あの夜に響いたチャイムは何を告げた

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 翌朝、洋子は昨夜のことが気になり、食欲がなく朝食はとれなかった。ソファに座ってコーヒーを飲む。  テーブルの上には後藤の名刺がそのまま置かれている。それが目に入ると昨夜の『謙一の父親』という後藤の言葉が浮かぶ。  実は、洋子は謙一との婚姻届が済んでおらず、法律的には夫婦ではなかった。  洋子が謙一と知り合ったのは、洋子が勤務していた幼稚園で、町が主催したお年寄りとの交流イベントがあった時である。謙一は、この地域では知らない人がいない大きな建設会社の専務で、その西園寺建設という会社は父親の起こした会社であった。  西園寺建設は、もう何十年も前から幼稚園、保育園への支援を行っていて、特に養護施設への援助を惜しまなかった。  そのイベントで見初められた洋子は、謙一の秘書として雇われ、しばらく西園寺建設に勤めていたが、一年もしないうちに謙一と暮らすようになる。    結婚を前提に同居を始めたふた月後、謙一の両親が交通事故で亡くなる。それで式も挙げられず、届も怠っていた。  謙一は、親の残してくれた建設会社を自分の代でつぶすわけにはいかないと、休日も出勤して、現場の視察など始終忙しく働いていた。洋子にしてみれば、たまには外出していっしょに食事もとりたいと思っていたが、そんなことはめったになかった。  謙一の生活は勢い会社中心となっていた。  だからといって、全く家庭を、洋子のことを顧みないかというとそうでもない。たまに早く帰ってくるとどこで材料を買いだしてきたのか、二抱えもの肉や野菜をキッチンに運び入れる。そして趣味の料理の腕をふるってくれる。  素人にしては上等で、洋子は「あなた、これだったら仕事を辞めても料理で食べていけるわよ」と半ばおだてかもしれないが、そう褒めていた。  謙一もまんざらでない顔をして、では仕事を引退したら、信州の別荘近くで蕎麦屋でも始めるか。それも週に三日か四日で、あとは付近を散歩したり、絵を描いたりして悠々自適の生活を楽しむかなと笑わせてくれていた。
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