第34話 嘘と真実の狭間

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第34話 嘘と真実の狭間

数日が過ぎたが、心の中にある疑念と恐怖は消えることなく私を縛り続けていた。涼の裏切り、そして玲奈の態度。すべてがわからなくなっていた。 学校に行くのも気が重かったが、いつも通りに振る舞わなければ、周囲に気づかれてしまう。私は感情を押し殺し、普段通りの日常を繕った。 だが、玲奈と会うと胸がざわめく。何かがおかしいと感じていたが、それが何かはわからなかった。涼との距離を感じた瞬間から、玲奈はどこか満足げな顔をしていた。 ++++++++++ その日、玲奈が突然話しかけてきた。 「沙耶、放課後、ちょっと付き合ってくれる?」 玲奈の声には微かに挑発的な響きがあったが、何かを確かめなければならないという思いが私を突き動かした。私は無言で頷き、彼女に従うことにした。 ++++++++++ 放課後、玲奈は私を学校の裏手にある静かな場所へ連れて行った。周囲に人の気配はなく、風が冷たく肌を刺していた。 「玲奈、何が言いたいの?」私は静かに問いかけたが、その言葉には抑えきれない不安と怒りが混じっていた。 玲奈は少しの間、私をじっと見つめていた。そして、ふっと笑った。 「涼、最近おかしいよね。沙耶のことばっかり気にしてさ」 私はその言葉に胸が詰まった。何かがはっきりと見え始めた気がした。 「玲奈、どういう意味?」 「涼があんたを助けようとしてるの、知ってるよ。でもね……あんた、知らなかったんだろうけど、涼は私のことが付き合ってるのよ。ずっと前から」 玲奈の口から出てきた言葉は、私を凍りつかせた。何を言っているのか理解できなかった。涼が、玲奈のことを? そんなはずがない。けれど、玲奈の目には怒りが宿っていた。 「でもね、あんたが記憶を失った時から、いやその前からも涼はあんたばっかり見てたの。私に背を向けて、あんたにばかり。だから、私は……」 玲奈は言葉を止め、私を睨みつけた。そして突然、抑えきれなくなったように怒鳴った。 「だから私は、涼をあんたから引き離すためにやったのよ!」 玲奈の叫びが、私の頭に響いた。 「何を……やったの?」 声が震える。理解が追いつかない。涼を引き離すために――何をした? 「男たちに、あんたを売るように涼に仕向けたのよ!」 玲奈の叫び声が耳をつんざいた。全身が凍りついたような感覚に襲われ、足元から力が抜けていくのを感じた。頭がぐるぐると回り、何が起こっているのか、どこに自分がいるのかさえ、わからなくなった。 「……どういうこと?」 声が震えていた。自分の声だと感じられないほど弱々しい。玲奈が何を言ったのか、その意味を理解したくなかった。 玲奈は私の顔を見て、さらに冷酷な笑みを浮かべた。その目には、一片の後悔も、申し訳なさも見当たらなかった。 「涼は最初、あんたを助けようと必死だった。でも、それがさらに私を苛立たせた。涼は私のものであるべきなのに、あんたのせいでどんどんあたしから離れていったの。だから、どうしてもあんたを遠ざけなきゃって思ったのよ。あの時、男たちに会わせたのは涼を説得したから。私が大切なら、あんたをあの男たちに売れってね。涼は自分があんたを売ることに罪悪感を感じてたけど、私が何度も言ったの。私たちが良くなるにはあんたが邪魔なんだって」 玲奈の言葉がナイフのように心に突き刺さる。 「涼は……そんなこと……」 信じられない。涼が、私を売るようなことを……。いや、玲奈に唆されたとしても、涼はそんな人じゃない――そう信じたい。でも、玲奈の冷たく鋭い言葉が、その希望を無情に打ち砕く。 「涼はあんたを守るつもりだったのかもしれないけど、結局、私のためにあんたを犠牲にしたのよ。あの夜、あんたがどれだけ恐怖を感じたかなんて知ったことじゃない。涼もそれを見ていた。だけど、あんたがどれだけ泣き叫ぼうと、涼は何もできなかったの。だって、私のためだから」 「どうして……そんな……どうしてそんなことができるの?」 玲奈はため息をつくように、軽蔑するように言った。 「どうしてって? 簡単よ。