七夕伝説

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 その昔、機織りの織姫と牛飼いの彦星がおりました。ひょんなことから、二人は出会い恋に落ち、やがて自らの仕事をさぼるほど相手にのめり込んでいきました。そのことが天帝に知られ、怒った天帝は二人の間に川を流し、二人の仲を引き裂いたのです。これで真面目に役目を果たすだろうと安堵した天帝でした。ところが、織姫も彦星も悲しみのあまり、川に身投げをしようとする始末。天帝は可哀相なことをしたと反省し、年に一度、七夕の夜だけ二人の為に鵲が作る橋を渡って会うことを許したのです。めでたし、めでたし。 「そんなわけないでしょう。何がめでたしめでたしよ!全然めでたくないわ!」  夜空を上質な布地に縫い付けたような衣を身に纏った女性が『七夕御伽草子』と書かれた書物を勢いよく閉じ、机に放り投げた。端整な顔立ちをくしゃりと歪ませて、ソファーに仰向けで寝転び、腕枕をして足を組んだ。 「お嬢様、そのようなだらしのない寝方をするのはお止めください」   彼女の側に仕えていた侍女が今にも溜息を吐きそうな顔をして窘める。お嬢様と呼ばれた美女は名を織姫といい、天帝の愛娘である。その織姫が鬱陶しげに侍女を睨んだ。 「下界でこんなのが広まっていて不愉快だわ」 「しかし、事実ではありませんか」   侍女は表情を変えずに、テーブルの上に雑に置かれた書物を手に取り、ページを捲り、流し読みをする。織姫は侍女の返答が気に入らなかったのか、肌触りの滑らかなソファーの肘掛けを容赦なく蹴った。 「そうよ! その本の通りだわ! でも、あの人は百年で他の人に鞍替えした!ずっと君のことを想ってるって……そう言ったのに」  織姫はくるりと身を反転させソファーの座面を涙で濡らしながら、 「嘘つき」 と何度も連呼する。 足元で控えていた侍女は織姫の目の前まで近寄り、何も言わずにそっと彼女の頭を撫でる。その顔は菩薩のように慈愛にた顔をしていた。そして、どこか満足げであった。   一方、恨まれ口を叩かれていた彦星は、織姫が自分のことを想い、涙を流していることとは露知らず、侍従と和気藹々とした様子で会話をしていた。 「新しく牛飼い見習いとして働いている子の様子はどうかな?」 「はい、彦星様。物覚えも良く、大変真面目に勤めを果たしております」   彦星の侍従は牛飼い見習いの勤務態度が詳細に書かれた書類を恭しく彦星に渡した。 「自分で言うのもおかしいと思うけど、昔の僕にそっくりだね」 「えぇ、そうですね。大変似ております。勿論、今も彦星様は勤勉な方ですよ」  侍従は尊敬の念に満ちた眼差しを向ける。一通り、書類に目を通し終わった彦星が書類を目の前のテーブルに置くと、侍従に手招きをする。侍従が訝しげに彦星の側まで来ると強引に引き寄せられた。 「彦星様!? お戯れがー」  彦星は諫める侍従の唇を強引に奪った。唇を塞がれても尚、抵抗をするものだから体を反転させて侍従の両腕の自由を奪った。そして、舌を口の中に捩じ込ませ、思うがままに蹂躙した。侍従は顔を背けるなどをして色々な策を講じたが、どれも阻まれてしまい、遂に受け入れた。 そこからは甘く蕩けるようなキスに変わり、熱い吐息と共に漏れ出る嬌声が互いをヒートアップさせた。 「ごめん……我慢できなかった。腕、大丈夫?」 「謝るくらいでしたらお止めください」  両腕を解放された侍従は手首を摩りながら彦星から目を背ける。その顔は上気しており、潤んだ目に甘い色香を含んでいた。乱れた息を整える為に、僅かに開かれた唇は艶やかで熟れた果実のようにみずみずしい。彦星は思わず喉を鳴らした。熱い視線に気付いた侍従は彦星を押しのけて起き上がった。 「これ以上はいけません。貴男様には織姫様という、素敵な女性がいらっしゃるではありませんか。こういったことはもう……終わりにしましょう。貴男様のお側にお仕えするだけで、(わたくし)は幸せです」  彦星は離れようとする侍従の手を掴み、自分の胸へ閉じ込める。 「それはお前の本心ではないだろう!」 