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それは、旅人から聞いた話だった。
かなり大きな街で流行病があって、それが少しずつ、他の街にも広がっているらしい。
「王都はすっかり封鎖されて、外から人が入れないらしい」
「数年前にお告げを聞いた者がいたとか。数年前なら、数年前に起こるもんじゃないのか」
「このまま辺境まで来たらどうする」
村の大人たちは騒いでいて、子供も何か危険なことが起こっていると感じ始めていた。
でも、十歳のサビは平気だった。
サビは昔から、神のお告げだとか、天使がどうのとか、よく変わったことを言う子供だった。王都に居れば神父にでもなったかもしれないが、辺境の農村に必要なのは信仰とか儀式とかよりも、畑仕事をする人間だ。サビの言うことを真に受ける大人はいなかった。
「あなたは、ここまで病が来ないって思ってるの?」
同じ年のメリはちょっと怒ったように言ったが、サビは首を振った。
「来るよ。僕は3歳の時から知っていたよ。だから、怯えてないだけだよ。どうせ僕はその病で死ぬから」
「そんなのわかんないわよ!なんで死ぬって思うの。少なくとも私は、もっと役に立ってから死にたいわ。村とか、お父さんとお母さんとかの。大人って忙しいのよ。特に今は、怖がる子供たちを宥めないといけないからね!」
「でも病は来るよ。きっと街でも治せない。薬の材料ををいっぱい持っている医者は、みんな王都にいるから。それで、そこから出てこないんだ」
「それでサビは、何もしないっていうの?どうせ死ぬから?」
「何もしてないわけじゃないよ。でも、死ぬよ」
メリはとうとう怒って、立ち上がって行ってしまった。
しっかりもののメリの周りに、不安そうな顔をした小さな子供たちが群がった。
「誰だって、いつ来るかなんてわからないわ。来ないかもしれないし。今不安に思っててもどうにもならないわよ。ほら、遊びましょ?」
「だから、来るって」
メリはキッとサビを睨んだ。
来るって。本当に。
だからあの時、僕は・・・
そこから何ヶ月かたった。
畑は雑草だらけで、土は硬くなり、残っていた野菜はすっかり干からびている。
「サビ、まだきこえる?」
「うん。もうからだはうごなかいけど」
「それはわたしもよ」
あれから、農村まで病が来るのにそんなに時間はかからなかった。
ずっと遠くの、でも農村に一番近くにある街から、ある日人が避難しに来た。
その街の人たちも病にかかり始め、治せる薬が無いと言う。
その人が、病を運んできたのであろう。
「ここも滅びる時が来た」
サビが村人を困惑させたのは、それが最後だった。
一番にかかったのはサビだった。
村人たちは助かりそうにないサビを置いて村を捨てようとしたが、メリは反対して、ここに残ると言い出した。
初めはメリやサビの両親に反対されたが、引っ張って連れて行こうとする母親の腕に噛みつくと、父親は怒って、メリを置いてみんなで村を出た。
最初は料理を作ったり、サビの熱を下げようとしたりしていたメリだったが、とうとう病にかかり、あっという間に動けなくなった。
ホコリだらけになった、空気の通らない家から出て、2人は稲藁にもたれていた。
「もうすぐしぬ?」
「たぶんね」
「こうなることもわかってたの」
「いや。ここまではしらない。おとながああまでするとはね。それに、メリがのこるとはおもってなかった」
「・・・ねえ、それ、なんなの。わたし、もうすぐしぬよ。そろそろおしえてくれてもいいじゃない」
サビの膝の上には、メリが病にかかる前に、サビに言われて持ってきた袋があった。ずっと、サビがベッドの下に隠していたものだ。
「しんだあとでもいえるよ。しんでもしばらくはいっしょにいるから」
「しんだあとなんてわからないわよ」
「ぼくはしってるよ。さいごくらいしんじたら?」
「わたしはいちどだって、サビのいうことがうそなんておもったことないわよ。しんじきるのもむずかしいけど」
「じゃあしんじててね」
「ぜったいよ?ぜったいだからね」
「うん。ほんとうだよ。・・・ねえ、めり」
・・・
「めり?」
すぐそばの手を弱々しく握ると、少しも動かず、重たいのがわかった。でも、まだ温かい。
「ちょっとまっててね、めり」
「メリ、起きてよ」
「・・・なに?」