涼が私を裏切ろうとしたからよ」 言葉が耳に響く。玲奈はずっと、涼が自分のものだと信じ、執着していた。私がその邪魔をしたから、玲奈は涼に私を売らせることで、彼の罪悪感と私への恐怖を利用して、二人を引き離そうとしたのだ。 「でも涼は……本当に私を……」 口から出た言葉が、何の意味も持たないように感じられた。玲奈は鼻で笑い、さらに追い打ちをかけた。 「涼は結局、私のもの。涼に罪を背負わせてでも、あんたを追い出したかったのよ」 全身が震えた。怒り、悲しみ、絶望が一気に押し寄せ、何を感じるべきなのかさえわからなくなった。玲奈の言葉は鋭利な刃物のように、私の心を切り裂いていく。 「……涼に会わせて」 やっとの思いで言葉を絞り出した。玲奈は一瞬驚いた表情を見せたが、すぐに薄笑いを浮かべた。 「涼に会いたいの? まあ、好きにすれば?」 玲奈は私を突き放すように言うと、背を向けて去っていった。 ++++++++++ 数時間後、私は涼に会うために彼の家の近くまで来ていた。夕暮れの空が赤く染まり、街全体に不安な静けさが漂っていた。玲奈の言葉が頭を駆け巡り、何度も心が揺れた。 ドアの前に立ち、手を伸ばすも、なかなかノックできない。涼に会いたいのに、彼の顔を見るのが怖かった。真実を知るのが怖かった。 意を決してノックすると、数秒後に涼がドアを開けた。彼は驚いた顔で私を見つめた。 「沙耶……?」 その一言で、胸が締め付けられた。涼の声が、以前と変わらず優しく響いた。しかし、その優しさが今は、痛みとなって胸を貫いた。 「涼、話があるの。玲奈から……全部聞いた。」 涼の顔色が変わる。彼は目をそらし、何も言わなかった。 「どうして私を売ったの? 玲奈に言われたからって、本当にそれだけ?」 涼は答えられず、ただ沈黙を守った。私が再び問い詰めようとしたその時、彼の声が低く響いた。 「……ごめん」 その一言が、私を完全に打ちのめした。 「ごめん? それだけで済むと思ってるの?」 涙が止まらなかった。涼は私を見つめたまま、何も言わない。言葉が見つからないのか、それとも何も言いたくないのか、彼の沈黙は答えだった。 「玲奈がそう言ったからって、どうして私を……!」 涼は顔を歪め、苦しそうに呟いた。 「玲奈には逆らえなかったんだ……。彼女はお前を憎んでいた。俺が……お前に気持ちを向けてしまったせいで、玲奈は……」 「それで、私を売ったってこと?」 涼は目を伏せたまま頷いた。玲奈の嫉妬心が、涼を支配していた。そして彼は、その圧力に屈し、私を裏切ったのだ。 怒りと悲しみが混じり合い、言葉にならない感情が私を支配した。涼の謝罪は虚しく、玲奈の冷酷さにただ呆然とするしかなかった。涼が何を言おうと、玲奈がどれだけ私を憎んでいようと、もう関係なかった。 「もう……信じられないよ。涼も、玲奈も」 私は彼を残して、その場を去った。もう誰も信じられない。信じられるのは、自分自身だけだ。 玲奈の嫉妬、涼の裏切り、全てが私の中で崩れ去っていく。 私は涼の家を後にし、暗い道を一人で歩いていた。冷たい風が肌を刺すように感じたが、それ以上に心の中は凍りついていた。玲奈の言葉、涼の謝罪、すべてが私を苦しめ、過去の自分を振り返るたびに胸が痛んだ。 「もう誰も信じられない……」 そう呟いた瞬間、涙が溢れて止まらなかった。かつては信じていたはずの人々が、こんなにも簡単に私を裏切った。涼も玲奈も、恋人だった悠斗も、かつての友人も。全てが偽りだったように感じられる。 だけど、これからは違う。もう誰かに期待するのはやめよう。自分の力で、自分の道を歩いていくしかない。どうせ恋人だろうが友達だろうが他人に変わりない。結局は人なんて他人のために何かするなんてことはない。自分中心の利己的な生き物なんだから。 涙を拭いながら、私は静かに前を向いた。嘘と真実の狭間で重苦しく生きていたあの頃とは違い、真実が明らかになった今は歩き続けるたびに、少しずつ心の重さが軽くなっていくのを感じていた。 これが終わりではなく、新たな始まりだと自分に言い聞かせながら、私は一歩ずつ前に進んでいった。
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