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別れ
「別れたいんだ」
私は食べかけのミートソースのフォークを取り落としそうになった。
予期していたことではあった。だがどんなに身構えていても鋭利な言葉は避けることができない。目に見えなくても心は大量に血を流している。
最近の啓の様子を見ていたら想像できることではあった。いつか来るだろうと思っていた。きちんと言葉にして別れを切り出すだけ誠実なのかもしれない。些細なやりとりの中にあった細やかな優しさがいつからか雑になっていっていた。
さりげなく車道側を歩いてくれていた啓は、いつからか後ろを振り返ることなく自分のペースで歩いて行くようになっていた。それに対して文句を言うとすぐにけんかになっていた。お互いに譲れなくなり衝突が増えていた。
ああ、もう無理なのか。
ありがちで何のひねりもない陳腐な言葉を端的に吐いていた。だからこそ誤魔化しや偽りがない本心なのだと嫌でも気づかされてしまう。
声が出ない。口を、表情を少しでも動かしたとたんに嗚咽が漏れそうだ。口腔に生唾が溢れ、胃がひっくり返りそう。
啓の目を見つめる。その少し色素の薄い目が好きだった。最近は目を合わせることも少なくなってしまった。久しぶりに正面から見ることが出来た。別れ話だと承知しているのに、ついついその目に引き込まれてしまう。
動かない表情。いっそのこと怒ってくれていたら、いや怒っていてもきっと見惚れてしまったと思う。どうしてもその目に集中してしまう。
どうせなら泣きわめいてしまえたらどれほど楽だろう。そんなこと出来ない。ファミレスの人の目は多いし、今のこの雰囲気だけでも周囲の人にちらちらと見られている。
こんなにも惨めな気持ちになったことはない。
「そっか」
それだけの言葉を吐き出すのが精一杯だった。泣き崩れないぎりぎりだった。
ファミレスの席で向かい合って食べるミートソースが冷めていく。付き合って始めて食べたのもミートソースだったなぁとどうでも良いことを考えてしまう。子供向けなのか甘めに作られているのが好きで、新商品などが出ていてもついつい、いつもミートソースを頼んでいた。
これからこのメニューを食べるたびに啓の声を思い出してしまうのかもしれない。
「それだけ?」
啓は私を凝視する。唇の形も好きだ。薄めの唇はきっともう優しい言葉をくれない。
それだけのはずがないけれど、何も言えないのだ。なにかを言った瞬間に崩れ落ちてしまう。出来ることは口を引き結ぶばかりだった。
「やっぱ、可愛くねえなお前」
最近、よく言われる言葉だ。
しかし今となってはそれは終わりを決定づける言葉となった。きっと私の目には悲壮がありありと映っていただろう。啓はそれを見ていなかったのか、あえて無視したのかわからない。
二人で無言のまま食事をして、そのままファミレスを後にした。
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