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約束
その翌日。朝登校して教室にまだ人がまばらにしかいなかったとき、純平の目の前に梓が立っていた。
昨日の今日で気恥ずかしかったが、とりあえずクラスメイトなので挨拶だけはしておこうと思い「おはよう」とだけ言った。
すると、今までクラスの誰とも関わりを持とうとしなかった梓が「おはよう夏見くん」と言ったことで、近くにいた数人のクラスメイトがざわついたのが分かった。それでもお構いなしに、梓は純平に話しを続けた。
「夏見くん、これ」
そういって梓はA3サイズの紙を純平に渡してきた。純平はそれを見てすぐ、それが楽譜であることが分かった。
「2つのバイオリンのための協奏曲 ニ短調 第一楽章・・・バッハだね。これがどうしたの?」
「あなたと二重奏したいと思って」
「俺と?」
「そうよ。出来るでしょう?」
梓に挑戦的に言われ、純平はカチンときた。まるで、出来ないなんて言わないでよねとでも言われているみたいだ。
しかし、梓と二重奏をするとして、それの目的が純平にはわからなかった。
「出来るけど、これをやる目的が分からないし、第一俺いま、来月のコンクールの練習で手一杯なんだけど」
「夏見くんの実力なら、来月のコンクールは余裕でしょう?それと、その二重奏の目的もコンクールよ」
「・・・・・・は?」
「だから、12月にあるアンサンブルコンクールに出場しようと思って」
純平は梓の言っていることに理解が追い付いていかない。先週の金曜日まで、お互い何も関りを持つことのなかった、ただのクラスメイトだったのに、昨日花純に紹介されてからこの時まで、一体どういう心境の変化があって純平にこんなことを言うのか、純平には全くわからなかった。
始業時間が近づくにつれ、教室の中にもだんだんと人が集まり始めていた。そして、あの遠山梓が純平となにやら親しげに話していることに、全員の注目が集まっていた。
「1stと2ndどちらにする?」
「俺はまだやるとは言ってないし、君の実力なら二重奏じゃなくソロでも十分だろ?」
「夏見くん、私、昨日言ったじゃない。あなたに会えて嬉しかったって。夏見くんとはソロでライバルでもいいけど、あなたと一度でいいから二重奏をしてみたいの。花純ちゃんに相談したら、バッハなら夏見くんと合うだろうって勧められたの。ね?お願い」
こんな時の美人のお願いは卑怯だと思いながら、純平はまだ了承する気になれなかった。ずっとソロの曲しかやったことがなかったし、バイオリンの二重奏は経験がなかったからだ。
そんなことをぐだぐだ考えていると、梓からダメ押しの一言を言われた。
「それに夏見くん、来月のコンクールの課題曲も自由曲も完璧で、あまり手直しはいらないって花純ちゃんが言ってたよ」
「・・・・・・2年前もそう言われて余裕ぶっこいていたら、君に負けたんだよ」
またも思い出したくないことを言われた純平は、ふくれっ面になってしまう。そのままぷいっと横を見ると、吉田がこちらをずっと見ていることに気づく。そしてこの時やっと、純平はクラスの注目の的になっていたことに気づいた。その状況に純平は、早く話を終わらせようと梓の要求を了承することにした。
「わかった、やるよ。ただし、どんな結果になっても文句言うなよ」
「ありがとう夏見くん!」
そう言って梓がパッと笑った瞬間、純平だけではなく、吉田やその周りのクラスメイト達全員の胸が高鳴った。
純平と梓の話は、昼休みには1組の橋本まで届いていたらしく、昼休みに入るなり橋本が純平の元にやってきた。梓は昼休みは一人でフラフラとどこかへ行ってしまうため、教室にはいなかった。
「純平くーん、聞いたよー」
「なにが?」
「あの遠山梓に迫られていたって」
まあ、ある意味そうとも取れるだろうが、いまのところそんな色っぽいものではない。ほとんど脅迫に近いものだ。
「今朝のあのやり取りのどこに、そんなことを感じるんだ」
「だってさ、誰にも靡かない孤高の少女が、純平に特大スマイルを向けたって聞いたら、誰だってそう思うだろ?」
自分たちくらいの年齢になると、異性とのことや恋愛ごとに興味があるのは自然なことだし、純平にだってそれはある。しかし、今朝のやり取りは絶対にそういうのではないと純平は断言できた。
「俺は遠山にお願い事をされて、それを了承しただけ。それ以上は何もないから騒ぐな」
「お願いってなんだ?確かになんか、難しそうな話をしていたけど・・・・・・」
途中から話を聞いていた吉田も、その全てを理解している訳ではなかったらしい。なので純平は簡単に説明した。
「バイオリンの話だよ。遠山に二重奏をしてくれって頼まれた。ただそれだけだよ」
吉田も橋本も、純平がバイオリンをやっていることはわかっていたが、実際に弾いているのを見たことがなく、半分冗談だとずっと思っていた。
「え・・・純平ってさ、マジでバイオリン弾けんの?」
「弾けるけど・・・・・・なに、ウソだとでも思っていたのか」
純平にそう言われて、吉田と橋本はぎこちなく目を合わせる。
「いや、ウソとかではなく、弾いているのを見たことがないから・・・」
「ああまあ、そういえばそうだな。あまり見せようとも思っていなかったしな。でも、それなりには弾けるよ」
「もしかして、遠山梓とはそのバイオリン関係で知り合いだったとか?」
昨日から純平が一番忘れたいことを、こうやって抉られている。それでも、あらぬ誤解をされるよりマシだと、純平は2年前のコンクールの話をした。
それを聞いた橋本は「やっぱり運命じゃね⁉」と言い、吉田は「純平がバイオリンを弾いている姿が想像つかん」と全く見当違いなことしか言ってこなかった。
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