第26話 迫り来る危機

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第26話 迫り来る危機

あの日の記憶が鮮明に蘇ったことで、全身に震えが広がっていく。悠斗は冷たい視線を向け、まるで私を追い詰める獣のように、じわりじわりと近づいてくる。 「沙耶、どうした?お前、もう全部わかってるんだろ?」 悠斗の声がいつもとは違う。優しさも、あの表面的な温かさもすべて消え去っていた。ただ、冷酷で、そしてどこか楽しんでいるような声だ。私を恐怖に陥れ、追い詰めることに快感を覚えているかのように。 私はその場から逃げ出したい気持ちでいっぱいだった。しかし、足が動かない。全身が恐怖に支配され、頭が真っ白になっていた。目の前にいるのは、もう私が信じた悠斗ではない。いや、最初から彼はこんな人間だったのかもしれない。 「なあ、沙耶」 悠斗がさらに一歩近づく。その瞬間、心臓が飛び跳ねるように脈打った。 「どうして…どうしてこんなことをするの?」 絞り出すような声で問いかけたが、悠斗は相変わらず楽しげに笑っている。彼の目には、私に対する悪意しか浮かんでいない。かつての温かい関係はもう何も残っていない。 「だから言っただろ?お前がいると面倒なんだよ」 悠斗は再びその言葉を口にした。私の存在そのものが彼にとって負担であり、邪魔だという冷酷な事実。彼はずっと、私を消そうとしていた。事故の日も、そして今も。 「でもさ、沙耶。お前の記憶が戻らないなら、それで済んだんだけどな」 悠斗はふと空を見上げるようにして、軽くため息をついた。まるで、すべてを諦めたかのような仕草だ。 「でもな、こうして記憶が戻り始めたから、もうどうしようもねぇんだよ」 「…どういうこと…?」 私は恐る恐る尋ねた。彼の言葉が何を意味するのか理解できず、ただ混乱したまま悠斗の顔を見つめていた。 「お前が記憶を全部思い出したら、俺が困るだろ」 悠斗は肩をすくめ、笑顔を浮かべた。その笑顔があまりにも不気味で、私は思わず後ずさりをした。彼は何もかも知っている。私が事故の記憶を取り戻しつつあることに気づいている。 「だからさ、もう終わりにしようぜ」 悠斗の言葉は鋭く、私の胸に突き刺さる。それは明確な脅威だった。彼は本気で私を消そうとしている。記憶を取り戻した私を、この世から消し去るために。 「嫌だ…」 思わず言葉が漏れた。その瞬間、私は全身の力を振り絞ってその場から逃げ出した。心臓が激しく鼓動し、足が震えていたが、何とか一歩を踏み出す。 「待てよ、沙耶」 悠斗が後ろから追いかけてくるのがわかった。彼の足音が徐々に近づいてくる。私は振り返ることもできず、ただ全速力で走り続けた。背中に感じる悠斗の気配が、私をさらに恐怖に駆り立てる。 息が切れ、足がもつれそうになるが、それでも私は止まらなかった。彼から逃げなければならない。それだけが私の頭に浮かんでいた。 ――助けて。 心の中で何度も叫んだ。しかし、通りは意外なほど静かだった。日が沈みかけ、夕闇が街を覆い始める頃には、周囲にはほとんど人がいなかった。頼るべき人も、助けを求める声をかける相手もいない。 私は息を切らしながら、近くの公園に飛び込んだ。木々の陰に隠れるようにして、必死に呼吸を整える。周囲を見渡しても、悠斗の姿は見当たらなかった。 ――今のうちに逃げなきゃ。 そう思った瞬間、突然背後から声がした。 「ここにいたのか」 振り返ると、そこには悠斗が立っていた。彼は息一つ乱さず、まるで何事もなかったかのように、私に近づいてきた。 「なんで逃げるんだよ、沙耶」 悠斗は静かに言った。その言葉が、私の心をさらに凍りつかせる。逃げ場がない。どこに行っても彼は追いかけてくる。そして、今度こそ私は本当に終わるのかもしれない。 「もう、やめて」 震える声でそう言ったが、悠斗は微笑むだけだった。その微笑みが、私にとって何よりも恐ろしい。 「沙耶、もう諦めろよ」 彼は私の肩に手を伸ばし、力強く掴んだ。その瞬間、全身に嫌悪感が走り、私は本能的に彼の手を振り払った。 「触らないで!」 叫び声が響き渡る。しかし、悠斗は動じなかった。むしろ、その表情はますます不気味な笑みに変わっていく。 「そういうところが、お前はほんと面倒くさいんだよ」 悠斗は低い声でそう呟いた。そして、再び私の方に手を伸ばしてきた。 ――このままじゃ、本当に殺される。 その思いが私を駆り立てた。全身に残ったわずかな力を振り絞り、私は再び走り出した。今度こそ、彼の手から逃げ切らなければならない。 通りを駆け抜け、住宅街へと飛び込む。街灯が点き始め、辺りは薄暗くなっていた。だが、どこかに誰かがいるはずだ。誰かに助けを求めなければ―― 「沙耶!」 悠斗の声が背後から響く。だが、私は振り返ることなく、ただひたすら前へ進んだ。 足元が震え、呼吸が苦しくなっても、私は決して止まらなかった。悠斗の冷酷な笑みが、頭の中に焼き付いて離れない。その笑顔が再び私を襲う前に、何とかして逃げ切らなければ。 ――助けて。 再び心の中で叫んだその瞬間、私はようやく通りの先に人影を見つけた。 「お願い、助けて!」 涙をこぼしながら、その人影に向かって叫んだ。
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