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*22 これから歩んでいく道を決めるということ
兄ちゃんと聡ちゃんの関係をメンバーに明かした話と前後して、事務所からの課題で「集客百名のライブをやろう」ということになっていて、あのリハスタでの出来事はそのチケットを捌くのをみんなが奔走しているさなかでもあった。
ひとりでも欠けてしまったら集客はその分減ってしまうし、何よりライブにならない。そういうのもあって羽田さんは兄ちゃんと聡ちゃんが脱退するのを止めたんだろう。
もちろん羽田さんが集客のことばかりを考えてふたりを引き留めたわけではないことは僕も兄ちゃんたちもわかっているつもりだ。
そのチケットが七割ほど売れてきてライブの開催がいよいよ現実味を帯びてきた頃、羽田さんから声がかかってミーティングが開かれることになった。
最近はメッセージアプリのグループ通話とかチャットとかで済ませてしまうことが多い中、今回は対面でのミーティングをしようと言われたらしい。
内容は、兄ちゃんと聡ちゃんのことを話すけどいいか? と、ふたりは羽田さんに確認され、承諾したと言う。
『じゃ、行ってくる』
ミーティングが行われる午後、メッセージアプリに兄ちゃんから一言メッセージが届いていた。
聡ちゃんはスタンプで、『いってきまーす』と手を振っている犬のスタンプを送ってきていたけれど、僕はそれに『がんばれー!』とメガホンを持って叫んでいるウサギのスタンプで返すに留める。
その日僕は仕事でミーティングには顔を出せなくて仕事をしながら職場であるデザイン事務所でパソコンを前に一人そわそわしていた。
羽田さんは兄ちゃんと聡ちゃんが脱退する必要はないって言ってくれていたけれど、それを佐山さんと今井さんが納得してくれるのかわからない。
そもそも佐山さん達が兄ちゃんたちのことを受け止めて理解してくれるのかもわからない。
いきなり一から百まですべて理解してくれとは言えないけれど、お互いのような人たちがいるんだということを受け止めてくれなくては何も始まらないから、ミーティングがどうなるかが不安で仕方なかった。
「梶井くん、なんか今日そわそわしてるね?」
「え? あ、すんません……」
「なんかあるの?」
作業モニターを見ながらもそわそわと落ち着きがなかったのか上司から苦笑された。まるで合否発表を待つ親のようだね、みたいなことを言われて僕は複雑に笑うしかない。
合否発表……僕は、兄ちゃんと聡ちゃんがコシームにいて良いと合格判定されるのを待っていると言うのだろうか?
――いて良い合格判定、って? なんだその上から目線な感覚。いていいもなにも、兄ちゃんと聡ちゃんはごく当たり前にこの世界にいる人間で、男同士で好き合って愛し合うと言う仲の話なだけだ。
誰かが誰かを好きなだけで、それは特別おかしなことじゃない。それなのになんでこんな緊張しなきゃなんだろう。
コシームにいるのに必要なのは音楽が好きだと言う気持ちだ、って羽田さんも言っていたじゃないか。それ以上でも以下でもない。その条件であればふたりは充分満たしている。
だから心配はないはずだ――と、そこまで考え至ってようやく僕は大きく息を吐いて少し心を落ち着かせることができた。
深呼吸を一つして、僕は浮ついたまま取り掛かっていた仕事に打ち込み始めた。
結局その日は兄ちゃんからも聡ちゃんからも連絡はなかったし、コシームのメッセージアプリのグループにも動きはなかった。
話し合い、こじれちゃったのかな……そんなことが帰り道、何の知らせもないスマホの画面を見ながら過ぎり、僕は慌てて首を横に振る。
大丈夫だよ、きっと……ふたりにエールを送っているようで自分に言い聞かせるような言葉を胸の中で呟く。
こっちから連絡をするにしてもまだ話合いをしていたりしたら邪魔になってしまう気がして、メッセージすら送るのをためらってしまう。
家に帰ってからもひたすらに連絡を待っていたけれど、その日は誰からも何の連絡もないまま終わってしまった。