「いいえ、本心です!」 「ならどうして!どうしてお前は泣いているんだ!」  侍従は自分の目尻が熱くなっていることに気付き、唇を噛み締める。ゆっくり離され、目の前には自分の愛しい人の、今にも泣きだしそうな顔が映る。女子を扱うかの如く優しく頬を撫でられ、堪らずに涙を流す侍従。 「僕が誰を愛してるかー」  侍従は彦星が言い終わらぬ内に、不躾にも主である彦星の口を手で塞いだ。そしてすぐに自分が取った行動に気付き、さっと手を離しソファーから降りて床へ頭を擦りつけ、許しを請う。 「申し訳ございません!侍従としてあるまじき行為をしてしまいました。どうかお許し下さいませ……」 「それは別に構わない。だけど、何故僕の言葉を遮った。僕の気持ちはどうなる?」  地面に頭をつけたまま、ひたすら 「申し訳ございません」 と連呼するばかりの侍従を彦星はただ静かに見ていた。  *** 「織姫様、本日のお勤めに間に合わなくなりますのでいい加減起きてくださいませ」  侍女がなかなかベッドから起き上がらない織姫を諭す。 普段の織姫は侍女が来る前に起きているのだが、この時期になると気分がふさぎ込み布団を頭から被り、ベッドに閉じ籠もってしまうのだ。 不貞腐れている織姫を目の前にして、侍女は小さく溜息を吐いた。 「……何よ。主人の前で溜息吐くなんてあなたぐらいのものよ」 「申し訳ございません。無礼とは思いつい、溜息が出てしまいました」  侍女は無表情ながらも少しだけ苛立ちを見せる。すると織姫は本当に怒られると思ったのか急に布団から出て、侍女に 「ごめんね。ちゃんとするから怒らないで」 と謝る。 「織姫様に腹を立てたわけではありません。織姫様をこの時期限定でこんな風にさせたあの男を恨んでいるのです」 「そうなの? 貴女って本当に優しいわよね。たまに毒を吐くけどなんだかんだで心配してくれるもの。それに彦星様のことをあの男と呼ぶの貴女くらいのものね」  織姫が天女のような微笑みを向けると、侍女は少し頬を赤らめながら目を逸らした。しかしすぐに表情を消して織姫に視線を戻す。 「……織姫様、(わたくし)では役不足でしょうか? あんな男など忘れて私にしませんか?」 「そこまで気を遣ってくれなくても大丈夫よ。心配かけてごめんなさい」  織姫は戸惑いながらも笑って受け流した。すると、珍しく侍女が 「気など遣っておりません!」 と声を荒げて身を起こしていた織姫の肩を掴み、もう一度ベッドに押し戻した。いつもの侍女とは違う雰囲気に、戸惑いを通り越して恐怖を感じた織姫は身を竦め、顔を強張らせた。怯える主人とは裏腹に涼しい顔をして主人を見下ろす侍女。 「そんなに怯えないでください。別に取って食おうなんて思っておりませんから」  侍女は物心がついた頃から感情の起伏が少ない。他の侍女達が分かりづらいと彼女を避ける中、織姫だけはどんな小さなことでもすぐ見抜く。小さい頃は誤解されがちだった為、織姫が目に涙をいっぱい溜めながら侍女の誤解を解いて回っていた。そのおかげで現在はみんなの輪の中心にいるのだ。 それが今、織姫ですら感情が読み取れずにいる。震える織姫を、壊れ物を扱うように頬を撫でる。 「お嬢様のことをずっとお慕いしておりました。私は感情を表に出すことが少なくて周りから避けられておりましたが、お嬢様だけはずっと私の側にいてくださいました。その頃からお嬢様が好きでした」 「う、そ……だって、そんな素振り一つも見せなかったじゃない!」 「お側にいれるだけで幸せでしたから。一介の侍女がお嬢様に心を寄せるなんて厚かましいですし、あってはいけないことです」  侍女が淡々とした表情を崩し、今にも泣き出しそうな顔をして織姫を見つめる。 「私は規則を破ってしまいましたので、処分を甘んじて受ける所存です」  侍女は花を愛でるように織姫の頭を撫でると、縛り上げていた両手首を解放しベッドから離れた。部屋から出ていこうと踵を返した途端、織姫に手首を強く掴まれた。侍女の体が僅かに跳ね上がる。侍女は振り返ることなく、織姫に要件を尋ねる。 「待って! 貴女まで(わたし)の気持ちを無視するの……?」  