「僕より先に死んだと思うんだけど、なんでメリがまだ寝てるの」
「知らないわよ、そんなこと・・・本当に一緒にいるのね」
2人は、病にかかる前と同じ、いい顔色をしていて、痩せてもいない。服も綺麗なままだった。
メリは少し驚いた様子で周りを見た。
「死んだ人はみんな一緒だよ。みんなここにいるよ」
「若い人もいっぱい・・・病で死んだのかしら」
「そうじゃない?」
足元はふわふわしていて落ち着きがなく、見上げると、同じような空があった。
少し遠くでは、人々が並び、門をくぐっていた。
「あそこをくぐったらどうなるのかしら」
「神様がいて、生きている間にどれだけ善行を積んだか見極めるんだって。それで、良いところに行けるって天使が言ってた」
すると、メリは急に泣き出した。
「じゃあ私、行けないわ。だって、お母さんを噛んじゃったから。お父さんにも嫌われた。謝りたくても、そこで会うことなんてできないわ。悪いことをした私は、そこに行けないもの」
僕たちを置いて行った村人たちが、「良いところ」に行けるとも思えないけど。
「泣かないでよ、メリ。別に、メリがいくら怒ろうとお姉さん面してようと構わないけど、泣くのはやめてよ。生きてる間だって、一度も泣いているところなんて見せなかったのに」
「泣きたくもなるわよ。だって、私ひどいことをした」
「僕を置いてみんなについて行ったとしても、どうせメリは同じこと思ってるでしょ。そんなに謝りたいなら、僕と一緒においでよ」
サビは袋の中身を持ち上げて見せた。
白くて大きな羽だ。
これは、もともと天のものだから、ここにも持ってこれるってわかってた。
「何これ?こんな大きな羽の鳥、近くにいたかしら?」
「鳥じゃないよ。これは、僕が盗んだ大天使の羽だよ。これがあれば、天使になれるんだって」
ただの鳥の羽なら、多分ここまで持ってこれてないよ。
「はあ? 大天使?」
メリは頬を涙で濡らしたまま、目を丸くした。
「言ったでしょ?僕は3歳の時から病が来ることを知っていた。天使がそう言ったんだ。神を信じて崇める者のもとに、大天使がお告げに来るけど、ここにそのことが伝わるのは、もっと先になるだろうねって」
「それで、なんで盗んだのよ。死んだ後、罰せられるんじゃないの?『神様』とかに」
「大丈夫だよ。大天使は、自分の羽が少し減ったことになんて気が付かなかった。大天使は、ちょっと近くを通っただけで、天使が言ったように、村にはお告げはしてくれなかったしね。まあ、あの村では信仰なんてなかったし、当然なんだろうけど。それで、天使が、ちょっとイタズラしようって」
「何やってるのよ・・・」
「でも、これで天使になれるよ。そうしたら、この魂のまま、人々をすぐ近くで見守っていられるよ。人は死に際に天使とか神様とかが見えるらしいから、その時が来たら謝ればいいさ。それに、医者を離さない欲張りな王都にもイタズラができるよ。天使はどこにでも行ける。役立ちたいなら、今からでもできることがあるよ。どう?天使になる?それか、このままあの列に並びたいなら、見送ってあげるよ」
「・・・サビはどうして天使になりたいの」
「村から出られないって、わかってたから。僕はもっと、僕のまま見たいものが山ほどある。メリはお嫁に行けば他の場所も見れたかもしれないけどさ、僕はずっとあの村で、畑仕事を手伝って終わる。僕が生きている間できることは少ない。独り立ちする前に死ぬってわかってから、いつか天使になって、見きれなかった世界を見ようって決めてた。で、メリはどうする?」
「なるわよ」
「これからずっと天使のままかもしれないよ?」
「なる」
「生まれ変わって、また人に生まれたいとか思っても、多分できないよ?」
「なる!私のお父さんとお母さんは1人しかいないわ。謝れるのも、今の私1人だけ。それに、みんなが今無事なのか気になるもの」
「メリって優しすぎない?どうかしてるよ。すぐに死ぬ僕の看病なんてしないで、みんなについていけばもっと生きられて、お嫁に行って別の景色ももっと見られたのに」
「なんとでも言いなさいよ。それで?どうやって天使になるの。なりたいって言えば、ならせてもらえるの?」
「勝手になるんだよ。羽をつけて、新しく生まれた天使です、って言えばいいんだよ。天使たちは神様がいつどれだけ新しい天使を生み出したなんて知らないし、神様も覚えてないから」
