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幾日
「そうだこれ、忘れないうちに返しとくわ」
橋本はそう言って、純平に茶封筒を渡してきた。
「なに、これ」
「なにって、昨日のお金だよ。貰い過ぎだって言ったろ」
そういえばそんなこと言ってたなと、言われて初めて思い出した。
「お前も律儀だな。でも、わざわざありがとうな」
純平は昨日置いていったお金に関しては何とも思っていなかったのに、橋本がわざわざ持ってきてくれたので、その気持ちを汲むことにした。
それから二人で公園を出て、純平の実家と橋本の家との分かれ道で別れた。また正月に会うことを約束して。
純平が実家の玄関を開けると、来客なのか、見たこともない男物の靴が揃えてあった。純平の帰宅に気づいた母親が、顔を出してくる。
「純平、遠山先生がいらしてるから、ご挨拶してらっしゃい」
母親にそう言われ、純平は自分の心がざわついた。
梓が純平の元からいなくなって初めて、梓の父親と再会することになったからだ。
純平は持っていたバイオリンを母親に預け、リビングに入る。そこには、梓と同じ目をした男性が、父親と一緒にお茶を飲んでいた。
「こんにちは。お久しぶりです」
純平が挨拶すると、梓の父親は純平を見て笑顔を見せる。
「純平くん、久しぶりだね。なんだ、ずいぶんと良い男になったな」
「いえ・・・年を重ねただけで、何も変わっていませんよ」
「そうか・・・・・・君も大人になったんだね」
梓の父親は、純平に誰を重ねているのか、懐かしむように純平に話しかけてくる。そして母親が純平の分のお茶を持ってきたので、必然的に一緒に座ることになってしまった。
「純平くんは今、東京って聞いたけど、お仕事は何をしているの?」
「今はバイオリン教室の講師と、音楽事務所に所属しているので、フリーランスでもいろいろさせてもらっています」
「そうか。頑張っているんだね」
「まあ・・・俺にはバイオリンぐらいしかありませんから」
「それでも、食っていけるなら立派だよ」
そう言われて純平は、自分は本当に恵まれていると思った。
バイオリンだけで生活できない人も多い中、自分は安定した収入もあって今のところ不自由はしていない。それもすべて、周りの人のおかげというのが大きいので、それについては本当に感謝していた。
「あとね、今日は純平くんにこれを渡そうと思って持ってきたんだ」
梓の父親はそう言って、テーブルの上にDVD1枚と封筒を置いた。
「あの・・・これは?」
純平に聞かれると、梓の父親は静かに答えた。
「このDVDは、君と梓が一緒に出たアンサンブルコンクールの映像だよ。僕が客席から撮影したものだけど、よかったら君が持っていてくれ」
「あの時の・・・・・・」
純平はあのコンクールの思い出を思い出すと、今でも胸が苦しくなる。
例え映像であっても、梓の姿をきちんと見れるか不安だった。
「それとこれは今度、飯倉真純が12年ぶりに日本で凱旋コンサートをするんだ。そのチケットだよ」
「・・・・・・え?飯倉真純の・・・?」
「ああ。何の前触れもなく、このチケットと簡単なメモが送られてきたんだ。相変わらず自由な人で困るよ。でもね、その日は僕も大事な学会があって行けないんだ。だから純平くんに譲ろうと思って」
梓の父親はそう言って、クラシックファンにはプラチナチケット化している、飯倉真純のバイオリンコンサートのチケットを純平に渡してきた。
「でも・・・・・・俺が行ってもいいんですか・・・・・・?」
飯倉真純は梓の父親に来てほしくてこのチケットを送ったはずなのに、自分が行っていいものかと考えてしまう。
「その心配はないよ。彼女には僕からちゃんと言っておくし、心配しないで。それに、僕が行くより純平くんが行くことの方がずっと価値があると思うからさ」
そう言ってニコッと笑うと、お茶を一口飲む。純平はその好意を素直に受け取ることにした。
「ありがとうございます・・・・・・」
純平は梓の父親に深く頭を下げた。
梓の父親は、なにも言わずに純平に笑顔を向けていた。
その日の夜。雫が花火をしたいというので、庭でみんなで花火をした。雫の父親で姉の旦那の洋祐も来たことで、雫はとても楽しそうにしていた。
「純平くんはいつ戻るの?」
「明後日の朝には帰ります。午後はレッスンが入っているので」
「そうかー。帰ってすぐお仕事だと大変だね」
「ははっ、仕事があるだけありがたいことです」
純平と洋祐は、雫が花火でキャッキャッと遊んでいるのを見ながら、缶ビールを飲んでいた。
「雫がもし、バイオリンをやりたいって言ったら、純平くんにお願いしようかな」
「まぁ、いいですけど。俺、こう見えて結構厳しいですよ」
「そうなの?そんな風には見えないな」
洋祐は雫を甘やかす純平しか見たことがないので、バイオリンの指導に関してもそうだと思っていた。
「俺が今いるバイオリン教室は、元々花純先生の教室で、東京の教室を1つ任されたんです。なので、花純先生のためにも中途半端な指導は出来ないんですよ」
「花純先生っていうのは、純平くんの師匠?」
「そうですね・・・・・・言い方はアレかもしれませんが、小学3年生の時から師事している先生です。今でも全然頭が上がりません」
ははっと乾いた笑い声を出す。
「まあでも、バイオリンじゃなくても何か習い事をするなら、早い方がいいですよ。本人が何に興味があるのかも大事ですが・・・・・・」
「わかった、ありがとう純平くん。雫には何がいいか杏子とも相談するよ」
純平と洋祐はそう言い合って、二人でまた雫の顔を見ていた。
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