織姫の消え入りそうな声に思わず身を翻した。そこにはベッドから目いっぱい身を乗り出し、瞳に涙を溜めながら泣かぬように眉間に皺を寄せている織姫がいた。しかも侍女の手首を掴んでいるその手は震えている。その姿は自分の誤解を解く為に必死に回ってくれた時と変わらなかった。侍女は目元を潤ませながらその華奢な体を自分の腕で包み込む。 「お嬢様。よろしいのですか? このままお嬢様の側にいても……」  侍女の言葉に応えるように織姫は侍女の腰に腕を回し、頷くように胸に顔を埋めた。 言葉はなくとも想いが伝わり、侍女は安心したように微笑んだ。すると織姫が勢いよく顔を上げ、 「笑ってる! 貴女の笑ってる顔好きよ」 と花が綻んだように愛らしく笑った。一筋の涙溢しながら。  そして迎えた一五一年目の七月七日。いつもなら誰かが亡くなったのかと思うほど暗くどんよりとした表情を浮かべている所だが、此度の七夕は違った。彦星に会うというのにスズランのように愛らしい笑みを浮かべ、終始和やかな雰囲気で侍女達に囲まれながら歓談している。時計が午後七時を知らせると、側仕えの侍女が主の目の前に立ち、手を差し出した。 「織姫様、そろそろお時間です」  織姫はこくりと頷き、侍女の手に自らの手を重ねた。侍女のエスコートにて彦星の元へ向かう。星の川まで辿り着くと侍女は人の見から白く美しい白鳥へと姿を変え、織姫を自らの背に乗せ、星の川を架けた。 対岸に着くと、彦星が神妙な面持ちで待ち構えていた。 「あら、彦星様。お出迎えなんて珍しいですわね。それに彦星様のが見かけませんが、どうかされたのですか?」  この一言に彦星は少し顔を引き攣らせた。しかし、すぐに柔らかな笑みを浮かべた。 「ねぇ、織姫。僕ともう一度やり直さない?僕はー」 「お言葉ですが、彦星様。(わたくし)には大切に想ってくれる人がおります。私のことはどうぞお気になさらず、彦星様の思うままに歩みくださいませ」  織姫は満面の笑みを浮かべると、一礼して対岸に戻ろうと踵を返した。すると、彦星は縋るように織姫の細い手首を掴んだ。 「待ってくれ! 僕が悪かった! だからもう一度チャンスをくれないか?」  織姫は振り向きざまに腕を振り払い、睥睨した。その表情は数日前の未練が残った表情とは変わり、一切情もなく冷たいものであった。ここでようやく彦星は己の愚かさと浅はかさに気付き、絶望に満ちた表情で項垂れる。 「……僕はどうしたらいいんだ」 「さぁ? 知りません。ご自分でお考えになってください。私はもう彦星様に会いに参りませんので」  織姫は一度そこで言葉を区切った。そしてへたり込んでいる彦星の前で両膝を折って目線を合わせ、その両手で彦星の血の気が失せて冷え切った両手を温めるように包み込んだ。 「でも、彦星様には感謝しております。心が病む時もありましたが、私のことを大切にしてくれる人が見つかったのですから。彦星様の幸せを対岸で祈っております」  織姫は柔らかな笑みを向けると、立ち上がり振り返ることなく、少し離れて控えていた侍女の元へと向かった。侍女に手を引かれて対岸へ戻る織姫はとても幸せそうな顔をしていた。 その様子を彦星は焼けるような胸の痛みに耐えながら対岸へと向かう織姫を見送った。    ***  織姫が岸に着くと、侍女と織姫は熱い抱擁を交わした。ただひたすらに、互いを確かめ合うようにかき抱く。 暫く堪能した後、思い出したかのように熟れた果実の如くみずみずしい唇を啄む。徐々に唇が開き、舌がちろちろと互いの唇を触れ合う。熱く濡れそぼった舌が絡む頃には息が上がり、頬を紅潮させながら互いの蕩けた顔に目を奪われ、理性を壊していく。 そして、遂に織姫の腰が砕けた時、侍女は失いかけていた理性を取り戻し、一気に青ざめた。 「織姫様、場所も弁えずに申し訳ございません。大丈夫ですか?」  心配そうに見つめる侍女をよそに織姫は余韻から抜け出せず、恍惚とした表情を浮かべていた。この様子に思わず侍女はごくりと唾を飲み込んだ。苦笑いをして溜息を吐く侍女の頬を織姫はそっと撫でる。 「(わたし)も余裕なかったけど貴女が余裕ないのは初めて見たわ。