第19話 聖夜

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第19話 聖夜

 薄暗い天井を、布団に寝ている綾が見上げている…  ――ここは?…  広島駅で父親と別れ、新幹線で帰京した綾は、その足で五十嵐のアパートに来ていた。  嫌がる五十嵐を説き伏せて、新宿東大久保公園の路地裏にある鉄骨(つくり)のアパートに来たはずだが…  結局、五十嵐は朝まで、綾に手を出さなかった。  隣に寝ていたはずの五十嵐は、もういない…  綾が上半身を起こすと、部屋のちゃぶ台の上に、メモと千円札、部屋の鍵が置いてある。  “適当に買って朝メシ食っとけ。鍵は郵便受けに入れとけ”  お世辞にも字が上手いとはいえない走り書きのメモを、手に取った綾はシミジミと見ている。  ――こういう大人も、いるんだぁ…  綾が知る成人男性は、自分の身体を色目遣いで舐めるように(くま)なく眺めまくる、(いや)しい存在そのものだ。  電車に乗っていても、街を歩いていても、男どもからの視線を感じないことはない。  ましてや昨晩は、綾の方から積極的にアプローチしていた。  横に寝る五十嵐の胸に頭をつけ、髪を撫でられていた綾はウットリして…――  気が付いたら、朝だった。  ≪俺は失敗を、繰り返したくない――≫  ――そんなこと、言ってたな…  ≪もう安易に、女の子を抱きたくないんだ≫  ――あたしは、エッチしたかったのにぃ…  ≪なり行きで、16歳の()を抱いちゃったことがあるんだ…≫  ――そんなの、関係ねぇし…  ≪キレイごと言っといてこれかよって、すっげえ後悔した≫  ――あたしが…  ≪だから、未成年の娘は二度と抱かないことにしたんだ≫  ――エッチして欲しいって感じた大人は、五十嵐サンが初めてなのにぃ…  上半身を起こして(うつむ)いている綾は、意味不明な敗北感に打ちのめされてしまっている――  ――よしっ!…  ブラジャーとパンティーだけの姿で立ち上がった綾は、軽く身震いすると、そそくさと身支度(みじたく)を始めていた――  ★  ★  「――なぁんで、まだいるんだよぉ?」  アパートの自室の玄関扉を開けるなり、五十嵐が苦り切った顔をしている。  時刻は日曜の夜の11時を過ぎていて、ちゃぶ台に突っ伏して寝ていた綾が、ハッとして顔を上げる。  「…遅いィ~」  「いや、何でいるんだって?」  ディパックを背負い、コンビニのレジ袋を手に提げた五十嵐が、ドスドスと部屋に入って来る。  「待ちくたびれたァ~」  「いや、何で家に帰ってねぇんだって?」  「冷めちゃったじゃんかぁ~」  「冷めちゃったって――」  綾がキッチンを指差すので見ると、IHコンロに小鍋が置かれている。  「――おまえ…」  「そんなコンビニ弁当ばっか食ってたら、身体によくないからさぁ…」  伸びをして立ち上がった綾が、キッチンの方に歩いていく。  「肉じゃが、作ったんだぞぉ」  「――食えんのか?」  「バッ――、バカにすんなッ!」  「すまんすまん、――なんか…」  「…なによ?」  「意外だなぁって、思って…」  顔を見合わせて、綾と五十嵐がクスクス笑っている…――  ★  ちゃぶ台の上には肉じゃがが入る小鍋と、ご飯茶(わん)に味噌汁碗と置かれ、それなりの食卓になっている。  「――…美味(うま)い!」  肉じゃがを一口食べた五十嵐が、眼を丸くしている。  「でしょぉ~」  得意顔の綾の前で、五十嵐がガツガツとご飯と肉じゃがを食べている。  「――作ってくれんのは、ありがたいけどさぁ…」  「なに?」  「こんな外泊しまくって、大丈夫なのかよ?」  「ヘーキ、ヘーキ」  小鍋に(はし)を伸ばしながら、平然と言ってのける綾。  「下手したら、ウチに『おぢ』連れ込んでっから」  「――…マジ?」  「玄関開けたら、男モンの靴があったことがあってさぁ、慌ててドア閉めたんだ」  「――……」  モグモグ食べながら話す綾と、箸の動きが停まってしまっている五十嵐…  「今度、お母さんと話さないとな…」  「いいって、いいって、あんなオバハン――」  大きく口を開けて、綾が肉をほお張っている。  「高校卒業したら、パパんとこ行こうと思って…」  「――そっか…」  「ちゃんと、謝ってもらったし」  「――そっか…」  優しげな笑顔を五十嵐が、綾に向けている。  「だからさ、卒業するまで、ここに居させてよ」  「(*´Д`?!――、はああぁッ?!」  「大丈夫。炊事に洗濯、掃除に買い物と何でもやるから」  「そ、そういう問題じゃないッ!」  茶碗と箸をちゃぶ台にバンッと置いて、五十嵐が血相を変えている。  「と、とにかくぅ、そんなのダメだからな!」  「ええ~っ?!居させてよぉ~」  「ダメったら、ぜってぇダメ!」  「いいじゃあ~ん…」  この日の夜は日付が変わっても、綾と五十嵐のケンケンガクガクは続いていたのである…  ★  ★  「へぇ~、クリスマスイブで一緒に過ごしたかぁ~…」  翌日は、北澤高校の終業日。  