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親友
純平が実家に帰ると、母親のものではない女物の靴があり、姉が帰ってきたんだなとすぐわかった。
「ただいま」
リビングに顔を出すと、3つ年上の姉、桜井杏子と3歳の姪っ子の雫がいた。
「あ、おかえりー」
「じゅんぺー、おかえりー」
杏子の真似をするように、雫も一緒になってお帰りと言ってくる。その様子がおかしくて、少し笑ってしまった。
「父さんは?」
「ん-?なんか飲みに行っているみたい。あんたもいないから、お母さんが夕飯がムダになったってブツブツ言ってたわよ」
「あとで謝っとくよ・・・・・・」
杏子に母親が不機嫌になっていることを聞いて、純平は気が滅入ってしまう。それから足取りを重くしながら、自分の部屋へ入る。
錨を出てから、スマホを全然見ていなかったことに気づいて、数時間ぶりにスマホの画面を見ると、橋本と吉田から着信とメッセージが入っていた。
それを見て純平は、橋本に連絡をする。1回目のコールのあと、橋本はすぐに電話に出た。
『もしもし、純平⁉お前いまどこにいるんだよ!』
「どこって、家だけど・・・」
『なんだよ・・・よかった。心配させるなよ』
「心配って、俺、もう大人だよ?」
『そういうことじゃない。今のお前は危なっかしくて心配なんだよ』
「・・・・・・」
危なっかしい、橋本にそう言われて純平は少し反省した。橋本は本当に自分のことを心配してくれていたのに、あんな態度を取ってしまって申し訳なさで一杯になった。
『吉田も言い過ぎたって言ってたから、気持ちが落ち着いたら連絡してやれよ』
「ああ、うん。わかった」
『それとさ、お金。お前から貰い過ぎだし、明日返しに行くな』
「いや、それはいいよ。空気悪くしたし・・・」
『良くない。みんなで返すってことにしたから、ちゃんと受け取れ』
「・・・・・・わかった。ありがとう」
『じゃあな』
「じゃ・・・」
通話が終わり、純平はベッドに頭だけをのせて上を見上げる。
純平にだってわかっていた。吉田の言う通り、前に進むべきだってことくらい。いつまでも過去を引きずって、未練タラタラな自分のことを好きなわけではない。自分自身を変えていきたいのは、純平だって同じだ。
それでも、梓ほど好きになれる子がいないことも事実で、これまで付き合ってきた子たちには悪いことをしたと思っている。そんな自分が嫌いだった。
それから純平は、お風呂から出てきた母親に謝り、自分も風呂に入ってベッドに横になる。
暗い部屋で目を閉じると、頭に思い浮かぶのはやはり梓の顔だ。
そして純平は、高校1年の夏を思い出していた。
🎻 🎻 🎻
高校1年の夏休み。純平は梓との公園練習と並行して、1週間後のコンクールの練習をしていた。
バイオリン教室のガラス扉を開くと、真っ先に「こんにちは、純平くん」と田辺さんが挨拶をしてくる。
「こんにちは。花純先生はまだ・・・?」
「そうね、もう少しかかるかな」
相変わらず、純平に負けたくないと柚季が時間ギリギリまで指導をしてもらっているらしいが、最近は時間をオーバーすることもある。いくら自分と賭けをしているからと言っても、これはルール違反じゃないかと思った。
仕方なく純平は、いつも通り待合の椅子に腰かけて、スマホを取りだす。
しばらくすると、再びガラス扉が開かれた。
「こんにちは、梓ちゃん」
「こんにちは田辺さん」
その声を聞いて純平が顔を上げると、受付にバイオリンケースを背負った梓が立っていた。
「梓・・・」
「あっ、純平くん。昨日ぶりー」
二人はここ1か月の間、公園練習を通じて距離が近くなったせいか、お互いを名前で呼ぶようになっていた。
「なになにー?純平くんと梓ちゃん、昨日も会っていたのー?」
二人の会話を聞いていた田辺が、揶揄うように言ってくる。
「変な風に言わないでください。いま梓とは、二重奏の練習をしているんですよ」
「そうですよー」
「へぇ、ホントに二人で出るんだね」
若干ニヤつきながら、田辺は純平と梓の様子を見ている。
そんなこともお構いなしに、梓は純平の隣に腰かけてきた。
「というか、梓のレッスンは明日だろ?今日はどうしたの?」
純平のレッスン日は土曜日で、梓は日曜日となっていた。なのに、バイオリンを背負った梓がなぜ今日いるのか、純平は疑問に思った。
「あ、明日ね、日帰りで東京に行くの。そしたら、花純ちゃんが今日おいでって言ってくれて・・・」
「ふーん・・・東京かぁ。俺、東京生まれだけど、全然覚えてないんだよね」
「え⁉純平くん、東京生まれなの?」
「そう。5歳の時にこっちに移住してきたから、それまでは東京だよ」
「そうなんだ」
思えば公園練習を始めてからこれまで、二人でいることが多かったのに、お互いのことはあまり話していなかったなと気づく。
二人で話すことは専ら、バイオリンのことか学校のことだった。
まあ、この関係もコンクールまでのことだろうと純平は思っていたので、あまり深入りすることがなかったし、梓も純平のことを聞いてこなかったので、同じ考えだと思っていた。
「でもさ、いま花純先生がレッスンしている子が終わったら俺の番だけど、来るの早すぎないか?」
レッスン時間は1時間なので、純平の後に梓のレッスンをするとしても、あと1時間以上はある。
「でも、花純ちゃんにはこの時間においでって言われたよ?」
梓がそう言うのを聞いて、純平はイヤな予感がした。すると、純平のレッスン開始時間ギリギリに終わり、レッスン室から満足顔で柚季が出てきた。
柚季は純平と梓が二人で並んで座っているのを見て、ショックを受ける。
小学生の時から純平のことが好きだった柚季は、今度のコンクールで自分が純平に勝ったらデートしてほしいと言っていた。柚季が負けた場合は、缶ジュースを奢るということを賭けていたのだ。
恋愛ごとに鈍感な純平は、それを単なる「賭け」としか思っていなかった。だから柚季の気持ちには全く気付かないし、柚季はデートと思っても、純平にしてみれば、ただの友達と出掛けるだけという認識だった。
そしていま、純平と梓が一緒に座っている目の前に、柚季が嫉妬に包まれた状態で立ちはだかった。
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