*4 一ミリも嘘をつかなかったら余計に苦しくなってしまった話

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*4 一ミリも嘘をつかなかったら余計に苦しくなってしまった話

「お前が知ってること全部話せ。一ミリも嘘つくんじゃねーぞ」  まったく味のしない夕飯のあと、すぐに兄ちゃんから襟首つかまれるようにして兄ちゃんの部屋に連行された。扱いはまるで重犯罪者だ。  部屋に入って僕はベッドと机の間の板張りの床に正座させられて、兄ちゃんは机の椅子に座って腕組みしてこちらを見おろしている。  にらまれるように見おろされてさっきの言葉を宣告され、僕は縮こまりそうになりながら俯いていた。  ……あーあ、すっごいキレているよ兄ちゃん……こんなに怒っているの、ちょっと久しぶりかも…… 新鮮味すら覚えつつも気まずいことに変わりはないので、僕は溜め息も吐けずにいる。  黙っていても事態が良くなるとは思えず、僕は観念してぽつぽつと僕が知っていることを白状した。  プリオランドのチケットは同じクラスの橋本さんにもらったこと、それは兄ちゃんを来週の日曜日に橋本さんとのデートに誘うためであること、そしてこれは僕の推測だけれど、橋本さんは兄ちゃんが好きなんじゃないかってことを僕は正直に話した。  いままでも厄介な告白してきた女子がいたり、バレンタインに家にまで押しかけてきたりするような女子もいなくはなかったけれど、その時のように兄ちゃんは僕からの話を聞いて難しい顔をしている。  話を終えてからも兄ちゃんは難しい表情をしたまま腕を組んで俯いていた。  重たい気まずい沈黙が漂い、僕は居た堪れなくてつい、自分から口を開く。 「……ごめん、なさい」 「なにが?」  なにが。少し顔を上げてこちらを見る兄ちゃんが、相変わらず低い声のままでそう問い返してくる。  僕はそれに答えようとしたんだけれど、ピリピリとしている兄ちゃんの気迫があまりに怖くて口を半開きにしたまま言葉が出てこなかった。  昔から兄ちゃんはすごく口が達者だ。頭もいいし度胸もあるから、ちょっと嫌なことを言ってきたりする大人にもきちんと言い返すことができるぐらいだ。  だからいつもケンカでは僕が負けることがほとんどだ。兄ちゃんが絶対に正しいわけじゃないんだけれど、僕の貧弱な主張なんてすぐに翻したくなるくらいに口が達者で気が強い。  ヘタに言い訳しようものなら、たちまち十倍ぐらいになって返ってくるだろうことを考えると――僕はあっさりと白旗を振りたくなるんだ。 「僕が、橋本さんから……チケット、もらったりなんかしたから……」  僕がしっかり断っていれば兄ちゃんにこんな顔されずに済んだかもしれないのに……そう思いながら呟いたんだけれど、兄ちゃんは呆れたように溜め息をつくばかりだ。  僕が顔をあげると、兄ちゃんは眉間にしわを寄せて何か考えているように見える。  どうしたんだろう……僕が首を傾げていると、兄ちゃんはもう一度溜め息をついてこう言った。 「……その橋本ってやつ、なんて言ってんだ?」 「え、っと……来週の日曜日の十時に、駅前の噴水のとこで待ってる、って」 「……そっか」 「……兄ちゃん?」  僕からの話を聞き終えてからずっと難しい顔をしている兄ちゃんは、少し、何かを気にするようなそぶりをしてやっぱり何か考えている。  時々首の後ろとかをポリポリ掻きながら兄ちゃんはしばらく考えていて、そして何かを決めたかのように、「……よし、」と呟いた。  やっぱり、きっちり断れっていうのかな? と、思っていたら、全く違った言葉が返ってきた。 「わかった、行くよ、そのプリオランド」 「え? 行くの?! なんで?」  いままでどんな女子が兄ちゃんに声をかけてきてもきっぱり断っていたのに、なんで橋本さんの誘いは受けたりする気になったんだろうか。 (……もしかして、兄ちゃん聡ちゃんが好きなんじゃなくて、本当は橋本さんが好きなのかな? 聡ちゃんが好きなのかもっていうのは、僕の勘違い? でも……)  間違いなく聡ちゃんといる時の兄ちゃんは誰といる時よりも嬉しそうに笑っているし、一緒にバンドを始めた最近なんて特に毎日ニコニコしている。だからてっきり、兄ちゃんは聡ちゃんが……って思っていたて――だから僕は、ときどき無性に聡ちゃんになれたらいいのになって思ってしまったりすることもあるぐらいなのに――  とは言え、きちっと僕は兄ちゃんが聡ちゃんを好きだって聞いたわけじゃないし、ただそばにいるだけで仲が良すぎるだけなのかもしれない。僕の勘違いの可能性は全くのゼロじゃない。  それはわかっているけれど……なんか納得がいかないのも事実だ。そもそも僕自身がそれを喜びたくない気持ちもある。なんとなく、兄ちゃんは嘘をついているというか、無理をして行くと言っているような気もして。  兄ちゃんと聡ちゃんがずっと一緒にいたように、僕だって兄ちゃんのそばにいたんだ。兄ちゃんのことを誰よりも知っている自負はあるつもりだから。  だから僕は、「え、いいの?」と、思わず言うと、兄ちゃんはあんなに難しい顔をしていたのに、ふわりと困った顔をして苦笑してこう言った。 「お前のクラスメイトなんだろ? 