ふふ、なんだか新鮮だわ」  侍女は先程の行為を振り返り、ばつが悪そうに織姫から目を逸らした。そして、何かを思い出したかのように視線を戻した。その表情は真剣そのもので、視線はまっすぐ織姫に注がれている。 「お嬢様……順番を少し間違えてしまいましたが……私はお嬢様、織姫様のことをずっとお慕い申し上げておりました。これからは私と共に歩んでいただけませんか」  織姫の瞳がまるで宝石のように光り、やがて雫となって頬を伝い落ちる。そしてお日様のような温かい笑みを溢した。 「喜んで。ずっとそばにいて。私だけを見ていて」 「はい、織姫様。私は貴女様だけの白鳥ですから。貴女様がお役目を果たしてお眠りにつくその日まで片時も離れませんし離しません」  侍女は織姫の手の甲に唇を当て、小さなリップ音と共に顔を上げた。それを擽ったそうに見ている織姫。侍女と目が合うと、頬を赤らめながら小さく笑った。 「織姫様、これから天帝にご挨拶に参りませんか」 「そうね。行きましょう。お父様、驚くでしょうね」  織姫は驚いた天帝の顔を想像しながらいたずらっ子のような笑みを浮かべた。横では侍女が珍しく微笑ましそうに見つめている。 「な、何よ」 「幼少期の織姫様を思い出しておりました。あの頃の織姫様ときたらそれはもうやんちゃで……」  今度は恥ずかしそうに頬を紅く染め、膨らませる。侍女は彦星に奪われていた期間、織姫は変わってしまったとばかり思っていた。しかし、彦星と会う前の織姫がちゃんとここにいて、最初からいなくなってなどいなかったのだということを知り、人知れず安堵した。 「さぁ、天帝にご挨拶に参りましょう。宴が終わる前に」 「そうね。今年の宴は私たちへの祝福でいっぱいにしたいわね」  織姫はそう言うと侍女に寄り添い、指を絡めた。これからの未来を紡ぐように。  ***  夜明けの空に一羽の白鳥が羽ばたいている衣を身に纏い、ソファーに優雅に座りながら書物を読んでいる女性がいる。最後のページを読み終えると、本を閉じて静かに目の前の机に置いた。『七夕伝説』と書かれた表紙を優しく一撫でし、懐かしむように目を細める。 「おや、今度は放り投げないのですね、織姫様」 「当たり前じゃない。これは貴女との物語なんですもの」  織姫と呼ばれた女性は、隣に座り一連の動作を見守っていた侍女にふわりとした笑みを向ける。その愛らしさに侍女も釣られてにこりと笑い、織姫の絹糸のような艶のある髪をそっと撫でた。 「今までいろんなことがあったわ」 「えぇ、中でもご挨拶に伺った時の天帝の驚きようは…今でも忘れられません」  彦星と別れ、二人で熱い抱擁と誓いのキスを交わした後、天帝に挨拶に向かった織姫と侍女。今年も無事に織姫と彦星が出会えたことを祝って宴が開かれているのだが、織姫と彦星は一度も参加したことがない。二人の時間を邪魔されたくなかったからだ。今となっては星々がただ酒を飲みたいだけの口実に過ぎなく、今年も例なく宴は盛り上がっていた。     飲み交わしている星々に目もくれず、二人は天帝の御前に進み出る。  挨拶もそこそこに、織姫は侍女を生涯の伴侶と紹介した。天帝は腰を抜かし、玉座から滑り落ちる。それを見かねた織姫の母である天后が天帝の代わりに涙ながら祝福してくれたのだ。 「本当にあの時のお父様ったら、ご自身が天帝であることを忘れていたわね……あれから百年経つけれど昨日のことのように覚えているわ」 「そうですね……この先、ずっと忘れることがないでしょう」 「愛しているわ、真白」 「愛しております、織姫様。今までもこれからも」  二人は額をくっつけ、喜びを分かち合う。そしてどちらからともなく、ゆっくりと目を閉じ、唇を重ねた。  *** 侍女の独白  とある一羽の白鳥が天帝によって生を受けた。そう、それが(わたし)だ。私は天帝からまだ生まれぬ愛娘の侍女として仕えるよう命じられる。物心つく前から決められていて、それが当たり前だと思っていた。しかし、織姫様と初めて顔を合わせた時、 「わたしがこのおかたをまもるんだ」 と底知れぬ意志が沸いてきたのを鮮明に覚えている。