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第19話 気がつくとそこに
学校の帰り道、悠斗の苛立ちが一層感じられるようになったのは、このところ記憶が少しずつ戻ってきているからかもしれない。最初はほんの些細なことだった。私が覚えていたかのようにふと何かを思い出すと、悠斗は一瞬だけ不機嫌そうな表情を見せた。それでもすぐに笑顔を作り、何もなかったかのように振る舞った。
けれど、そうした表情が繰り返されるうちに、私は何かがおかしいと感じ始めていた。
「沙耶、また何か思い出した?」
悠斗が突然声をかけてきたのは、駅に向かう道すがらだった。私が少し黙り込んで考え事をしていたからかもしれない。彼の声には焦りが感じられた。
「ううん、別に……」
私は嘘をついた。正直、少しだけ思い出したことがあった。でも、それを言うのが怖かった。もしも言ってしまったら、彼がまたあの嫌な顔をするんじゃないかと。
「そうか……ならいいけど」
悠斗の声が一瞬、どこか安堵のように聞こえた。でも、その裏に隠された感情が何なのか、私にはよくわからない。
その日、帰宅後も記憶の断片が頭の中に浮かんでは消える。それはまるで、霧が晴れていくような感覚だった。私はベッドに横たわりながら、ぼんやりと天井を見つめた。付き合い始めた頃のことが鮮明に浮かび上がる。笑顔で話していた彼、楽しそうな時間。けれど、そこに何か違和感が混じっているのも確かだった。
翌朝、いつもと変わらず学校に向かったが、悠斗の苛立ちはさらに明らかになってきた。休み時間にふと目が合ったとき、彼の表情は冷たいもので、すぐに私から目を逸らした。
「何かあったの?」
私は放課後、勇気を出して彼に尋ねてみた。ここ最近の彼の態度が気になって仕方なかったからだ。
「別に、何もないよ」
彼は笑顔を見せたけれど、その目は笑っていなかった。何かを隠していることは明白だった。
その日の夕方、玲奈と駅前のカフェで待ち合わせをしていた。玲奈に最近のことを話すつもりだったが、会話の途中でふと気付いた。玲奈と話している間、また一つ記憶の欠片が浮かび上がったのだ。付き合い始めたばかりの頃、悠斗と初めてデートに行った日のことを鮮明に思い出した。彼が優しく微笑み、私を守るように手を引いていた光景が、まるで昨日のことのように蘇った。
「玲奈……また思い出したよ」
私は興奮気味にそう伝えた。玲奈は驚きながらも、その話を聞いて嬉しそうに頷いた。
「本当に良かったね、沙耶!少しずつでも、記憶が戻ってきてるんだね」
玲奈のその反応に私は安心した。私が記憶を取り戻すことが、彼女にとっても喜ばしいことなのだと改めて感じた。
しかし、その喜びも束の間だった。カフェから出たとき、ふと後ろを振り返ると、そこには悠斗が立っていた。偶然そこにいたのか、それとも私たちの会話を聞いていたのかは分からなかったが、彼の顔は険しかった。私が記憶を取り戻していることが、彼にとって何か不都合なのではないか――そんな考えが頭をよぎった。
「悠斗……どうしてここに?」
私は驚きつつも彼に尋ねた。だが、悠斗は目を細めながら近づいてきて、何も言わずに私の肩に手を置いた。
「気にしないで。たまたま通りかかっただけだから」
彼の声は穏やかだったが、その目は冷たい光を放っていた。何かが、確実に変わってきているのだと感じざるを得なかった。
悠斗がその場を離れた後も、私の心には何かしこりが残ったままだった。彼の様子が、これまでの優しさとは明らかに違っていた。そして、記憶が少しずつ戻るにつれ、悠斗に対する信頼が揺らぎ始めている自分にも気付いていた。
夜、帰宅してからもその感覚は消えなかった。悠斗が何を隠しているのか、その答えはまだ見つかっていないが、確かに何かが違う。彼の優しさが本物なのか、それとも――
私はその考えを振り払うように、深く息を吐いた。
「大丈夫、きっと大丈夫だよ……」
そう自分に言い聞かせたが、その言葉は自分自身にも響いていなかった。
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