サエの元カノ

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サエの元カノ

 居酒屋に着くと、バンドメンバーとスタッフのエリさんという女性、メンバーがゲストで呼んだ人数だけになった。それぞれ彼女や親友を呼んでいる形だった。トキさんとサエくんが並んで座っていたけど、サエくんは私を隣に座らせてくれた。 「イチカちゃん、だっけ。差し入れありがとうね」  チサさんがそう言って、リョウヘイさんも「ありがとー」と言ってくれた。年齢はチサさんが二十歳、リョウヘイさんは二十一歳の最年長だ。アルコールは私とサエくん以外、全員頼む。 「サエの彼女ってことはJKだよな。リョウヘイ、ロリコンだから気を付けてね」  チサさんが言うと、リョウヘイさんは「ロリコンじゃないし、メンバーの女には手を出さない」と言った。リョウヘイさんは一度、女子中学生を見かけた時に「あの子、いい女になりそうだな」と言ってからメンバーにロリコン扱いを受けているらしい。まだ私、サエくんの彼女じゃないけど、と戸惑っていると、サエくんも言い出しづらそうにしている。 「チサ、まだサエの片思い中だから」  トキさんがそう言って、チサさんもリョウヘイさんも驚く。セットリストは、トキさんがサエの大事な子が来るから、と言っただけで決めたらしい。いつもセットリストは全員で意見を出すが、事情があるならとメンバー達は飲み込んでいた。そこで何気なくチサさんは言う。 「付き合ってるんだと思ってた。サエの好みだし。前の彼女も黒髪の綺麗な子だったじゃん」  その言葉に、私は息を止める。サエくんの前の彼女。考えたことがなかった。けど、自然なこと。そっか。そうだよね。居て当然だよね。サエくん、かっこいいもん。突然の事実に、私の感情が揺らいだ。それがそのテーブルの全員に雰囲気で伝わった。サエくんは鋭い雰囲気を露わにして速攻で声を荒らげる。 「チサの空気読めないところ、俺、本当嫌い!」  チサ、と言って、チサさんの彼女さんがチサさんを睨み付けていた。トキさんが私に言う。 「ごめん。俺のメンバーへの説明も足りなかったね。もうちゃんと別れてる子だから。イチカちゃん、安心して」  リョウヘイさんは事の成り行きを見守っている感じだった。乾杯のドリンクが来たけど、サエくんは私の手を取って、「外で話そ」と言って私を居酒屋の外へ連れていく。でも私は俯いていた。虚しいことを言いたくない。けど、言葉は口を衝いて出る。 「サエくんが私を誘ってくれたのって、前の彼女さんに似てたから?」 「そうじゃない! イチカちゃんは確かに俺の好みだけど、誰かに似てるとか、そんなんじゃない」 「別に、好みだったら私じゃなくても良かったんだよね?」 「そんなわけない! 俺はイチカちゃんが好き。出会った時から、イチカちゃんが良かった。俺はイチカちゃんがいい」  本当にそうなのかな。出会い方だって偶然ふらりと出会っただけで、私である必要なんてなかったんだよね。サエくんに偶然彼女がいなかっただけで、私が偶然誰とも付き合ってなかっただけで。考えると、サエくんのことが分からなくなる。 「私じゃなくても、サエくんの好きな子なんて、探せばいっぱい居るよ」 「いない!」  サエくんが真剣な目をして、私を引き留めようとして、サエくんが言葉を発しようとした時、チサさんの彼女さんが外に出てきた。 「アイリさん」  サエくんも気付いて、「サエくん。チサ一発殴っておいて。私も殴っておいたから。ちょっと、イチカちゃんと話するよ」と言って、アイリさんが私と向き合う。 「イチカちゃん、話出来そう?」 「え……。はい」  アイリさんはにっこり笑う。 「チサ、あいつバカでごめんね。あいつの基準で喋ってる。サエくんはちゃんとした子だよ」  私に諭すように言う。前の彼女はね、サエくんが音楽に夢中だから、構ってくれないとかで別れたの。サエくんの音楽にもちっとも興味を示さなかった子だった。サエくんもまだ子供だけど、前の彼女はサエくんより全然精神が子供。