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月の兎となった理由
かつて地球上にいた旺志郎の祖先であった雪平という名の男が完成させたといわれる不老不死の薬がその頃世間を騒がせたと聞いたことがある。
それが世に出回ることを恐れた雪平は、9月の満月の夜に身内である娘の雪菜と旺志郎を連れて山奥にある立派な杉の木の下で女神様にお願いをした。
――どうか我家族の命をお守りください――
そう願い、自分の命と引き換えに完成させた薬を当時赤ん坊だった雪菜の息子である旺志郎に飲ませると、何故か娘の雪菜と旺志郎だけが眩しい光に包まれて月へと導かれたのだ。
そして、雪菜は女であったはずの体が男となっていたのである。
そんなことが起こるなんて誰も予想していなかった。
ましてや月に人間が降り立つなんてことがあるなんてきっと誰も信じはしないだろう。
気がつけば母であった雪菜は男の姿で生涯を追え、旺志郎だけが月で不老不死の薬を切らさないために薬草を杵臼でついていた。
毎日飲み続けるわけではないが、月に一度は薬を飲むようにしている。
そうやって命を繋ぎ続けた旺志郎は、もう何百年もの年月を一人で過ごしてきた。
20歳の頃から成長は止まり、同じ姿のまま生きている旺志郎だったが、ある満月の夜に無性に人恋しくなり女神様にお願いをした。
――ここに一人でいることは苦ではありません。ですが人肌に触れたいのです。誰かを一生分愛したいのです。どうか、願いを叶えてください――
ここへ来て初めての願い事だった。女神様は姿は見えなくてもしっかりと旺志郎を見てくれている。その願いを叶えるために、赤ん坊の時に包み込まれた眩しい光が再び旺志郎の体を包み込んだ。
閉じていた目を開いた時、旺志郎の目に飛び込んできたのは微かに覚えている幼い頃に雪菜に連れられてきた土手だった。
「母さん……」
懐かしさに、溢れそうになる涙を隠すように膝を立て顔を埋めるように伏せると、誰かが近づいてくる足音が聞こえてきた。
びくっと体が震える――それと同時に、今まで眠っていた雄の血が全身を駆け巡る感覚が広がっていく。
「あの……どうかされましたか?」
「ねえ、知ってる? ウサギって寂しいと死んじゃうんだって……」
「えっ?」
「おれ、このままじゃ死んじゃうかも……」
これが旺志郎の誘い文句。人恋しくなれば、こうして好みの男を抱くことで子孫を残していた。
ただし抱かれた男は一夜限りの相手で、旺志郎が月へ戻ってしまえばその瞬間に放たれる光を浴びて我が子を身ごもり、育てるという現実が待っている。しかし、旺志郎と結ばれた男たちはみな、決して不幸などとは口にせず、幸せそうに生涯を生きたという。
旺志郎の子孫たちは普通の人間と何ら変わらない姿をしているが、違うのは異常なほどに寂しがり屋ということと、寿命が長くないということだ。
旺志郎が不老不死であっても、彼とまぐわった相手がそうなれるというわけではないようで、二人の間に出来た子供も今まで誰一人寿命が延びたことなどなかった。
何百年ぶりに人が恋しくなったのだろう?
旺志郎は、目の前にいる勇作の頬を両手で包み込むと、薄く開いた唇から舌を差し込んで深く口付けした。
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