「羽をつけてって・・・」
サビは大きな羽を4つに分けた。
「後ろ向いて」
サビがメリの背中に羽をこすりつけるようにすると、あっという間に皮膚に馴染んだ。
「・・・すごく変な感じがするわ」
メリが肩をすくめると、羽がわさわさ動いた。
「僕にもつけてよ」
「うん・・・。羽が手に入りさえすれば、こんな簡単になれるものなのね。でも、もし羽がつかなくて、天使になれなかったらどうするつもりだったの?諦めてた?」
「いいや。天使のなり方だって、知ってたさ。僕みたいなことを考えて天使になった子供が、他にいないと思う?」
サビは門の方を見た。
人々を優しい笑顔で案内する、天使がいる。
天使はサビたちを見ると、パチっとウィンクした。
「・・・まさか」
「あれが、大天使に代わって僕に病を教えてくれた天使だよ。一緒に羽を盗んで、天使のなり方を教えてもらった。しばらく会ってなかったからどこにいるかと思ったら、病の起こる日が近づいていて、ただでさえ人が増えて天使不足だから、人々の案内役をやるように言われたって、僕を叩き起こして言ったよ。大天使が言うには、イタズラした罰だと思えば軽いもんだろうって」
「結局怒らせたってことじゃない・・・」
「行こう。天使が過ごしているのは、反対の門の方だよ」
サビはメリの手を取って、「天使の部屋」と小さな看板がある門へと歩いた。
「天使のお仕事って何かしら」
「神様の言葉を伝えるとか言ってたけど、それは大天使もすることだから、いつもは世界のどこかでその地の人々を見守ってるって」
「忙しい時は、天国でお仕事するのね。お父さんとお母さんの死に目に会えるかしら」
「まずはどこにいるのか探さないと。大丈夫だよ、時間は気が遠くなるほどたくさんあるから」
「・・・そうね。あっという間に生活が変わって、死んで、流石にちょっと疲れたわ。少し休む時間も欲しいわね」
「病が過ぎれば、下の世界はまた静かになるさ。下で人々を見守りつつ休めるよ」
二人の天使は、そっと門をくぐった。
小さな天使たちが慌ただしく動いている。
「いつも白い服なのをこれほど感謝したのは初めてよ。他の天使にうまく紛れられてる」
「色のついた綺麗な服なんて、結局6歳の誕生日に商人から買ってもらったやつだけだな」
「私もよ。あれ、あっという間に着られなくなったわね」
天使たちにあれこれ言っている大天使が、2人の存在にも気がついた。
「戻ってきた天使たちだな。他に任されている仕事がなければ、今から下界に行って病がどこまで広がっているか、人々がどのような状態か見てきてくれ。他にも1万体ほど行かせたが、なかなか終わりそうになくてな」
「はい」
たった今くぐってきた門を、2人はまたくぐって出た。
「1万ですって。生きていた頃は、そんな数のものなんて聞いたことなかったわ」
「万どころか、千も百も無いけどね。・・・ああ、あの天使に、どうやって下界に行くのか聞こう」
「そうね。他の天使に聞いたら、怪しまれちゃいそう」
メリは自分から案内をしている天使のそばに行くと、小声で聞いた。
「ねぇ、お仕事を頼まれたんだけど、下界に行くにはどうしたらいいの?」
すると天使は、クスクス笑った。
「そんなに怯えなくて大丈夫だよ。新入りの天使なんて、10回行っても道を覚えられないから。…ほら、あそこだよ。降りていくたび、階段が分かれていくけど、右左、右左って、順番に通っていくんだ。人間が迷い込まないようにするために、ちょっと複雑になってるんだよ」
メリは目をパチパチさせて、サビの方を見た。
「天使ってみんな、方向音痴なのかしら。1万体って言ってたけど、半分くらいは道に迷ってたりして」
「僕たちもそうなるかもね。村の外に出たことないから」
天の階段で迷うなら、下界だともっと迷っていそうだな。
「よし、早く行って、みんなの無事を確かめましょ?」
メリはサビの手を引っ張って、階段の方に歩き始めた。
ふとサビが天使の方を振り返ると、天使はニヤニヤ笑っていた。
ほら、そういう仲なんじゃないかと言いたげな顔だ。
サビはちょっとムッとした顔をした。
天使はサビを叩き起こした時、言ったのだ・・・。
「お前、恋人と心中したのか?病で早くに死ぬことに耐えきれなくなったのか?」
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