1人が本棚に入れています
本棚に追加
*
さて、この新しいメンバーの二人は仮名井文夫と牧野京介という名だという。この二人はつい最近まで、「S・S」というバンドを組んでいた。
つい最近まで、という但し書きを見れば判るように、現在そのバンドはない。まあはっきり言えば、俺達が壊してしまったようなものだ。
「S・S」は、先月、俺達のバンド「RINGER」が、アクシデントのせいでライヴが出来なくなった時の対バンだった。
さすがにあの時はびっくりした。その当時のうちのヴォーカリストで、ケンショーの恋人でもあった奴が、メジャーの話が来たところで失踪したのだ。
ところが、思ったよりは落ち込まなかった我がバンドのリーダーは、何故かこの対バンの音を聞いて、こともあろうに、向こうのヴォーカリストを入れたい、などと言い出してしまった。
何を考えているんだ、と俺はさすがに思った。
これまでも声に惚れて見境がなくなったことは多々ある奴だが、逃げられたからと言ってすぐに次を見つけてしまうあたりが。
……てなこと言っているうちに、今度はうちのベーシストが抜けてしまった。これもまたヴォーカル同様、メジャーへ行くことに不安を持ったらしい。
残されてしまった俺達だが、こちらがそうこうしているうちに、S・Sの方でも一波乱あったらしい。
どうもそれはケンショーと、このヴォーカルのカナイの間に何かあったらしいが……
妙なところで口の堅いこのリーダーは、その間にあったことは俺には言わなかった。あんまり聞いても馬に蹴られそうな気もするし。
十分くらいして、カナイもやってきた。
結構時間に遅れることを気にしていたようだ。駅から全力疾走してきたようにはあ」はあと肩で息をついていた。
「遅れてすいませ~ん!」
おおっ、と俺は思わず後ずさりしていた。でかい声だ。強烈な声だ。割れ鐘を威勢良くぶっ叩いた時のような感触が、その中にはあった。
「遅い、カナイ」
くすくす、と笑いながらマキノは友人にそう言った。
「仕方ねーだろ? バイト今日、手がなくて」
「駅前のミスタードーナツだっけ」
「ええ、そうですよ」
お、こっちは俺に対してやや敬語だ。
「そーゆー時は、隙を見て逃走してくるもんだ」
「俺あんたと違って真面目なんだよーだ。この時間、カウンター誰もいなくなっちまうって言うんだからさ、仕方ねーじゃん」
ぬかせ、とケンショーはくくく、と声を押さえて笑った。ありゃ。
「それにしてもマキノは練習熱心だな。確かお前、部屋防音だろ?」
「あ、そーですよ。ピアノあるから。でもやっぱりどーもウチでベース弾いても何か違うって感じが」
「ピアノあるの!」
俺は思わず訊ねていた。あるよぉ、と奴はうなづいた。ありゃ、またタメ口だ。
「弾けるんだ……」
「弾けるなんてものじゃないすよ」
カナイが口をはさむ。
「こいつ、俺と会った頃は、音大志望のばりばりのクラシック野郎だったんだから。一体どう道を誤ってしまったのやら」
「俺を口説き落としたのは一体誰でしたかねー」
「馬鹿やろ、駄目もとだったんだよ」
なるほど、と俺はこの二人の出会った状況を何となく推察していた。
それにしても、そのベースには、見覚えがあった。
高校生が持つにしては、ずいぶんとモノがいい。黒地に、螺鈿の模様が綺麗な曲線を奔放に描いていた。何って言っただろうか?細工の名前までは忘れたけれど、結構いいものだということくらいは俺にだって判る。
それに何処かで見たことがある。そんな気がしていた。だけどそれが何処だったか、俺には思い出せなかった。
最初のコメントを投稿しよう!