あの夜に響いたチャイムは何を告げた

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 洋子は二人が帰ったあと、謙一の生い立ちや母親早苗のことで何かないだろうかと、義母の荷物を探し、古い日記帳を見つけ出す。 『この日記を残すことは悩んだ。でも、自分がどう生きてきたか、どうしてこうなったかを残すことが、いつか謙一の役に立てばという母として子を思う気持である。まず初めに書いておかなければならないことがある』  そうして始まった日記には次のようなことが記されていた。  謙一はもちろん私の子である。でも西園寺省吾さんの本当の子ではない。  省吾さんがある養護施設で、謙一を養子にしたいと園長に申し入れたようだ。このような施設にいる子供にしては、明るくとても素直で目がキラキラと輝いていたという。まだ謙一が一歳半のときであった。  そして母親である私に園から連絡あった。それから息子のこともあったが、省吾さんは私に興味を持ってくれたようだ。  省吾さんは仕事も忙しかったこともあったが、その年になるまで未婚であった。付き合ってから打ち明けてくれたのだが、省吾さんは子供ができない体であったようだ。そのこともあってか、省吾さんは謙一を養子にするととも私と結婚することにした。    それは彼とお付き合いをして半年以上経った時で、結婚するとなると自分のこと、謙一のことを話さずにはいけないと思い、打ち明けた。  前田雄太と別れたのは彼のDVが原因だ。  彼とは、私が勤めていた信用金庫の仕事で知り合った。勤めてから五年ほど経った時、融資部門に異動した。その時取引先として関係したのが、前田の会社であった。  彼の実家は、その土地では有名な材木商であったが、仕事の上で父親が知人の借金の保証人となった。その時、会社の役員であった雄太も連帯保証人になったという。  だが、その会社が倒産したのをきっかけに前田の会社の経営がつまずく。それに輪をかけたのが、その年の暮れにあった材木置き場の火事であった。運わるくその場にいた彼の父親も火事に巻き込まれ命を落とす。  放火の可能性もあったが、真相はつかめなかった。それで会社は倒産、保証人としての借金だけが残り家族は離散した。
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