天帝から命じられたからではなく、自分の意思がそう叫んでいたのだ。  そう、その頃からきっと、織姫様に想いを寄せていたのだろう。幼い私にはまだその感情が何なのか分からず、憧れとして思っていたに違いない。そして、それ故に今とは別人のようにたくさんの感情を見せていた。あの頃はとても満ち足りていた。私が笑えば織姫様も笑ってくれる。しかし、幸せな時間も己の感情の自覚によって崩れた。  私は人の年齢で言うと、四歳あたりから織姫様の側付き侍女になる為の教育が始まった。それと同時に己の気持ちが何であるかに気付いた。そこからは一変し、感情を表に出すことはなくなり、それまでうまく付き合えていた仲間に誤解され始め、疎まれるようになった。私は織姫様のことを好きになってしまった代償だから仕方がないとずっと思っていた。  陰口を言われようが無視されようが、より一層身を粉にして働いた。一年が長く感じたけれど側付き侍女として織姫様の役に立つのだという気持ちだけが心の頼りだった。  そんなある日、どこからか織姫様は私の陰口を耳にして、泣き虫な織姫様は私の為に泣くのを我慢して、私の腕を引っ張り、使用人全員に弁解して回ったのだ。その時、これを全員にするのかと呆れはしたけれど、私の為に誤解を解いてくださっている織姫様の気持ちがとても嬉しく、今まで独りぼっちだった私は織姫様によって救われた。それ以来、私はなぜかみんなの輪の中心にいた。みんなが私を尊敬してくれる。少し、こそばゆいけれど悪い気はしなかった。(わたくし)はより一層、織姫様に忠義を尽くすようになった。  時が過ぎ、織姫様が成人されて誰もが振り返るくらい美しい女性になられ、お役目も立派に果たされるようになった頃、私も感情を隠すのが得意になった。  そんな時に織姫様はあの男と出会った。私は腸が煮えくり返りそうになった。誰よりもあの男を呪った。しかし、織姫様の幸せそうな笑顔を見た時に私は、あの男に負けたのだと悟った。身分不相応なあの男に。  大変勤勉家であった織姫様が公務を怠るようになり、あの男と逢瀬を重ねていく変わりように気が狂いそうになった。 私の織姫様をよくも…と心の中で何度叫んだことか……。 そして遂に天帝の耳に入り、二人を引き裂いたのだ。私は思わずはしゃぎたくなる気持ちを抑えて、待機命令が出ている織姫様に天帝からのお言葉を伝えに織姫様の自室へと向かった。自室には誰もおらず、星の川へ向かわれたのだということに気付く。 血の気が一気に引き、これは私への罰なのだと思った。星の川へ着くと織姫様がいた。今にも身投げしそうな緊迫した状況だった。そして遂に身を投げ出そうと織姫様が前のめりになった瞬間、運よく間に合い、私が織姫様のお身体を受け止めたのだ。それでも尚、 「お願いよ、行かせて!!」 と叫び、振り切ろうとする織姫様を必死に止めるしか他なかった。 その時ふと、これは私の罰なのだと確信した。嫉妬に狂ってあの男を呪った罰。そして、天帝によって二人の仲を引き裂かれた時に喜んでしまった罰。当然の報いであると。 私はなんとか思い留まった織姫様を自室へ運び、温かい飲み物を用意した。俯いており、顔がはっきりとは見えなかったが、茶器に入ったお茶を通して見えた織姫様の表情は、酷く憔悴しきっていて今まで見たことのない弱々しいお顔だった。(わたくし)はこの後に今度こそ織姫様に幸せと永遠の愛を運ぶ白鳥になろうと決意した。  織姫様が泣き疲れて眠られた後、天帝に先程の状況を報告した。身分不相応ながらも二人を年に一度だけでもいいから会わせて欲しいこと、そして、その役目を己に努めさせて欲しいと願い出た。天帝と天后は僅かに顔を曇らせて 「貴女が良いと言うのなら」 とお許しを頂いた。それからは年に一度、会える喜びを噛みしめながら織姫様は再び笑顔を取り戻した。 あぁ、これで良かったのだと思いながらも、胸のどこかで 「何故私では駄目なのか」 という思いがちらついていた。  それから百年の月日が流れた。織姫様がいつものようにお戻りになる際、少しだけ表情が曇っていたことが気になり尋ねると、なんでもなかったように振る舞うお姿がこの時を機に、徐々に見え始めた。  