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2
それから数日、俺はあの男の言葉が頭から離れなかった。人の感情が物質として存在するなど、常識では到底信じられない。
しかし、あの夜から妙な夢を見るようになっていた。
夢の中、霧の中を彷徨い、知らない誰かの人生が垣間見えるのだ。
涙に沈む母親や絶望に押し潰された少年、彼らの感情はまるで見えない鎖に縛られているようで、その生き様はどれも痛みを伴い俺の心に焼き付く。
夢から覚めた時、いつも俺の全身は汗でびっしょりだった。
そんな苦しさと共に起きたある朝、枕元には小さな瓶が一つ転がっていた。中には、あの時男がくれたものと同じような、黒く濁った液体が入っている。
「……本当だったのか?」
瓶を恐る恐る手に取り目の前で振ってみると、重く、ねっとりとした感覚が伝わった。
俺は考える。
もしかしたら、夢の中の人々は現実のどこかで生きているのではないか。彼らの心に沈んだ後悔や罪悪感が、この黒い液体として具現化したのではないか――そう思うと、恐怖と興奮が胸を騒がせる。
しかし、同時に疑問も頭をもたげた。
これが悪戯ではないとして、俺は何もしていないのだ。ただ夢を見ただけ。人の感情を引き出すなんて容易ではないはずだが、俺の手にこれが、なぜ――?
問いを抱きながら無意識に街を彷徨う俺の足元には、黒い液体の重みがまとわりついていた。今日は特に夢で見た人々の後悔や絶望が頭から離れない。
ゆめうつつでぼんやり歩く視界に入ったのは、駅前のベンチに座る一人の中年男性だった。古びた写真を握り込む彼の顔には深い皺が刻まれ、疲れきった眼差しが遠くを見つめている。
吸い寄せられるように彼に近づいた俺は、言葉は交わさないまま、ただ隣に座った。
やがて彼は、ぼそりと呟く。
「もう少し早く、謝っていれば……」
その一言が、まるで湖に一つ投げ込まれた石のように、静かに心に響き渡った。周囲の音が一瞬消え、世界が揺らぐ。視界がぼやけ、次の瞬間には、俺は別の場所に立っていた。
これは夢だ、と認識すると同時、先ほどまで隣にいた男性の過去が映し出される。
彼が失ったもの、言葉にできなかった後悔が。
夢の終わり、目を開けた俺の手元にはまた新しい瓶が一つ増えていた。
俺は瓶を握りしめ、息を切らしながら家へ駆け戻る。黒い液体の重みだけが手にまとわりついた。
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