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家族
梓に自宅の防音室での練習を提案したその日の夜、純平は早速、両親にその相談をした。
お互いの親同士が知り合いとはいえ、毎日同級生の女の子が自宅に来ることになるので、そこはきちんと話しておかなければと思っていた。ただし、梓の病気に関しては伏せておくことにした。
「まあ、そうね。季節的に外じゃ練習しづらいし、いいと思うわよ。お父さんはどう?」
「ん・・・・・・まあ、うちは全然かまわないよ。それより純平、お前は梓ちゃんとは・・・その、・・・・・・何もないのか?」
父親の歯切れの悪い言い方に、純平は困惑する。一体何を言っているのか、何が言いたいのかわからなかった。
「何もないのかって、何が?」
全く気付かない息子に対して、父親は呆れつつも言い方を変える。
「はぁ・・・・・・つまり、お前は梓ちゃんとお付き合いしているんじゃないのかって聞いているんだ。もしそうなら、いくらガラスになっているとはいえ、密室に女の子と二人だけには出来ないだろう。何かあったら、遠山先生にも顔向けが出来ないし・・・」
純平はそこまで言われてやっとわかった。父親が何を心配しているのかが。
「ちょっ、ちょっと待ってよ父さんっ!梓とは何もないよ!それに、12月のコンクールが終わったら、もう一緒に練習することもないし、それまでの関係だよっ!」
両親の前で異性の話などしたくはなかったが、ここを曖昧にするととんでもないことになりそうなことは純平にもわかったので、そこははっきりと言っておいた。
「そうか・・・・・・まあ、そういうことなら頑張りなさい」
純平の言葉を聞いて父親も安心したのか、防音室を使うことを許してくれた。
その翌日の放課後。純平と梓は、先に梓の自宅にバイオリンを取りに行って、純平の自宅へ向かった。
「ただいまー」
純平が玄関を開けると、中からは誰の返事もない。
そういえば、両親とも今日は仕事で留守だったことを思い出す。姉の杏子は東京の大学に進学したため、元々いなかった。
「梓、とりあえず入って。俺、バイオリン取ってくるから」
「うん・・・わかった。お邪魔します」
純平は梓をリビングに通し待つように言うと、自分は二階の部屋へ向かった。家人のいないリビングにひとり残された梓は、その部屋をぐるっと見渡す。棚の上には写真がいくつか飾られており、家族四人で撮った写真から、杏子の写真、そして純平がまだ幼い頃の写真など、その棚の写真には愛情が溢れていた。
「ごめん、お待たせ。防音室に案内するよ」
純平がリビングに入ってきたことに気づいた梓は、写真から目を離す。
「あっ、ごめんなさい。勝手に見ちゃって・・・」
「ははっ、いいよいいよ。気にしてないから」
そう言いながら純平は梓のそばに近づく。
「この人は、純平くんのお姉さん?」
「うん。今年から東京の大学に行ってて、今はいないんだ」
「そうなのね・・・」
ここで純平は、何の気なしに梓に聞いてみた。
「梓は兄弟とかいないの?」
「私は・・・一人っ子で、今はお父さんと二人暮らしなんだ」
「え・・・・・・」
自分で聞いておいて、純平はひどく後悔した。こんなこと聞かなければよかったと。でも梓は話を続けた。
「私のお母さんが飯倉真純っていうのは、純平くんも知っているでしょう?」
「・・・・・・うん」
「飯倉真純はね、私を産んだ後すぐヨーロッパツアーに行っちゃって、私はあの人と過ごした記憶がほとんどないの。お父さんも医者で仕事が忙しかったから、私は父方の祖父母にずっと育てられたの」
自分の病気を打ち明けた時と同じように、梓は淡々と自分の生まれ育ってきた境遇を語り始めた。
「それでもお母さんは、いい時は一年に一回は私に顔を見せてくれた。でも、そんな夫婦生活が上手くいくわけないでしょ。両親は私が小学校にあがる前に離婚したの。親権はもちろんお父さんで。私、お母さんのことはよくわからないけど、花純ちゃんのことは大好きだった。花純ちゃんがお母さんになって欲しいっておねだりしたこともあるの。今思えば、とっても困らせてしまったと思うわ。私はお母さんのバイオリンよりも、花純ちゃんのバイオリンが好きだった。けど、小さい頃からお母さんの音源を聞いて育った私は、自然とその音しか出せなくなったのよ。だからあのコンクールでは私はズルをしたって言ったの」
梓は梓で、自分の境遇に悩んでいた。どんなに練習しても、どんなに上手くなっても、「飯倉真純の娘」というのはついて回るし、そんな梓が飯倉真純と同じような演奏をすれば、「親の真似しかできない」とレッテルを貼られてしまうだろう。
純平も、梓の人となりが分からなければ、同じように思っていたかもしれない。そんな風に考えた自分を心の中で打ち消した。
「俺は、梓の音と飯倉真純の音が同じだとは思わない。梓の音は梓だけが出せる、唯一の音だよ。だから、ズルをしたなんて思う必要はないよ」
純平にそう言われて、梓は少しだけ心が軽くなったのを感じた。たぶん、ずっと誰かにそう言って欲しかったんだと思う。特に、あのコンクールで同じ表彰台に立った純平に言われたことが、何よりも嬉しかった。
「ありがとう純平くん」
梓がふわっと笑顔を見せると、また純平の胸の奥がギュッとなる。でも純平はその違和感にまた気づかないふりをした。
「ただいまぁー」
玄関から母親の声がしたので、純平も梓も一気に現実に戻される。
リビングのドアがガチャっと開いて、母親は棚の前に立つ二人を見る。
「おかえり、母さん」
「お邪魔しています」
梓は両手を体の前で合わせ、丁寧にお辞儀する。
「いらっしゃい、梓ちゃん。二人ともこれから練習?」
「ああ、うん。さっき帰ってきたばっかりだったから。行こうか、梓」
何もやましいことなどないが、純平はなぜかこの場を立ち去りたくて、梓を防音室へと案内した。
リビングから外履きに履き替えて、庭の奥にある防音室へと入る。バイオリンを取り出して調弦すると、二人はすぐに気持ちを練習モードへと切り替えた。
それから二時間。二人はみっちり練習した。
外は真っ暗でも、防音室の中は明るく、やっぱりここにして正解だなと純平は思った。
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