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*5 ショッピングモールにて最悪の展開をする日曜の午後
「ナツー、メルカートル行かねー?」
兄ちゃんが橋本さんとの遊園地デートに出かけた日曜日の昼過ぎ、聡ちゃんがウチに来た。
夏休み前、特に部活もしていない僕と、先月の地区予選で初戦敗退して早々に現役引退をした聡ちゃん(弱小のバスケ部だった)は暇を持て余していたので駅近くのショッピングモール・メルカートルに行くことにした。
「あれ? 梶井は?」
「あ、えーっと……出かけてる」
「ふーん……ま、いいや。行こうぜ」
メルカートルまでは自転車で十五分くらいのところで、地元の中高生は大体そこのゲーセンか本屋かフードコートにたむろしている。
休日とあって店内は案の定人でいっぱいで、エアコンをどんなに強力にしても効き目がないみたいに思えたほどだ。
あまりのひとの多さに、僕と聡ちゃんはフードコートでポテトを摘まみつつジュースを飲んで、人いきれするモール内をぼんやり眺めるばかりだ。
「聡ちゃんってもう部活引退したの?」
「おお、期末前に終わったぜ俺の青春は」
「早ッ。じゃあさ、もう受験まっしぐら?」
「うぉーい、ヤなこと言うなよぉ。俺は全然青春を謳歌しきれてないんだからさぁ」
「っはは。だってウチのバスケ部弱くて有名じゃん」
「だからさ、レギュラー入りは楽勝だろとか思ってたのに先輩優先とかでさぁ、ずっと控えで、結局俺最後の試合しか出してもらえなかった」
「えー、なにそれぇ。それじゃあ青春できないねぇ」
「だろぉ? だから俺はこれからはバンドに生きるんだよ」
これから受験が本格化するのに? と言いたかったけれど、またイヤなこと言うなって言われそうだから、黙ってサイダーを啜っていた。
聡ちゃんのこういうあっけらかんとしたところって、兄ちゃんとは違った爽快さがあって、そういうところが兄ちゃんは惹かれているのかなって思ったりする。カラッとしていて小さなことなんてくよくよしない感じが。
受験かぁ……僕にはまだ全然ぴんと来ないけれど、兄ちゃんと聡ちゃんはそろそろ本格的に志望校とやらを決めないといけないらしい。
「なあ、あいつ高校どこにするとか言ってる?」
「兄ちゃん? えーっとねぇ、武相台とか言ってたかなぁ」
「マジかぁ……そっかぁ……」
「聡ちゃんは武相台にしないの?」
「……ナツ、お前それは嫌味か?」
「え、そういうつもりは……」
兄ちゃんは地元でも真ん中よりちょっと上のレベルだと言われている、公立の武相台高校というところを目指そうか、なんてこの前の夕飯の時に父さんと母さんと話していたのを聞いた。
野球部が忙しいから夏休みとか冬休みぐらいしか塾に通っていないのに、兄ちゃんはもともと頭がいいからそれくらいのレベルはあるんだろう。
武相台にしようかなぁ、と言いつつも、兄ちゃんはちょっと浮かない顔をしているのを僕は知っている。やっぱり、聡ちゃんと同じ高校に行けたらと思っているかもしれないから。
テストのたびに兄ちゃんに泣きついてくるぐらい勉強が苦手な聡ちゃんだから、僕でさえも彼が兄ちゃんほどのレベルの高校を目指せる可能性があまりないことは察せられる。
いつだったか、僕がまだ小学生で兄ちゃんたちが中学に入ったばかりの頃も、成績の話で親たちが話しているのを聞きかじったことがある。
大方、聡ちゃんのお母さんが、「聡太も賢吾君と一緒のところは入れたらいいんだけどねぇ」なんて言っていて、それを僕が聞いたんだろう。
だから、「兄ちゃんと聡ちゃん、別々の学校行くの? なんで? 仲いいからいいじゃん」なんて言ったんだけど、「高校はね、お友達同士だから同じ学校に行ける、じゃないんだよ」って、母さんと聡ちゃんのお母さんに苦笑された。
兄ちゃんと聡ちゃんが一緒にいられないという現実が存在し得るなんて想像したこともなかった僕は、そんなの兄ちゃんが可哀想じゃん、と、ひどくその話にショックを受けたのを憶えている。
「聡ちゃん、いまから頑張れば兄ちゃんと同じとこ行けるんじゃない?」
兄ちゃんと同じ高校に行けない可能性の方が濃厚になっていているいまの聡ちゃんに僕が言えそうなのは、そんなありふれた励ましにもならない言葉ばかり。
励ましと言っても聡ちゃんがいないと兄ちゃんがひとりぼっちで可哀想に思えてしまうだけで、本当の意味でのそれではないから、僕はちゃんと言葉をかけてあげられない。
