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練習
その日のHRが終わると、梓はくるっと後ろを振り返り、また純平に話しかけてきた。
「夏見くん、花純ちゃんのとこに行かない日の練習は、どこでやっているの?」
「え・・・・・・まあ、今は高台にある公園でやっていることが多いけど・・・・・・」
梓はそう言われて、どこだっけ?というような顔をする。引っ越してきたばかりで、まだこの町の地理が頭に入ってないようだ。
「一緒に練習したいんだけど、その場所がわからないわ・・・」
「一緒に練習⁉君と俺が⁉」
「そうよ。二重奏なんだから当たり前じゃない」
何言ってんの?とばかりに、至極当然のごとく梓は言うが、純平にそんな気は全くなかった。
とりあえず、来月のコンクールが終わってから、練習し始めたらいいだろうくらいに思っていたからだ。
そして今朝と同じく、二人はまたしても注目の的になっていた。しかも今は放課後。クラスメイトだけではなく、他のクラスの連中も見に来ており、その中には橋本の姿もあった。
純平はこの状況からまたしても逃れようと、素早くリュックを背負い、梓の腕を掴んで教室を出て行った。
二人の後ろからは、ヒューヒューとか、お熱いねーとか聞こえていたが、完全に無視をした。
下駄箱までやってきて、純平は掴んでいた梓の腕を離す。
「ごめん、引っ張って。痛かった?」
恥ずかしさを消すためとはいえ、かなり強引に女の子の腕を引っ張ってしまったと反省する。しかも、梓も自分と同じバイオリン奏者なのにと。
「ううん、大丈夫。私もごめんなさい。急に馴れ馴れしくし過ぎてしまって」
昨日から今日までで、梓が初めて反省を口にする。それを受けて純平も今朝から溜まりに溜まっていた留飲を下げた。
「とりあえず、学校では目立つから。バイオリン持って、町立病院の前に来て。公園まで案内するから」
「・・・・・・わかった」
学校で別れて50分後。純平はバイオリンケースを背負い、町立病院の門前で梓が来るのを待っていた。すると、純平が来て5分もしないうちに、梓も同じようにバイオリンケースを背負ってやってきた。
学校では制服だが、いまはお互い私服で、しかも外で待ち合わせだ。嫌でも意識してしまう。
「お待たせしました・・・」
「ああ、うん。それじゃ行こっか」
こんな小さな町で、バイオリンケースを背負った二人が歩いているのは、それなりに目立った。しかしそれも、公園の入り口をくぐった途端に人の目はなくなる。
高台に向かって緩い坂道を二人で登っていく。両脇は鬱蒼とした木々に囲まれており、その葉の間から夏の強い日差しが照り付けていた。
その間、二人に会話らしい会話はないが、それでも居心地は悪くなかった。
「うわぁ・・・・・・本当にここから一望できるのね」
「うん。それなのにほとんど人が来ないから、練習するのにぴったりなんだ」
「こんなにいい場所なのにね。町が見渡せて、向こうには海も見えて。・・・・・・ねえ、私、ここ気に入っちゃった。私もここで練習していいかな?」
梓にそう言われて、純平はそれをダメだとは言えない。
「別に・・・ここは公共の場所だし、俺に許可をもらう必要はないよ」
「あははっ、それもそっか。じゃあ、天気のいい日はここに来ようっと」
そう言って笑う梓の笑顔に、純平はまたドキッと胸が鳴る。
それから二人で譜面台を立てて、バイオリンを出して調弦する。
「夏見くん、はい」
梓は純平の目の前に、裏向きにした楽譜を二部出し、どちらか選べという。
それは今朝教室で梓が純平に渡そうとした、バッハの楽譜だった。
あの後結局、楽譜は梓に返し、1stと2ndの振り分けは相談することにしていた。それが、裏向きにしてどれかを選ぶということらしい。
その結果純平が1st、梓が2ndを担当することになった。
その日から純平と梓は、雨の日以外はこの公園で練習するようになった。
🎻 🎻 🎻
夜景を見ながら純平は、梓と初めて練習をした日を思い出す。
初めて二人で音を合わせた時、全身に鳥肌が立ち、とても高揚したことを今でも忘れない。
それはまるで、純平の出す音と梓の出す音が、それまで細く頼りない糸だったのが、二人の音が合わさることによって太くしなやかな糸になっていく、そんな感覚だった。
梓は純平のバイオリンの音が好きだと言っていた。だから、アンサンブルコンクールに純平と一緒に出たいと言って、ほぼ強引に押し付けてきた。
あんなにかたくなに誰とも関わろうとしていなかったのに、いきなり距離を詰められて驚いたけど、いまなら分かる。なぜ、梓があんなにも強引に急いでいたのか。
梓には時間がなかった。だから純平と強引にコンクールに出ようと誘ったんだと。
「梓・・・・・・」
純平はもう何度も、梓の名前を呼ぶ。でもその呼びかけに答えてくれる人はいない。
今年28になる純平だが、梓と会わなくなってから、何人かとお付き合いはした。でもやっぱり、梓に未練タラタラなので長くて数か月、短いと1週間で別れてしまい、ここ数年は彼女を作る気にもならなかった。
吉田が言うこともわかるが、こんな自分と付き合う女の子の方が可哀想だと思ってしまうほど、純平は梓にまだ恋をしていた。
酔いもすっかり醒めた純平は、実家へ帰るために立ち上がる。
梓と一緒にバイオリンを担いで、何度となく登ったり下ったりした緩い坂道をバイオリンもなく一人で下ると、寂しさと虚しさでどうにかなってしまいそうだった。
それでも純平は、梓のために前を向いて歩いていくしかなかった。
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