誘われたの断ったりしたらお前が立場悪くなるんじゃねえの?」  たしかに橋本さんは僕と同じクラスだし、こう言ったらなんだけれど、彼女をいいなぁ、とか、好きだなぁ、とか思っている奴はかなりいる。休み時間とかに隙あらば他のクラスからでも話しかけに行くようなやつもいるくらいだ。  そういう、スクールカーストのトップもトップな彼女の誘いを、(誘われたのは兄ちゃんだけれど)陰キャな僕が断ったなんてなったら、彼女がどう思うかよりも、周りがどう言うのかもたしかに気になりはする。  学校という小さな箱庭の社会は、窮屈でヘンな暗黙のルールがいっぱいある。  兄ちゃんは割とそういうのを気にせず堂々と生きているタイプのようなのに、やっぱり気にしたりするんだなって思うのと、それが僕のためなのかとも思うと、とても申し訳なかった。  そして同じくらい、僕のことを思いやってくれたのが嬉しかった。やっぱり兄ちゃんは僕をピンチから救ってくれるヒーローなんだ。  だけど僕だっていつまでも兄ちゃんのヒーローぶりにおんぶに抱っこな小さな子どもじゃない。自分で何とかしなきゃいけない。  でもその反面、「そんなのいいよ! 気にしないで断っちゃいなよ!」 ――そう、自分の身の安全ばかり考えて、言いきれない自分もいる。  しかもさっき兄ちゃんは実は橋本さんが好きなのかも? なんてことまで思ったりしていたんだから。考えが浅いにもほどがあるだろう。  自分が情けなさすぎて何も言えなくなっている僕に、兄ちゃんは小さく溜め息をつく。それは困って苦笑して出たというよりも、呆れているように聞こえた。 「テキトーに遊んで、なんとかしてくるから、お前は気にするな」 「兄ちゃん……」  たった二歳しか変わらないはずなのに、なんで兄ちゃんはこんなにしっかりしていてヒーローなんだろう。同じ親から生まれたはずなのに、なんで僕はこんなにヘタレなんだろう。  小さい頃から僕が困ってピンチの時、文句を言いつつもこうして必ず助けてくれるのがヒーローである兄ちゃんだった。だから僕はいつも兄ちゃんの後ろをついて回っていたんだ。ついていればそれだけで安心で誰よりも大好きだから。  そんな兄ちゃんの無意識のやさしさにまだ甘えてしまう小さな子どものような自分が恥ずかしい。  だけど今回は兄ちゃんに頼らないとどうにもならない気がしたから、甘えさせてもらうことにした。 「……ごめん、兄ちゃん」 「あー、まあな……つーかさ」 「うん?」  丸く収まりつつある事態にホッとしつつも自分の情けなさで泣きそうになっている僕に、兄ちゃんはまたスッと表情を硬くして低い声でこう告げてきた。 「――聡太には言うなよ、絶対に、だ」 「わ、わかった……」  理由も有無も言わせない声色に僕はうなずくしかなく、ただ首をこくこくと縦に振ってうなずくばかりだ。  その時ふと、僕が小学校に入ってすぐの時、自転車で川まで遊びに行って僕が聡ちゃんの悪ふざけで足を滑らせて落っこちたことがあったのを思い出した。  あの時とっさに兄ちゃんが助けてくれたんだけれど、僕は全身ずぶ濡れで帰ってから母さんにめちゃくちゃ怒られたのだ。なんで落ちたんだ、って。  でも兄ちゃんは、絶対に聡ちゃんのせいだとは言わなかったし、怒られたことを聡ちゃんにも言わなかった。 「夏樹、絶対に母さんから叱られたこと、聡太に言うなよ」 「え、う、うん……」  なんで、と訊きたかったけれど、聡ちゃんへの口止めをしてくる兄ちゃんの顔は幼いながらに凄味があって、それ以上何も言えなかった。  聡ちゃんには絶対に言うな――それは、兄ちゃんが聡ちゃんを無駄に傷つけたりしたくないってことなのかな……それってつまり、兄ちゃんはあの頃から聡ちゃんを……  そこまでを思い出して、僕はさっきまで自分のためを思って身体を張ってくれる兄ちゃんの想いに感激していた嬉しさが萎んで現実を突きつけられる。何だ、やっぱり兄ちゃんは聡ちゃんファーストなんだな、って。やっぱり兄ちゃんは僕だけのヒーローではないんだな、と思い知らされる。  でも、だからってそこをツッコんで問いただすわけにはいかないから、うなずくしかないんだ。  僕がうなずいたのを見て兄ちゃんはニッといたずらっぽく笑い、「じゃ、サイダーとポテチ買って来いよ」と言い出した。  いまは夜の八時半過ぎで別に家を出ちゃいけないわけではないけれど、僕は日頃こんな遅くに外に出ないので戸惑いを隠せない。 「いまから?」 「いまから」 「ええー……」 「んだよ、プリオランド行ってやんねーぞ」  折角事態がなんとか丸く収まろうとしているのに、それはとても困る。  仕方ないので僕は自分の部屋に行って財布を持ってすぐ近所のコンビニに向かう。  外は夏の始まりの蒸し暑い夜が広がっていて、むせ返りそうな空気に呑み込まれるように僕はコンビニ目指して走る。淡いあわいサイダーのようなどうしようもない恋心を抱えたまま、ありがとうと共に本当に伝えたい気持ちと混ぜこぜにして。  夏の始まりの夜の空気は、素直に兄ちゃんのやさしさを喜べない僕の後ろめたさに付け入るように張り付いてきた。
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