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第25話 笑顔の裏側
夕焼けが街を包み込む頃、私は悠斗と一緒に歩いていた。学校が終わり、いつものように二人で帰る道。けれど、今日は何かが違う。私の中で何かが変わり始めているのを感じていた。
信号待ちをしている時、悠斗が突然口を開いた。
「沙耶、お前の記憶が戻ると俺が面倒なんだわ」
その一言が、まるで氷のように冷たく私の心を凍りつかせた。
「…え?」
驚いて彼の顔を見上げると、悠斗はいつものように柔らかい笑顔を浮かべていた。けれど、その笑顔が今までとは違うものに見えた。皮肉が混じった、不気味な笑顔。私の背筋に寒気が走った。
「どういう意味…?」
「さあ、どうだろうな」
悠斗は軽く肩をすくめ、私の視線を避けるようにして空を見上げた。その仕草に、私の中で長い間眠っていた疑念が再び浮かび上がる。彼は本当に私を心配しているのか?彼の優しさや微笑みは、本当に本物なのか?
だが、その疑念が答えを得るまで、そう長くはかからなかった。
車用の信号が黄色に変わった、その瞬間――
突如、背中に強い衝撃を感じた。足元がぐらつき、体が前に倒れこむ。視界が歪み、瞬く間に車道に飛び出した。耳元で車のクラクションが鳴り響き、目の前を勢いよく車が通り過ぎていく。
――死ぬ。
その瞬間、頭の中に強烈な光が走った。脳裏に、あの時の記憶が蘇る。あの日、信号待ちをしていたあの瞬間。
「沙耶、俺、もうめんどくせぇんだよ」
悠斗の言葉が頭の中で響き渡る。浮気が発覚し、別れ話をしたあの時、彼は私を面倒臭そうに見つめていた。何も悪びれることなく、まるで私の存在自体が邪魔であるかのように。
「だから、終わらせようぜ」
その言葉とともに、私は突然誰かに背中を押され、車道に投げ出されたのだ。周囲にいた大勢の人々は、誰一人としてその瞬間を見ていなかった。皆が自分の世界に没頭し、私たちのやり取りに気付かなかった。そして、次の瞬間、車が私に迫り――
「あっ…!」
現実に引き戻された私は、急いで身体を起こし、必死に道路の端に逃げ込んだ。私のすぐ横をトラックが猛スピードで通り過ぎていく。心臓が激しく鼓動し、息が苦しい。私は地面に膝をついたまま、必死に深呼吸を繰り返す。
振り返ると、悠斗がそこに立っていた。彼の顔には、あの時と同じ笑みが浮かんでいる。
「何やってんだよ、沙耶」
悠斗は笑顔でそう言った。しかし、その笑顔の裏には、かすかに浮かぶ狂気があった。
「今、私を…押したの?」
震える声で問いかけるが、悠斗は全く動じることなく笑顔を崩さない。それどころか、彼は平然と肩をすくめた。
「何言ってんだよ。お前、勝手にバランス崩して倒れただけだろ」
その言葉に、私は再び震えた。彼はまるで何事もなかったかのように、私を突き放す。そして、何事もなかったかのように平然と話し続ける。
「まあ、危なかったな。でも大丈夫だろ?お前、強いし」
その言葉に違和感を感じながらも、私はただ彼の顔を見つめていた。彼の目の奥にあるのは、冷酷さ。私を心から心配するような温かさは一切見えなかった。
――そうだ、思い出した。
私はとうとう全てを思い出した。あの日、誰かに背中を押され、車道に投げ出されたこと。あの時、私の命は誰かに奪われようとした。あの時、私の存在を消したかったのは悠斗しかありえない。少なくとも事故の現場にいたことは間違いない。そして、今また同じように、私を車道に投げ出そうとした。
「…悠斗…どうして…?」
震える声で問いかけるが、悠斗は答えない。ただ、彼の顔に浮かんでいた笑顔が徐々に消え、代わりに冷たい表情が浮かんだ。
「お前、もう全部思い出したんだろ」
その言葉が、私の胸に突き刺さる。そう、全て思い出した。悠斗の浮気、別れ話、そして彼の恐ろしい行動。私は彼に命を狙われていたのだ。
「何で、こんなことするの…?」
声が震え、息が上手くできない。頭が混乱し、涙が自然に溢れてくる。
「何でって…」
悠斗は一瞬、面倒くさそうに目を細めた。その瞬間、彼の表情が豹変した。
「だって、お前がいると俺が面倒くせぇんだよ」
その言葉が、再び私の心を凍りつかせた。彼にとって、私はただの厄介者だった。愛情も何もなく、ただ存在が彼にとっての負担でしかなかったのだ。
「だからさ、終わらせようぜ」
悠斗が冷たくそう言い放った瞬間、私は背筋が凍るような恐怖を感じた。彼は本当に私を終わらせようとしている。もう一度、あの日と同じように。
私は無意識に一歩後ずさり、彼との距離を取った。周囲には誰もいない。頼れる人も、助けを求める声を出す余裕もない。ただ、悠斗の冷たい視線だけが私を追い詰める。
――逃げなければ。
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