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先生たちがいなくなった会議室で弁当を食べ終わった後、純平と梓は金曜日に演奏する曲をどうするか相談した。
「コンクールで演奏したのは、がっつりクラシックだしな・・・聴き慣れない人には退屈だろうな」
「でも、校長先生はそれをやってほしいって言ったんだから、私たちがそこまで気を遣う必要はないわよ」
「そうかな・・・」
「そうよ」
梓はきっぱりと断言する。頼んできたのは先生たちの方なので、自分たちがいちいち気を遣う必要はない。そう言い切った。
「でもね、せっかくだし純平くんとやってみたい曲があるのだけど・・・」
「それって、金曜までに間に合う?」
「私と純平くんなら大丈夫よ」
ここでも梓はきっぱりと言い切る。しかし、他にいい案が思い浮かばないので、純平は梓の提案に乗ることにした。
昼休みが終わり、二人で教室に戻ると、吉田に何の話だったんだ?と聞かれ「バイオリンの話だよ」とだけ言うと、それ以上は聞いてこなかった。
逆に、自分と梓の共通点であるバイオリン以外で、どんな話があると思うのか聞いてみたかったが、後で後悔しそうだったのでそれを聞くのはやめた。
その日の帰宅後、純平は梓が家に来るまでバイオリンの調弦をして待っていた。梓との練習は先週で終わったはずだったのに、花純の一言でデュエットを続けることになり、しかも金曜日に全校集会で演奏することになったため、またいつものように防音室で練習することになるなんて思ってもいなかった。
しかし純平は、こうして梓と練習を続けられるようになって、内心喜んでいた。どうしてそう思うのかはまだわかっていなかったが、梓と二人で弾くのは楽しいし、なにより心地よかった。
花純は純平と梓の相性がいいと言っていたが、純平もそう思っていた。それは、恋愛的な相性ではなく音の相性だ。
梓と合わせる音は、弾いている本人でさえも聴き心地が良く、どんどんその音に吸い込まれていく感覚があった。純平の音と梓の音が一つになって溶けていく。その溶けた音の中にいつまでも浸っていたい、そう思わされることが何度もあった。
「お邪魔します・・・」
梓がバイオリンと楽譜を持ってやってきた。
「純平くん、おばさまは?」
「あー・・・まだ帰ってきてないけど。何かあった?」
純平が梓に尋ねると、梓は恥ずかしそうに小さな声で答える。
「今度、一緒にケーキを作る約束をしてて、それで・・・」
「ケーキ?」
「うん。クリスマスケーキをね、一緒に作ろうって話していたの」
梓にそう言われて、純平はカレンダーを見て思い出す。
来週には二学期の終業式があり、その翌日はクリスマスになっていた。
まさか梓が、自分の母親とそんな約束をしていたとは思わなかった。
クリスマスの話も気になるが、とりあえず今は金曜日の全校集会に向けての練習を優先するため、早速二人で防音室へと入り練習を始めた。
梓が純平とやってみたいと言っていた曲は、純平も初めて弾く曲だったが、なかなか面白い曲で、これなら退屈させずに済むだろうと思った。
そして二人は、念のためもう一つ曲を準備することにした。
それからあっという間に金曜日になった。
純平と梓がバイオリンを持って登校すると、クラスメイトからなんだ、なんだという目で見られた。しかし二人は、登校してカバンを置くと、すぐにバイオリンと楽譜、そしてメダルを持って職員室へと向かう。
そして全校集会が始まった。
まず初めに、校長先生の意味があるのかないのかわからない、長ーい話が始まった。その頃純平と梓は、学年主任の先生と共に舞台袖で準備をしていた。
「二人とも緊張してる?」
学年主任の先生にそう尋ねられたが、二人とも舞台慣れしているのでさほど緊張はしていない。
「コンクールじゃないし、全然ですよ」
「さすがね。あなたたちの演奏は、校長先生や教頭先生だけじゃなく、他の先生方も期待しているから、頑張ってね」
