第22話 見えない境界線

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第22話 見えない境界線

学校の放課後、教室の空気は、どこか張り詰めていた。私は自分の机に座り、鞄の中に教科書を詰め込んでいた。だが、ふとした瞬間、教室の入り口から怒声が聞こえ、私の動きが止まった。 「おい、悠斗!あの日、沙耶が車に轢かれそうになったのを見てたんだろう?」 涼の声だ。振り向くと、彼は悠斗に詰め寄っていた。悠斗はいつもの軽い態度を崩すことなく、涼を見つめ返しているが、その目の奥には、どこか冷めた光が宿っている。 「何のことだよ、涼。そんな話、初めて聞いたけど?」 悠斗が肩をすくめながら言ったその瞬間、涼の拳が握り締められ、悠斗の胸元を掴み上げた。 「ふざけるな!あの日、俺は見たんだ。沙耶が車に轢かれそうになった瞬間、お前はそこにいたのに、何も言わずに立ち去っただろう!何か言い訳があるなら、今ここで説明してみろよ!」 涼の怒りに満ちた声が教室中に響く。私はその場から立ち上がり、二人の間に割って入ろうとしたが、彼らの険しい表情に、体がすくんで動けなくなった。 悠斗は一瞬、笑みを浮かべたが、その目は冷たかった。彼の余裕そうな態度に、涼の怒りがさらに募っているのがわかる。 「そんなの、見間違いじゃないのか?俺が沙耶のことを放っておくわけないだろ。むしろ、どうしてお前がそんなに熱くなるんだよ。俺たちの関係に口を挟むな。」 悠斗は一歩前に出て、涼を睨み返した。その言葉に涼はさらに怒りを爆発させ、拳を振り上げた。私は反射的に声を上げた。 「やめて、涼!やめて!」 その声で、二人はようやく私の存在に気づいたようだった。涼の手が一瞬止まり、悠斗もその場で立ち止まった。だが、その緊張感は一向に解けない。涼の視線は私に向けられ、その目には苦しみと焦りが入り混じっていた。 「沙耶、お前も聞いた方がいい。悠斗は、お前が車に轢かれそうになったとき、そばにいたんだ。俺は遠くから見ていたけど、悠斗は何もせずにその場を立ち去った。どうしてそんなことができるんだ?」 涼の声が私の心に突き刺さった。彼の言うことが本当なら、悠斗は……私が危険な状況にいたとき、助けようとしなかったということになる。でも、それが本当に事実だろうか?記憶がまだ完全には戻っていない私にとって、悠斗の行動が正しいのか、涼の言うことが真実なのか、わからなかった。 悠斗はため息をつき、肩をすくめた。 「涼、俺がその場にいたとしても、どうってことないだろ。大したことなかったし、沙耶だって無事だった。いちいち騒ぎ立てる必要はないんだよ。」 その冷淡な言葉に、涼は再び拳を振り上げたが、私は思わず彼の腕を掴んだ。 「涼、やめて。悠斗と話をさせて。私、ちゃんと確かめるから」 涼は私を見つめたまま、ゆっくりと拳を下ろした。その目には、何か言いたげな表情が浮かんでいたが、最終的には私の言葉に従ったようだった。 「……わかった。でも、沙耶、気をつけろよ。俺は、お前を心配してるだけだから」 そう言って、涼は背を向け、教室を出て行った。私と悠斗だけが残された教室には、しばらくの間、緊張が漂っていた。悠斗は私を一瞥し、無言で鞄を持ち上げた。 「行くか、沙耶。ここで話しても意味ないだろう」 私は無言で頷き、悠斗についていくことにした。彼の背中を見つめながら、心の中で疑問が膨らんでいく。涼の言葉が嘘だとは思えない。けれど、悠斗の態度もまた、一貫している。何が真実なのか、全く分からないまま、私は彼の後ろを歩いていた。 ++++++++++ 教室を出てからしばらく、二人の間に言葉はなかった。私は何度も口を開きかけたが、何をどう聞けばいいのかわからず、ただ歩き続けるだけだった。けれど、もう悠斗と話さないわけにはいかない。私は彼の背中に向けて、意を決して口を開いた。 「悠斗、本当にあの日、私が車に轢かれそうになった時、そこにいたの?」 悠斗は立ち止まり、振り返った。その表情には何の感情も浮かんでいない。まるで、私の質問がただの退屈な日常の一コマに過ぎないかのような態度だった。 「なんでそんなにこだわるんだよ?俺がいたとしても、結局、無事だったんだから、それでいいだろ」 その言葉に、私の中で何かが崩れたような気がした。彼の言い分は理屈ではあるけれど、そこには温かさや愛情が一切感じられなかった。まるで、私の命や感情なんて、彼にとってはどうでもいいと言わんばかりの態度。 「でも、涼は見てたって言ってた。どうして、私が危ない時に、何も言ってくれなかったの?それに、どうしてそのまま立ち去ったの?」 私の問いに、悠斗は一瞬だけ視線を外し、何かを考えているようだった。けれど、すぐにまた私の方を向いて、平然と言った。 「沙耶、過去のことにこだわるなよ。俺は今、こうしてお前のそばにいる。それで十分じゃないのか?」 その言葉に、私は何も返せなかった。悠斗の冷淡さに、私はさらに疑念を深めながら、彼のそばを歩くことしかできなかった。 けれど、心の奥底で、何かが少しずつ確信に変わり始めていた。悠斗が何かを隠しているということ。そして、それが私の失った記憶に大きく関わっているということに。
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