その晩、僕は短い夢を見た。
見慣れたスタジオの一角で車座になって話し合うコシームのメンバー。みんな背を向けていて、顔も表情も見えない。
僕がそこに声をかけようとしたら、ふらっと二人が立ち上がって、スタジオを出て姿を消してしまった。姿が消えたのは、佐山さんと今井さんだった気がする。
とにかく気づけばコシームは二人欠けてしまった状態になっていたのだ。
――なんで? と、僕が誰に聞くでもなく問うと、聡ちゃんが表情のわからない声で呟いた。
「……やっぱ、無理かもって言われちゃったよ」
そんな……と、僕が悲鳴のように呟くのと同時に残りのメンバーも立ち上がって、スタジオを出て行ってしまった。
その直後、スタジオは僕だけを残して真っ暗になる。
何も見えなくなった中で僕が辺りを見渡していると、どこからか兄ちゃんの声がした。
「ナツ、コシームは解散だ。デビューもナシだ」
全部俺らが悪いんだ――そんな声が聞こえて、やがて辺りはただの暗闇になっていく。
兄ちゃんも聡ちゃんもいない中僕はほんの小さな子どもになったように泣いていた。
そんなワケない。兄ちゃんが――僕のヒーローが悪いことしているわけがない。
ただ兄ちゃんは聡ちゃんが好きなだけ。聡ちゃんも同じで、男と女が好き合うように、男同士で愛し合っているだけ。それは音楽をしていく上では何も問題じゃないはずだ。
兄ちゃんも聡ちゃんも誰も傷つけていない。なのに、どうして――
悔しさと悲しさが入り混じって言葉が絡まって出てこない。苛立ちに頭をかきむしりながら、僕は打ち消すように叫ぶ。
「そんなことない! 兄ちゃんと聡ちゃんが悪いことなんて何もない!!」
自分の声の大きさに目を開けると、見慣れた時分の部屋の天井が見えて驚く。
……なんだ、夢か。ぼんやりとする意識のままゆっくりと身体を起こして辺りを見ると、部屋の中はぼんやりと夜明けの青い色に染まっているところだった。
ぼうっと見つめる部屋は時が止まったように静かで耳が痛いくらい。
なんか後味の悪い夢だったな……と思いながら枕元に放り出していたスマホを見ると、二件のメッセージが届いていた。いずれもコシームのグループからだ。
僕は寝ぼけていた意識を叩き起こし、スマホを手に取って画面をタップしてメッセージの詳細を読んだ。
『百人ライブやるぞ このメンツでこれからもやってく』
兄ちゃんからのそのメッセージと、聡ちゃんからはコシームのメンバー五人、画面の中にぎゅっと詰め込まれるように収まった写真が送られてきていた。
写真に写るメンバーはみんな笑顔で、兄ちゃんと佐山さん、聡ちゃんと今井さんが肩を組んで笑っている。羽田さんは自撮りするようにスマホを一番手前で構えているのかすごく顔が近い。
それ以上のことは何も書いていなかったし、写り込んでもいない。だけどこれ以上にないミーティングの成果報告であることに変わりはなかった。
昨夜見た夢が正夢にならなかったことと、両者が互いを認め合って受け入れたことが一目でわかって僕は大きく安堵の息を吐く。
あんな夢を見た直後だったから余計にいまが夢のように思えてならなかったけれど、頬を伝う雫が熱いから夢ではないのはたしかだった。
「――ああ、よかった……」
兄ちゃんの夢がやっと叶うんだ――長く険しい道と日々だった。
でも今からが夢のスタートラインなんだよな……そう思うと、もう本当に兄ちゃんは僕だけのヒーローとは言えなくなっている気がした。
この先どういう形でふたりの関係を公にしていくのかどうかはわからないけれど、兄ちゃんと聡ちゃんの関係とコシームの音楽を好きになってくれる誰かの気持ちに少しでもいい影響が出るようになったらと思う。兄ちゃんが僕のヒーローであり続けてくれたように。
明けていく新しい一日の光が部屋に射し込む中、僕は滲む視界をそのままに手許の画面を濡らしていくのをただ見つめていた。
こんなに嬉しい朝を迎えることができて、僕はしあわせな気持ちでいっぱいだったから。
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