午前5時前に五十嵐から叩き起こされ、自宅マンションに戻って制服に着替えてから登校した綾は、思いっきり寝不足だ。  眠い目を(こす)りながら綾は、教室で愛莉から絡まれている。  週末に広島ヘ行ったことからの一連の出来事を、綾は愛莉の顔を見るなりペラペラ話した。  愛莉から指摘されるまで、昨日がクリスマスイブだったことを、綾は全く気付いていなかったのだが…  「やるじゃあ~ん」  教室で隣の席に座る愛莉から、綾が小突かれている。  「ちげぇ~って。そんな感じじゃ、ゼンゼンねぇからさぁ…」  仏頂面で、冷たくあしらっている綾。  「それに今日がクリスマスだって、いま知ったし…」  「そっか…」  神妙な面持ちで、愛莉が(うなづ)いている。  「綾にとって、人生で一番最悪の、クリスマスイブだったかぁ~」  「それに引きかえ愛莉は、パパ活の『おぢ』と至福のクリスマスイブを過ごしたんでしょ?」  シレッと綾が、からかっている。  「ばぁか、今更そんな気分になるわけ――」  「お二人さんがお(しゃべ)りやめないと、始められないんだけど…」  教卓で担任教師が注意するので、慌てて二人は席に座り直している…――  北澤高校の終業式は、担任教師が通信簿を各自に渡して、ホームルームで解散になる。  ロクに通学していない綾の学業成績は燦々(さんさん)たるものだが、当人は全然気にしていない。  担任の話を、例の如く窓からの景色を見ながら、頬杖(ほおづえ)をついて上の空で聞いている綾だが…  ――カケル…  綾の頬を、涙が一筋、ツッーと流れている…  ――ありがと…、バイバイ……  ★  ★  神奈川県相模原市の、とあるカトリック教会…  12月25日クリスマスの今日、月曜の日中であるが、大勢の信者たちがミサに参列している。  五十嵐と藤村が礼拝堂と呼ばれる広間の扉を開けると、(おごそ)かな祈りの声が流れてきた…  ――…地にも行われますように。  わたしたちの日ごとの(かて)を今日もお与えください。  わたしたちの罪をお(ゆる)しください。  わたしたちも人を赦します。  わたしたちを誘惑に(おちい)らせず、  (あく)からお救いください…  正面祭壇(さいだん)後方の壁には、十字架に(はりつけ)られたキリストの木像が高々と(かか)げられ、右端の朗読台には神父が立ち、祭壇の前に五列に並べられた、60脚のパイプ椅子に信者たちが座っている。  スータンと呼ばれる足元すっぽり隠れるほどに長い白色服の上に、アルバという(えんじ)色のガウンを羽織り、さらにストラという槐色ストールをかけている初老の神父が、祈りの斉唱(せいしょう)を先導している。  朗読台の上の聖書からチラと眼を上げ、神父が礼拝堂の後方に立つ五十嵐を一瞥(いちべつ)する。  視線に気づいた五十嵐が、軽く会釈している。  隣に立つ藤村も、合わせるように会釈する。  ミサでは「アヴェ・マリアの祈り」が始まった。  厳かな祈りの斉唱が、礼拝堂の中狭しと響き渡っていた…  ★  クリスマスミサが終わり、信者たちが離席を始めた頃合いで、五十嵐は神父の方に歩み寄る。  「メリークリスマス!」  初老の神父が両腕を広げて、五十嵐へ笑顔で叫んでいる。  「――いや…、いきなりそれっすか?」  苦笑いしている五十嵐の隣で、  「お久しぶりです、重盛さん!」  藤村が笑顔で、挨拶している…  ストールを外してアルバを脱ぎ、ニコニコしながらパイプ椅子に座る重盛。  「――で、二人は、いつ結婚するの?」  一気に赤面してしまう、パイプ椅子に座る五十嵐。  「全然プロポーズしてくれる気配、ないんですよぉ~」  隣に座って、ニヤニヤしている藤村。  「おま――?!…」  「なぁんで、しないんだよぉ、五十嵐クン!」  言葉に詰まっている五十嵐を、重盛が真顔で叱責(しっせき)している。  「…んなこと言ったって、今の俺の稼ぎじゃあ――」  「あたしが働くからぁ、大丈夫って言ってんじゃん」  NPO法人の代表理事とはいえ、五十嵐の年収は藤村には遠く及ばない。  「いや、智美には、ちゃんと子育てを――」  「産休取れるから、大丈夫よぉ」  「じゃあ、決まりだな」  重盛が腕組みをして、ニヤニヤしている。  「たくぅ~、久しぶりに挨拶来たら、これっすかぁ?!」  「いやいや、すまんすまん。ずーっと、気になってるもんでな…」  重盛が右手を振って、笑顔で詫びている。  「…どうだ、最近は?」  「――いや、ちょっと…」  「気になっちゃってる()が、いるんですよ」  言葉に詰まる五十嵐の代わりに、藤村が告げている。  「なんだとっ?浮気かっ?!」  「ち、ちげえって!なんでさぁ――」  「その娘のカレシが、警察に捕まっちゃって…」  五十嵐を(さえぎ)って、藤村が続けている。  「いくつの娘なんだ?」  「16歳です」  「――そうか…」  重盛が胸の前で十字を切り、合掌(がっしょう)して祈りを捧げていた…
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