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だが何はともあれ、どういう「いろいろ」かは結局さっぱり判らないが、とにかくその翌日、俺は行きつけのスタジオに足を向けていた。
バイトの後に出向いたそのスタジオは、混み合う時間よりはやや前だったせいか、ずいぶんと静かだった。廊下の薄汚れたビニルタイルに張り付くような自分の足音が、露骨に耳に入ってくる。そしていつも使っている部屋の扉を開けた。
「あ?」
いくつかスタジオが入っているそのビルの中で、俺は一瞬自分が場所を間違えたのか、とも思った。扉を開けたら、低い音が耳に届いた。
小柄な制服姿の高校生が、大きな目を俺に向けていた。
俺はあ、すいませんと慌てて扉を閉めようとする。だが中に居た高校生は、その途端ぱっと駆け寄ってきて、その扉を押さえた。
「間違ってないよ」
え、と問い返すと、高校生は続けて言った。
「RINGERのオズさんでしょ?」
「ああ」
「俺も今日の集合に呼ばれてるの。俺、知らない?」
知らない? と問われても。こんな大きな、猫の様な目の奴は。
待てよ、と俺は記憶をひっくり返す。この日「RINGER」のリーダーにしてギタリストのケンショーに呼ばれて集まる予定なのは、ドラムスの俺と、あとは……
「俺、『SS』でベース弾いてたマキノだけど。覚えてない?」
「ああ……」
自己申告。そう言えば、そうだった。
言われてみれば、あの時、ずいぶん小柄なベーシストが、ずいぶんと凄い演奏をしていたのを思い出した。
だが顔までは記憶していなかった。あの時の打ち上げには、こいつは来なかったはずだし。
「……あ、ごめん、覚えてなかった」
「正直だね」
くすくす、とマキノは笑った。俺もつられて笑った。ややつり上がり気味の大きな目が思いきり細められる様は、何だか実家に置いてきた猫を思い出させた。ああ今どうしているだろう?
「オズさんも今日は一人で来たの?」
「うん? だいたい俺達はばらばらに来るよ?そんな女子高生のようなこと、いちいちするかあ?」
「ま、そうだね。今日はカナイもバイト済ませてから来るって言ってたから、やや遅れるかもしれないよ」
「へえ。バイト…… マキノ君は何かやってるの?」
「俺? うん、一応」
彼は肩を軽くすくめ、言葉をにごした。
そうこうしているうちに、無造作に髪をくくったケンショーがギターをかついでやってきた。
睡眠不足だか何だが知らんが、近眼のくせに眼鏡かける習慣がなくて目つきの悪い奴は、その度合いをパワーアップさせている。
「うーっす」
俺は手を上げて奴に合図する。低音の極地、とでも言いたくなるような声で、奴は同じ台詞を返した。
「ケンショーさん、カナイちょっと遅れるかもしれない」
「……ああ…… あ、お前、マキノ?」
奴は目を細めてマキノを見る。そのくらいすると焦点が合うらしい。いい加減眼鏡をかけろよ、と俺は口には出さずにつぶやく。
「うん。お久しぶりです」
……あれ? 何となく訝しく思う。俺にはタメ口利いてたはずなのに、ケンショーには敬語か?
「ああそう。じゃ、ま、いいか。奴とは一応、俺達顔合わせできてるから……」
はい、とマキノはにこっと笑った。あ、可愛い。
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