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その秒速と同じ鼓動で
乾杯はまだだったようだ。グラスに汗をかいている状態で、ようやく全員乾杯する。サエくんは言った。
「イチカちゃん、俺の彼女になったから。そういうことでお願い」
ヒュー、とリョウヘイさんが盛り上げた。私が照れて顔を伏せると、アイリさんが「良かった、良かった」と私の両頬を両手で撫でてくれる。アイリさんとはSNSの交換をして、打ち上げは楽しく盛り上がれた。メンバーの中で最年少のサエくんは、みんなの生意気な弟みたいな感じで、サエくんの第一印象をメンバー達が教えてくれた。リーダーのトキさんがリョウヘイさん、チサさん、の順番で出会って最後にサエくんに出会ったらしい。全員が、サエくんのことを
「絶対、顔だけだと思った」
と言って、サエくんは苦笑いしていた。
「まだ当時黒髪でさ、男子高生だから期待してなかったんだよね」
チサさんが言う。
「来るバンド間違ってんのかなと思った」
リョウヘイさんも言う。
「けど顔合わせで曲聴かせてもらったらかっこいいし、スタジオ入ってみたら目立つし、年齢の割に上手くて技巧派だし、気も合うし、すぐ決まったな」
トキさんが言って、それにメンバーは頷く。
「だから、実力だろー?」
サエくんがそう言うと、「違う。アイドル」「メン地下」「バイト先メンコン」と、いじられる。トキさんが「サエだけチェキ売れ」と言うと、エリさんが「了解っす」と言って、サエくんが「ちげーし!」とむくれていた。きっと、いつもやり取りされていることなのだろう。メンバー達が笑っていた。サエくんはサエくんで、顔についてだったらトキがイケメンとか分かるけどチサは黙ってりゃいいしリョウヘイはロリコン治せばいいんじゃないの? と言う。しかしメンバー達は笑って聞き流すだけだった。
サエくんが「なんか、無いの? もうちょっと俺のかっこいいところ」と言って、トキさんが褒めてもらいたがってるな、と笑いながらも言う。
「曲はね、俺が作っているのを主体にやっていくつもりだったんだけど、サエが出してくる曲がいいから採ることが多い、とか?」
そう言われて、サエくんは満足そうな顔をした。チサさんが「負けたくないよなー」と言って、リョウヘイさんも「俺の曲は採用率が低いからな」と言う。私の前でかっこいいところを挙げて欲しかったサエくんは、やっぱり満足そうに「今、七弦も練習してるし」と言った。素直に、サエくんってすごいなと思った。サエくんの目論見通りなんだろうけど、私はそれをそのまま信じる。
そして、一時間半ぐらい経ったところで時間も時間になって、私が帰る旨を伝えると、サエくんが送ってくれると言った。私はまだメンバーさん達が残っていることを言うと、いいよ、送る、とサエくんは言って、私とサエくんは一緒に帰ることになった。ラッシュも過ぎた電車の中で、私はサエくんに言った。
「サエくんのバンドは、きっともっと上に行くね」
「もちろん、そのつもり。でも、イチカちゃんがずっと付いてきてくれたら嬉しいな」
サエくんのライブはまた来週もある。今後の活動について、色々検討していることはあると言っていた。忙しくなるんだろうな、と思ったけど、私はサエくんを応援したい。サエくんの傍にいられる進路をふと考える。どこに居れば、サエくんをずっと近くで見ていられるのかな。サエくんの音楽を多くの人に知ってもらえるのかな。最初にそう言ったっけ。私の進む道が少しずつ出来ていくのが分かった。
最初の出会いを思い出す。あの時の夜空は曇り空で、今、車窓から見える景色はビルの光がスピードで線を描く。夜の中で静けさを揺るがすもの、夜の中で輝くもの。その答えは、すべてサエくんが教えてくれた。サエくんの私を見る瞳は、何一つ変わっていない。ただ、私を見つめていた。サエくんの作る音楽で、奏でるギターで、私は私の大切なものを、見つけてゆく。サエくんの放つ音速の熱に私は溶け込み、その秒速と同じ鼓動で呼吸をしていたい。
<了>
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