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偶然
吉田と気まずい雰囲気になった純平は、錨を出た後、町を見渡せる高台にある公園にやってきた。
ここに来る間、高校時代のことを思い出していた純平は、酒を飲んでいたということもあってか、梓との思い出がたくさん詰まったこの場所に10年ぶりにたどり着いた。
(ここに来るつもりじゃなかったんだけどな・・・・・・)
梓のことを吹っ切れていない純平は、正直この場所に来ると胸が苦しくなる。この場所はいとも簡単に、純平をあの頃へと引き戻してしまうからだ。
町を見渡すことのできる展望台にあるベンチに腰掛け、純平はまた、梓との思い出を頭の中で蘇らせた。
🎻 🎻 🎻
梅雨明けを迎え、夏休み直前のある日の日曜日。純平は前日のレッスンの際に、バイオリン教室にいまやっている課題曲の楽譜を忘れたことに気づき、それを取りに行くため教室に向かっていた。
レッスンがない日はいつも高台の公園で自主練習をしているので、楽譜がないと困るからだ。
「こんにちはー」
純平が教室のガラス扉を開くと、すぐに田辺が気づく。
「あっ、純平くん。楽譜ここで預かってるわよ」
「ありがとうございます」
教室に向かう前、純平は楽譜があるか確認の電話を入れていた。それを受付で預かって貰っていた。
すると、純平の耳にバイオリンの音が入ってきた。ここはバイオリン教室なのだから、当然と言えば当然だろう。でも、その音は生徒よりも明らかに上手く、でも花純のものとも違う。しかも純平は、この音に聞き覚えがあった。
「田辺さん、いまレッスンしているのって・・・」
「ああ、花純先生の姪っ子さんでね、もの凄く上手いのよ」
「花純先生の姪っ子・・・?」
花純には二つ上のお姉さんがいる。名前は飯倉真純。ヨーロッパを中心に活躍するプロのバイオリニストで、毎年ワールドツアーを行うほど有名な人で、世界中のバイオリニストはもちろん、クラシックファンから最も愛されるプレイヤーの一人でもあった。
(まさか、そんなすごい人の娘がここに・・・?)
純平は、飯倉真純の娘というだけで心がワクワクしていた。花純先生ももちろん上手いが、やっぱり飯倉真純とは違う。
あの繊細でかつ大胆な指さばきとしなやかな弓使い、それによって生み出されるダイナミックで正確な一音一音が聴く人を魅了する。純平もその一人だった。
気が付くと純平は、飯倉真純の娘が奏でる音に聴き入っていた。
さすが、飯倉真純の娘だなと思いながらも、やっぱりどこかで聞いたことのある音。それがどこだったか思い出せずにいると、レッスンが終わったのかレッスン室から花純が出てきた。
「あれ?純平、どうしたの?」
「あ・・・花純先生。楽譜を忘れて取りに来たんです」
「そういえば、そんなこと言ってたね。あっそうだ純平、せっかくだし私の姪っ子紹介するよ」
花純はそう言うとレッスン室に戻り、ほどなくして一人の女の子を連れてきた。その女の子を見て、純平は目を見開いた。
「純平、私の姪っ子の遠山梓。梓、彼は夏見純平。梓と同じ高校1年生だよ」
花純はニコニコと純平に梓を紹介する。
しかし、紹介された二人はこの状況に戸惑ってしまった。
(遠山梓が飯倉真純の娘⁉苗字が違うし、一体どうなってんだ⁉)
純平は一人で考え込んでしまった。遠山梓がバイオリンをしていることは知っていたが、まさか自分の師事する講師の姪っ子で、しかも自分が尊敬している飯倉真純の娘だなんて思いもしなかったからだ。
偶然にしてはあまりにも出来過ぎてないか⁉と神様を恨めしく思ってしまうくらいだ。
対する梓の方は、純平がクラスメイトであることは理解していた。なにせ、自分が席に着く時に必ずといっていい程、純平が座っているから純平の顔はさすがの梓でも覚えていたし、後ろの席の男の子の名前に心当たりがあったから、何かきっかけがあれば聞いてみようと思っていた。
そして、そのきっかけが今だと思った梓は、思い切って純平に聞いてみた。
「夏見純平って、2年前のコンクールで2位だったあの夏見純平?」
よりによって一番言われたくないことを言われた純平は、ムッとしながらも「そうだけど・・・・・・」とだけ答えた。
しかし、その答えを聞いた瞬間の梓の反応は、純平の予想の斜め上を行くものだった。
「私、あのコンクールであなたのバイオリンを聴いたとき、あなたに負けたと思っていたの。だから、あなたに会えて嬉しい」
「・・・・・・え?」
一瞬、梓に何を言われたのか理解が出来なかった純平は、梓の顔をジッと見つめてしまった。
「こら、純平。いくら梓が可愛くても、そんな目で女の子を見るんじゃない」
「・・・・・・は?・・・はぁ⁉」
花純に見当違いのことを言われて、純平は焦った。その様子を梓はただ笑って見ているだけだった。
それから気を取り直した純平は、一つ咳ばらいをして梓に聞いてみた。
「俺に負けたって、なんでそんなこと思ったの?あの時の演奏は、絶対に君の方が良かったと思うけど」
そう、純平は4連覇を逃したあのコンクールで梓の演奏を聞いた瞬間、今回は無理かもと思っていた。純平は純平で、梓の実力を認めていたのだ。
そんな純平に、梓は少し考えて答えた。
「私の音は私のものじゃないの。特にあの時の音は全て飯倉真純の音だった。だからあの時の私は、ズルをしたのよ。本当の私は、自分の音でバイオリンを弾きたいの」
梓は純平のことをまっすぐ見て言い切った。
梓は梓で、親への劣等感に悩み、周囲からの期待に押し潰されそうになっていた。だからそんなことを思ったのかもしれない。純平はそう考えた。
「梓、お姉ちゃんのことをあまり意識しないで、やりたいようにやってごらん。自由にのびのびと、ね?」
花純が梓にそう言って話しかけると、梓もふわっと優しく微笑んだ。その笑顔を見て、純平はなぜか胸がキュッとなるのを感じた。
「ところで夏見くん。バイオリンをしていることはクラスの皆は知ってるの?」
「・・・あ、ああ。知ってる人は知ってるけど・・・」
「え?ちょっと待って、二人ともお互いのこと知ってたの?」
純平と梓の会話を聞いていた花純が今度は戸惑っている。
「花純ちゃん、夏見くんとは同じクラスで出席番号も続きで、席も私の後ろなの」
「なんと・・・‼」
梓から衝撃の事実を聞かされた花純は、なぜか「めでたい」と言って、喜んでいた。しかし二人には、なにがめでたいのかさっぱりわかっていなかった。
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