イチカちゃんは見て分かるような芯のありそうな子だから、サエくんが選んだんだと思うよ。  サエくんはじっとその話を聞いている。アイリさんの言葉を肯定するように、黙っていた。アイリさんは私の肩をぽんぽんと叩く。 「今日、サエくんの曲、多かったでしょ? サエくんの今はイチカちゃんだから」  好みだったら誰でもいいとか、そういう彼女の作り方する子じゃないから。サエくんモテるし、これからも不安なこといっぱい出てくるだろうけど、サエくんは間違いなくイチカちゃんだよ。トキくんも言ってたけど、安心して。  アイリさんの言葉には説得力があった。私よりも長くバンドを見てきたアイリさん。サエくんの前の彼女さんのことも知っている。その上で、アイリさんも私を引き留めてくれている。信じてもいいかな。サエくんは本当のことを言っているのかな。私が聞き入れて黙って頷くと、サエくんが「アイリさん、ごめん。ありがとう」と言う。アイリさんは、サエくんにも私にも微笑む。 「あとはちゃんとサエくんと話して。イチカちゃんもサエくんが好きなんだよね? チサのバカなんかに振り回されちゃダメだから。先、戻ってるね」  私は、アイリさんに「ありがとうございます」と言って頭を下げた。アイリさんは、「サエくんとイチカちゃんはお似合いだよ」と笑顔を見せて、居酒屋へ戻っていった。  サエくんが今度は私と再び向き合う。 「アイリさんも言ったけど、前の彼女とはそういう別れ方をしている。もう好きじゃないし、連絡も取っていない。俺はイチカちゃんのことを好きになったんだよ」  私は泣きそうになってたけど、サエくんの目を見る。サエくんは、言葉を続けた。 「すごく自然な流れだったから、イチカちゃんも覚えてないと思う。けど、ファミレスで話した時、音楽を知らないのに俺のバンドの曲聴いて『音速のままの熱量だね。圧倒される』って言ってくれたんだよ。それ、俺が作曲した曲だった。俺の音楽に共感してくれてるんだって思った。それが嬉しかったし、イチカちゃんの感性がすごいなって思った」  そんなこと、私、言ってたっけ? と思うけど、サエくんが出鱈目を言うはずがない。 「俺の言葉が信じられない? イチカちゃんだから、好きって思えたんだよ」  私は泣かないように、サエくんを見つめる。 「本当に? サエくんを見ていてもいい?」  サエくんは真摯な瞳で言った。 「俺がお願いしてる。イチカちゃん。俺、イチカちゃんのこと好きだから。俺の彼女になってください」  サエくんが私に頭を下げる。まっすぐなサエくんの、まっすぐな言葉。疑うよりも強く信じることの方が自然だった。この世のどこを探しても、きっといない。サエくんだから、真剣になってくれている。私はそれに相応しい存在でありたい。サエくんの目を見て、私も言った。 「ありがとう。私もサエくんが大好きだよ」  泣きそうなところから、ようやく笑顔になれた。サエくんが抱きしめてくれる。 「もうちょっとロマンチックなところで言いたかった」  サエくんが私を抱きしめる力は強い。私は笑った。 「サエくんが好きって言ってくれるなら、私はどこでも嬉しいよ」  サエくんは私にまた無邪気な瞳を見せる。 「今度、デートしよう。どこがいい?」 「そうだなあ。でも、あとで決めようよ。早く中、戻らないと、みんな心配しちゃう」 「いいよ。待たせとけ」 「そういうわけにはいかないでしょ」  私達は笑い合って、居酒屋の中に戻った。サエくんは中に戻るなり、チサさんが座っている椅子を軽く蹴る。 「何考えてんだよ、チサ。イチカちゃんにもちゃんと謝れ」  チサさんは私に頭を下げた。 「ごめん。俺、こういう性格で。悪気はないんだけど……」 「大丈夫です。アイリさんがちゃんと説明してくれましたから」  うん、アイリに引っぱたかれた、とチサさんが言って、アイリさんが「サエくんとチサとじゃ違うんだよ」と睨み付ける。
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