくれた。サエくんたちの集中力を削ぎたくなかったけど、サエくんは私と話したがった。
「イチカちゃんが来てくれて、嬉しい。本当にありがとう」
「ライブハウスって初めてだから、なんか緊張する」
「大丈夫だよ。ノリとか怖いかもしれないけど、別に普通の人達だから。それより、イチカちゃん、ネイル綺麗」
「一応ね、サエくんの髪色イメージした」
そう言うと、サエくんは「すっげえ嬉しい」と言って笑顔になった。私は、その笑顔を見て笑顔になる。二人で話していたら三十分はすぐに経って、結局オープンの時間まで一緒にいた。
オープンになると私はフロアに行って、スタートのバンドから見る。女性ファンもいるけど、男性ファンの激しさに圧倒された。こんなの絶対サエくんを近くで見るのは無理、と思った。ドリンクもミネラルウォーターと引き換えるぐらいで、大人しく後ろで大音量の重低音を聴き続ける。どのバンドも迫力があってすごいけど、イヤホンで聴いていたサエくんのバンドに届かない。失礼だけど、そんなことを感じる。サエくんのステージが早く見たい。期待が強くなっていく。
INSOMNIA EFFECTの番になる前にお客さん達が動いて、私は元々居たステージ右側後方、いわゆる上手側でサエくんが出てくるのを待つ。サエくんから今日のノルマは捌けていると聞いていた。今までで一番今日お客さん入るかも、とも。男性のファンも、女性のファンも両方いて、上手側に女の子達がいると、サエくんのファンかなと不安で胸がチクリとする。わざわざ上手側にいるのだから、おそらくそうであることは間違いない。各々のファンの声は聞こえる。批判する声は聞こえないけど、期待の声もあまり気にしないようにした。どちらにしろ、サエくんのバンドは受け入れられているのだ。そう思いながらざわめきが十分くらい過ぎると、ライブハウスのBGMの音が低くなっていって、会場の照明が消えた。
幕が開いていくと同時にアンセムが流れる。無音の瞬間に仄暗い照明の中でドラムのリョウヘイさんが現れて、コールが起きる。サエくん、ベースのチサさんが出てきてコールが強くなった。そしてトキさんが出てくると一番コールが強くなって、ステージが一面、鮮やかに白く色付いた。コールが高まるとメンバーが煽って、会場のボルテージは高まる。その中でメロディーが強いアンセムが終わりを迎えると静寂が訪れた。トキさんが両手を掲げて静けさが最高潮に達する。ドラムがシンバルを四つ叩いて、一曲目が始まった。トキさんが叫んだ一曲目はサエくんが作った轟音のナンバーだった。空間を貫くようなギターリフで、ステージの照明がストロボになる。サエくんのバンドだけの盛り上がりじゃない、他のお客さんたちも盛り上がる。フロアは一曲目からモッシュになった。サエくんが身を翻すクールなステージングと重く歪んだギターが、サエくんの煌めきを増す。ブルーの照明にブルーのギター。暗闇の中にサエくんのシルエットが浮かび上がって、ギタリストとしての存在感を示す。きっと、サエくんは今の瞬間、世界で一番輝いている。
聴いていたから知っていたけど、トキさんは高音域から低音域まで声が伸びるし、チサさんのベースを搔き鳴らす激しいステージングと低音の音色の数は、確かなものだった。リョウヘイさんのリズムの安定感とスティック捌きも、ステージを後ろから支えて華やかにしている。全員、趣味でちょっとやっているようなバンドでは無いとすぐに感じさせた。トリを飾るバンドになるのは目前だろうし、動員だってもっと着実に増えていく。何よりも、私から見てステージの上のサエくんは、同じ年の男子高生には見えない、クールな中にも強い気迫が漂っていた。
ふと、目が合うと一瞬だけ、私の知っている無邪気なサエくんが見えたけど、存在感を示すステージは変わらなかった。二曲目、三曲目、とお客さん達は拳を突き上げてフロアは盛り上がりを見せる。トキさんのMCはお客さん達が飲み込まれるように聞き入っていた。それから曲調と共にお客さんは揺れ、コール&レスポンスを交わす。四曲目の盛り上がりでトキさんに向かってダイブした男性ファンがいた。そのファンにトキさんは触れると、目を合わせたあと笑ってその頭を客席に沈める。フロアが一体になって盛り上がった。五曲目とも夢中になったフロアはあっという間に六曲を終えて、トリ前なのにお客さん達も満足気な顔をしていた。すげーバンド、若いし勢いすごくね、と熱は冷めやまない。ファンと思しきお客さん達からは、今日、サエ曲多かったな、と言われていた。六曲中の四曲はサエくんの曲だ。サエくんのバンドは全員作曲するから、いつもはバランスが取れるようにしているのだろう。サエくんの曲がお客さん達を盛り上げているのをしっかり見ていた私は、それがサエくんの自信を裏付けていくようで気分が高揚した。
サエくんたちの出番が終わって、どうしたらいいんだろう、と思っているとサエくんから連絡が来た。打ち上げやるから良かったら残ってて、とのことだった。OKして、私は居残る。お客さん達が出て行って、私はスマホをいじる振りをしてそれとなくいる感を出していた。けど、彼女かあ、という声は聞こえてきた。サエくんの、と言われたわけではないけど恥ずかしくなって私はフロアの外に出る。すると、サエくんがちょうどフロアの外まで出てきていて、私を見つけると「今日はバンド別の打ち上げだから、外でちょっと待ってて」と言った。しばらくして、ギターと機材を入れるエフェクターボードを持ってきて、ライブハウスから出た私達はサエくんが「行こ」と私を会場の居酒屋へと誘ってくれる。
車道は車のランプの光で溢れ、繁華街の街並みは夜を歓迎していた。私達は、その夜の中にいる。
道の途中で、サエくんに言った。サエくんかっこ良かったよ。会場でCD買っちゃった。私が二枚のミニアルバムを見せると、サエくんは驚いて、喜んでくれた。
「あげようと思ってたのに」
「いいの。買いたかったから」
「今度は一番にイチカちゃんにあげる」
「本当に? じゃあ、楽しみにしている」
サエくんは、出会った時と同じ無邪気な瞳で笑ってくれた。
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