貢ぎ売る

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貢ぎ売る

 曇天。もしかしたら雨が降るかもしれない。入っているものが濡れないように、折り畳み傘を出した。そして、リュックを前の方で背負った。  無事、雨が降らないうちにお店に着いた。地下一階へ下りるともうすでに、濡れた傘を入れるビニール袋の束がドアに吊ってあった。入店してすぐに、お店の奥に貼ってある買い取り価格の表を確認した。SNSに添付されていた画像と値段は同じだった。  リュックの中から五枚のカードを取りだし、店員さんに渡した。一万三千円。いまトレンドのデッキに使われている五枚である以上、これくらいの価格になるのは当然である。そして、なにも買わずに外へ出た。まだ、雨は降っていなかった。  次にコンビニへ入り、一万三千円に、大学の短期バイトから得た七千円を加えて、振込を済ませた。そして電車に乗り、帰路へ着いた。  夜、クリエーター支援サイトの画面を確認すると、無事に振り込まれていることが分かった。これでさらに一年、支援を継続することができる。そして通販サイトに飛ぶと、決済は無事に済んでいた。二千円の商品に五千円のチップ。少しでも、活動の足しになってくれるだろうか。  支援プランの最高額を、千円から二千円に上げてくれても構わない。もっと、お金を「貢がせて」ほしい。次は、チップは一万円がいいだろうか。三カ月前までプレイしていたカードゲームは、「貢ぐ」ために引退してしまった。  三日後、世界大会で注目されたカードをいまのうちに売っておこうと、カードショップへ向かった。梅雨ということもあり、雨が降る日が続いていた。カードを袋に包んでリュックを前で背負い入店し、一応、買い取り価格の表を確認した。  三千四百円のカードを三枚。千八百円のカードを四枚。  夏のイベントは、諸事情により欠席されるとのことだったが、新刊は出ると告知されていた。となれば、二万円くらいはチップを上乗せしたい。正直、五万円くらいでも勿体(もったい)なくないのだが、逆に気を遣わせてはならないと思い、この値段にすることにした。  お店を出ると、ざあざあと雨が降っていた。煉瓦道(れんがみち)が雨に打ち鳴らされる音を、しばらく聞いていた。  うつ病で休学をしていたとき、カードゲームにはまった。バイトや勉強はしていなかった。休学前にしていたことが、できなくなってしまったからだ。  そんなとき、カードゲームは、なにもしていないというプレッシャーを埋めてくれた。誰かと対戦をするわけではない。公式サイトの「カード一覧」を見て、欲しいカードを決めて、通販でパックを買い、当たるか当たらないかのギャンブルを楽しんでいた。  その結果、お目当てのカードがでなくても、何千円もの値がつくものをいくつも手に入れることができた。傷つかないように、スリーブにいれて保存をしていた。  この趣味は、復学後も続いていた。というより、大学で定期的に募集しているバイトをするようになってからは、「資金」が増えたので、よりいっそうハマってしまった。  しかし、抗うつ剤を服用しなければ、生活をするのは困難なままだ。完治したわけではない。勉強もバイトも「できないこともない」という感じだ。 《持病が悪化してきたので、薬を飲んでいます。眠気が止まりませんが、有り難いことにお仕事を頂けているので、もりもり頑張っていました。近いうちにいくつかお仕事の報告ができそうです》  だからこそ、偶然見つけたこのSNSの投稿に、僕のこころが動かされないわけにはいかなかった。  うまく言葉にはできないけれど、自分の劣等感が反転したというか、シンパシーを感じたというか、ともかく、この方の活動の軌跡を追いたくなったのだ。  それで、支援サイトに入会し、グッズにチップを上乗せするようになった。 《薬の副作用でしんどくてしばらく更新できなくてごめんなさい。お仕事はしっかりしていて、今週中に発表できるものもいくつかあります。わたしなりに頑張っているつもりです。梅雨になると身体の調子が繊細(せんさい)になるのでしんどいですが、自分に任されている仕事はしっかり納品できるようにします。ボツ絵で申し訳ありませんが、ここに載せておきます!》  支援サイトでは、SNSでは見せない、踏み込んだ話をしていた。悲痛の叫びのなかに、希望の光を(つか)もうと努力している必死な姿がうかがえた。死ぬまで応援したい。そう決意せずにはいられなかった。  冬のイベントには参加されるとのことだった。  お手紙をお渡ししたくなった。いままで、記事にコメントを打ち込んだことはない。SNSでリプライを送ったこともない。他の人から見えてしまうのがイヤなのだ。だからこそというか、この機会に、自分の想いをちゃんと文章にしたかった。  大学から振り込まれたバイト代を握りしめて、便箋(びんせん)とイベントの入場券を買いに行った。  あとは、電車代をなんとかしなければならない。近場だったら今月のバイト代でなんとかなったのだが、距離と時間の関係上、行きだけは新幹線に乗らないと間に合わない。帰りは――帰れれば、なんでもいい。  勘定をしてみると、大体で一万五千円。それならば、カードを売ればいい。千円から二千円の値のつくカードならば、たらふくある。  しかし……カードが尽きてしまえば、いままで通りとはいかない。使うお金が減れば、心配をされてしまうのではなかろうか。それは、うぬぼれだろうか。  だが、たとえ自意識過剰だとしても、いままでのように「貢ぐ」ことができなくなったならば、自分で自分を(ゆる)すことができない。  しかしこんな調子で、将来、社会人としてやっていけるのだろうか。そんな一抹(いちまつ)の不安を、ぐいっと両手でこじ開けようとする何者かがいる。こいつに屈服してしまえば、僕は自分を否定し続ける日々に落とされる。そうした予感に身が引き締まる。  当日、想像以上の混雑のなか、もう撤収していないかと不安に思いながら、気持ちは早足で一番奥にある会場へと向かった。するとまだ、座ってそこにいて下さった。  ファンレターを差しだすと、困惑した顔をされてしまった。しかし手紙を裏返し、ハンドルネームを見て下さった瞬間、困り顔は瞬く間に晴れて、「いつもありがとうございます」と、(おっしゃ)って下さった。いままでのことが、報われた気分だった。  先生の作品が大好きです、今日は先生のためだけに来ました、これからも応援させてください――と、思いの丈を、お伝えした。  僕は帰りのバスのなかで、「いつもありがとうございます」という言葉を何度も思い返し、リュックを顔に押し当てて、声を出すまいと必死になりながら、みっともないくらいに、泣いた。  〈了〉
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