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亀裂
「ただいま」
実家の玄関を開けると、家の中からパタパタと母親がエプロン姿で出てきた。
「おかえり純平。早かったのね」
「あーうん。昼前の新幹線に乗ってきたから」
「そう。あっそうだ、部屋に行くならこれ持ってって」
母親はそう言うと、純平に真新しいシーツを渡す。
それを見て純平は「自分で替えろってことか」とすぐに察知して、それを受け取るとそのまま自分の部屋に上がっていった。
正月ぶりの実家の自室は、母親がきれいに掃除をしてくれていたのか、清潔に保たれていた。
純平は新しいシーツをベッドに置き、そのまま自分のスマホを見る。
スマホにはメッセージが1件表示されていた。
相手は高校の同級生で親友の、橋本将貴からだった。
純平はそのメッセージを確認すると、スマホをベッドの上に放り投げ、両足を床につけたままベッドに横になり天井を見る。
目を閉じれば必ず浮かぶ梓の顔。
思い出したくなくても思い出す梓の顔は、いつも凛としていて前を向いている純平が一番好きな顔だった。
いつの間にかそのまま寝てしまっていた純平は、ふと気が付きスマホの時計を確認する。
時刻は18時03分になっていた。
橋本との約束を思い出し、軽く身だしなみを整えた後、1階へ降りていく。
「母さん、ちょっと出かけてくる」
「えー?夕飯はどうするの?」
「橋本たちと一緒だからいいや。外で食べてくる」
「そう。あんまり飲み過ぎないようにね」
「わかってるって」
ガラガラっと玄関を開けると、夏のむわっとした空気が肌にまとわりつく。
8月の18時過ぎはまだまだ明るく、夏休み期間中の子供たちは町にある小さな公園で鬼ごっこをして遊んでいた。
橋本と待ち合わせをしているのは、町にある数少ない居酒屋の一つ『錨』だ。
毎年、正月と盆の2回必ずといっていい程、錨でこの町で育った同級生数名と顔を合わせる。
今日もその恒例行事のためやってきた。
「おっ、純平!こっちこっち!」
店に入ると、突き当り奥の座敷に橋本を含む同級生5人が、すでに飲み始めていた。
「悪い、遅くなって」
言いながら純平が座敷へ上がるなり、橋本が、
「大将!生一つね!」
と、純平に何を飲むか聞くこともせず勝手に注文する。
それでも純平は、何も言わずにそれを受け入れる。これが自分たちの当たり前だったから。
「かんぱーい!」
純平を含めた男6人だけで、ささやかな同窓会が始まった。
全員、いまはこの町から車で30分ほどの大きな町でそれぞれ仕事をしている。純平だけがずっと東京に居続けた。
乾杯の後、いつも通り運ばれてきた料理を食べながら、男6人で近況報告をし合っていた。
すると、同級生の1人の吉田が、純平におもむろに聞いてきた。
「なぁ、純平。きれいな東京の彼女は出来たか?」
酒の場で同級生同士で話すことといえば、仕事の話か、思い出話か、女の話だ。
そしてこの話題も、いつもの定番として茶化すようになっていた。
「お前毎回聞くけど、俺のそんな話聞いて楽しいか?」
「楽しいとかそんなんじゃなくて、俺らは純平が心配だから聞いてるんだよ」
「・・・・・・別に、心配してほしいなんて言ってないだろ」
「お前がさっさと彼女を作ってくれたら、こんな心配なんかしないんだよ」
吉田のその言い方に、純平は嫌気が差した。
会うと毎回必ず言われるその言葉に、純平はいつも通りの答えを口に出す。
「毎日仕事が忙しいし、女に構っている暇なんてないんだ」
この一言を言えば、いつも「そうか」と言って話は終わる。
だけどこの日はそれで終わらなかった。
「純平、いい加減吹っ切って前に進めよ。いつまで引きずっているんだよ」
その言葉に、それまで楽しく話していた雰囲気が一変する。
それを見ていた橋本が、場を和ませようと明るい声を出してきた。
「まぁまぁ、吉田。純平にも純平の考えがあるんだし、俺らが口出すことじゃないだろ?純平も、吉田の気持ちをわかってやれよ。な?」
その言葉に触発されたのは、吉田の方だった。
純平のことなのに、橋本に掴みかかる勢いで捲し立てる。
「そんなこと言っても、純平がいまだに東京で待ち続けているのは、遠山のためだろ⁉あれから何年経った⁉純平が苦しんでいるのを、俺らはあと何年見続けないといけないんだ⁉」
「吉田・・・・・・」
「遠山が純平の人生をめちゃくちゃにしたんだ‼だから・・・」
「吉田‼」
純平が吉田に向かって大声を上げる。その顔は、普段温厚な純平からは想像もつかないほど、怒りに満ちていた。
「これ以上梓のことを悪く言うな。これは俺が決めたことだ。梓は悪くない」
それだけ言うと純平は財布から1万円札を出してテーブルに置き、「今日は帰る」と言って店を出た。
店を出ると辺りはすっかり暗くなっていた。
そのまま実家に帰る気にはなれず、純平は町が見渡せる高台にある公園へと足を向けた。
その場所は、かつて梓と一緒によく訪れた場所でもあった。
純平は年に2回帰省するものの、その場所に行くのは高校生以来だった。
楽しかったことも、苦しかったことも、全てその高台の公園での出来事だったがために、純平は足を向けることが出来なかった。
そしてその公園を目指しながら、純平は梓とのことを思い出していた。
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