梓はどう思っているかわからないが、純平はこれで内申が少しでも良くなるなら御の字だと思うことにした。そう思っていないとやってられないからだ。
そうしているうちに、学年主任の先生が舞台に立ち、純平と梓の名前を呼び全校生徒に紹介した。
名前を呼ばれた二人は、バイオリンを持ったまま舞台の中央へ立った。
二人の胸には、グランプリ受賞者に贈られるメダルが、首からかけられていた。
「1年3組の夏見純平くんと遠山梓さんは、先日行われた弦楽器アンサンブルコンクールの二重奏の部門で1位を獲得。そして、総合グランプリまで獲得するなど、素晴らしい成績を残しました」
先生がそう話すと、パラパラと拍手が起こる。
やっぱり、バイオリンと聞いても、ほとんどの人はあまりピンとこない。
「それでは、これからお二人に演奏してもらいましょう。曲はバッハの2つのバイオリンのための協奏曲 ニ短調 第一楽章です」
先生に紹介され、二人は1週間ぶりにバッハを演奏する。今週は他の曲の練習に時間を取ったので、肝心のバッハはぶっつけ本番だった。
しかし純平も梓も、夏休み前から散々練習していたので、1週間くらい空いたからと言って合わせられないということは全くなく、いつも通りの演奏が出来た。
バイオリン2本での演奏にもかかわらず、まるでオーケストラでもいるかのような華やかな二人の演奏に、体育館に集まった生徒は純平と梓に釘付けだった。
最後の一音で二人の弓が同時に弧を描いて曲が終わると、二人を紹介した時よりも大きな拍手が贈られる。
純平も梓も、ここまでの拍手を期待していなかったので、二人で驚いてつい目を合わせて笑ってしまった。
「さあ、梓。やるか」
「そうね、任せたわよ純平くん」
二人はそう話すと、この数日で仕上げた曲を弾き始めた。
曲はアルゼンチンの作曲家、アストル・ピアソラの「リベルタンゴ」だ。
この曲は比較的新しい年に発表された曲で、テレビなどで聞いたことがある人も多いだろう。タンゴ独特のリズムと、センチメンタルなメロディを併せ持つ楽曲は、あっという間に体育館の中を舞踏会の会場へと変えてしまった。
純平がメロディーを弾けば、梓が伴奏とリズムを奏で、梓がメロディーを弾けば、純平が伴奏とリズムを奏でる。
バイオリンを弾いている二人が、まるでそこで情熱的にタンゴを踊っているかのような雰囲気に包まれる。
時間にして約3分半の演奏にもかかわらず、その内容はあまりにも濃厚で、充実していた。その演奏が終わると、先ほどよりももっと大きな拍手が沸き起こった。
「ブラボー!」
「いいぞー!純平!遠山!」
橋本や吉田の声が聞こえてくる。それにつられて、クラスメイト達も二人に声を掛けてきた。
「アンコール!アンコール!」
誰が言い出したか、アンコールの声が聞こえてきたので、二人は用意していたもう一つの曲を演奏することにした。
来週はクリスマスのため、クリスマスソングメドレーを肩の力を抜いて、楽しく演奏する。
そうして、校長先生からの無茶振りで行った全校集会でのバイオリン演奏は、純平と梓を学校一の有名人にして幕を閉じた。
🎻 🎻 🎻
「あの全校集会は、確かに忘れられないな」
吉田は軟骨のから揚げを食べながら、しみじみと思い出す。
「全校集会のあとに、純平と遠山のコンクールの写真が掲示板に貼り出されただろ?あれで、二人のファンが一気に増えたんだよなー」
橋本の話を聞いて、純平も思い出す。梓のあのドレス姿を、自分以外の男に見られたことが悔しかったことを。
しかしそのあと、自分の思いを自覚する大きな出来事が起こった。
それがなければ純平と梓の関係も、それほど大きく変わることはなかっただろう。それくらい、二人にとって忘れられない出来事が待ち受けていた。
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