七夕の時期が近づいてくると、悲しそうな表情を浮かべるお姿に私は二人に何かあったのだと確信し、逢瀬の時にこっそりと尾行した。すると、驚いたことに二人の逢瀬に、あの男の侍従が付き添っていたのだ。それも織姫様より親しげで、ただの主従関係とは思えない雰囲気を出していた。私はこんな男に負けたのかと酷く動揺した。と同時に、私の心はあの男に散々嬲られたように思え、強く憤りを覚えた。 居ても立ってもいられず、その場を離れ、織姫様が星の川にお戻りになるまで情けなく泣きじゃくった。  徐々に落ち着きを取り戻すと、今度は自責の念に駆られた。織姫様が一番傷付いているのに何故己が泣いているのか。思えばこの逢瀬も己が提案したことではないか。ならば、やることは泣くことではない。 私は喝を入れる為に牛舎近くの井戸から水を汲み、それを頭から掛けた。ちょうどその時、織姫様がお戻りになられてぎょっとしたお顔をされていた。とても心配されていたけれど、事情を話して二人で背負っていく覚悟を話したら泣きながら笑っていて、 「ありがとう」 と言われた。 その時はこれが最善だと思っていた。でも、それは解決策にはならなくてかえって織姫様を苦しめるだけだった。早く諦めさせて「私がいる」と意思を表明すれば良かったのだ。  私は己が宣言しても手に入らないと勝手に決め付けて織姫様を五〇年苦しめていた。私は臆病で卑怯者だ。勿論、自らも心が苦しんだのは言うまでもない。苦しくて苦しくて私はとうとう織姫様に 「(わたくし)では役不足でしょうか」 と言ってしまった。いざ言ったら止まらなくなり、織姫様を怖がらせてしまった。それは今でも後悔している。結果的に織姫様は私に振り向いてくださったけれど、下手したら側付き侍女という役職から外されていた。それだけでは済まされなかっただろう。  織姫様が私をお選びくださって、幼き頃からの想いが浮かばれるのだと自室に戻ってから一人泣いた。嬉しかったけれど、同時に不安でもあった。天帝と天后様からお許し頂けるだろうか。  そんな思いを抱えながらも一五一年目の七夕を迎えた。織姫様はこの逢瀬であの男に別れを告げると言っていた。そこについては何も不安はない。しかし、天帝と天后様に話すかは織姫様と何も話していない。 お許し下さるか分からないけれど、やはり隠しておきたくないと思った。ちゃんとしておきたい。そう強く思った。 だから、最後の逢瀬が終わって岸に戻った後、織姫様に己の意思を伝えた。その前に感情が昂ってしまって荒々しい接吻をしてしまったけども、織姫様は当たり前かのように頷き、いたずらっ子のようにお笑いになるので、不思議と織姫様と一緒ならもう何も怖くないと思えた。  両陛下への謁見はとても緊張したけれどもお許しを頂けたのがなにより嬉しかった。天帝のあのお顔は織姫様が幼い頃に木登りしてそこそこ高いところから落ちた時以来だ。天后様は嬉しそうに涙を流されておられて、何が何だかという感じだった。落ち着いた頃に天后様から話を伺い、呆然とした。 聞くところよると、私が織姫様を恋い慕っていたことは最初から知っていたと。様々なところで合点がいき、恥ずかしいやら嬉しいやらで感情が忙しかった。勝手に身分不相応だと思っていたのは私だけで周りはとうの昔に認めていたのだ。私は情報過多により、頭が過熱し回路がプツリと途切れるような音がした途端、倒れた。そのあと、天帝が自ら私を部屋まで運んで頂いたと聞いた時はまた意識を失いそうになった。  そうして、完全に復帰して今に至る。今こうして愛しい人と隣で笑い合えるのはあの男のおかげでもある。一度は恨んだことがあったが、今では感謝している。  長い長い霧の向こうには天帝や天后様、私の仲間達、そしてなにより私の一等星(織姫様)が笑って私のことを待っていた。私だけの一等星がお側にいてくれるなら私はもう迷わないだろう。  そして誓おう。織姫様に永遠の愛をもたらすのは私であることを。白鳥(わたくし)の名に懸けて。
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