聡ちゃんは咥えていたポテトを咀嚼しながら口に吸い込んで、「……いいよなぁ、受験のプレッシャーのない一年坊主は」と、苦笑した。
「いーんだよ、俺は武相台目指すより、いま、青春する方を選ぶんだから」
「青春するって、バンド?」
僕がちょっと呆れ気味に言うと、聡ちゃんは、「おうよ」と笑ってうなずく。その人懐っこい屈託のない笑顔を見てしまうと、「そんなことしてたら兄ちゃんと一緒にいられなくなるよ?」って思わず言いそうになるのをグッと堪えるしかない。余計なお世話でしかないからだ。
余計なお世話だけれどふたりが揃っていない光景しか想像ができなくて寂しいのも本音だし、それは兄ちゃんがしあわせじゃないだろうから。
兄ちゃんが恋焦がれているであろう聡ちゃんがそばにいなくなってしまったら兄ちゃんが寂しいだろうけれど……じゃあ、聡ちゃんはどうなんだろう。寂しくないのかな。
もっとそばにいられるように頑張ればいいのに……自分が僕よりも少なくとも可能性があるのに気付いていないから、こんなに呑気なのかなって軽くイラッとしてしまう。そんなこと聡ちゃんには関係ないのに。
「受験が本格化する前に一回ライブやってみたいんだけどなー」
「やれないの?」
「梶井とか他のメンバーと時間合わなくてさぁ、なかなか練習ができないんだよ」
「ああ、野球部は市大会行ったもんね」
「そーなんだよなぁ。さっさと負けて引退すりゃいいのに……って、噂をすれば」
「え?」
聡ちゃんがなかなか部活を引退しない兄ちゃんの愚痴を言っているのを苦笑しながら聞いていたら、不意に聡ちゃんが僕の背後の向こう側を見て腰を浮かせた。
誰か知り合いでもいたんだろうか? と、僕もつられるように振り返ると、聡ちゃんが見ているであろう視線の先に見覚えのある黒のボディーバッグ、今朝ちょっと念入りにセットしていたツンツン頭、陽によく焼けた肌に黒縁のメガネのよく知る顔いた。
あれ? 兄ちゃんは橋本さんとプリオランドにいるはずじゃ……? そう僕が思うのと、聡ちゃんが兄ちゃんを呼ぶのが殆ど同時だった。
もうデートは終わってモール内の楽器屋さんにでも見に来たのかと僕は思ったし、たぶん聡ちゃんも用事が済んでここにいると思っていたんだと思う。
僕らに気づいて兄ちゃんがこっちに寄ってきて、三人でモール内をぶらぶらすることになるんだろうと思ってもいた。次の瞬間までは。
「おーい、梶……」
聡ちゃんが良く通る声を張り上げて兄ちゃんを呼ぼうと口を開きかけて、固まってしまった。僕も聡ちゃんとタイミングを同じくして兄ちゃんの姿を見て驚きを隠せなかった。
僕らの視線の先には――兄ちゃんと、仲良さげに並んで歩く私服のワンピース姿の橋本さんの姿があったからだ。
二人は何か話しながらゆっくり歩いていて角度的に手を繋いでいるかどうかは見えなかったけれど、楽しげにしているのは遠目からもわかる。見ようによっては付き合っている二人に見えなくもない。
「……え?」
高く掲げていた聡ちゃんの腕がゆるゆると下ろされて力なく垂らされる。それはまるで途切れた糸のように頼りなく所在ない。
僕は血の気が引いていく思いがした。だってまさか兄ちゃんたちの姿を聡ちゃんが目撃することになるなんて夢にも思っていなかったから。
「……どういうことだよ」
何か声をかけなくてはと名前を口にするよりも早く、感情が読めないのっぺらぼうな声で聡ちゃんが呟く。
聡ちゃんの顔はいままで見たこともないほど真っ青で、唇が微かに震えて目は今にも泣き出しそうだ。
当たり前だ。だって、好きだと思っている(であろう)相手が、きっと向こうもそうだと思っている相手が、女の子と楽し気に歩いているんだから。僕だって正直似たような気分ではあったからよくわかる。
でも、聡ちゃんにはそんな生やさしい同情だけでは収まりそうにない感情が渦巻き始めいているのに僕はすぐに気付いた。
ヤバい、これはマジでヤバい……と、僕が何か言い訳をしなくてはと頭をフル回転していたそのさなかに聡ちゃんは座っていた椅子を蹴倒し、手にしていたサイダー入りのカップを放り出す勢いで立ち上がって歩き出す。サイダーが、床に散っていく。
向かう先は仲睦まじく目に映る二人の許だとすぐにわかった。
「そ、聡ちゃん、待っ……」
「おい! 賢吾! 何やってんだよ!」
賢吾、と、いつもにない名前を口にしてしまうほどに聡ちゃんは激高していたんだと思う。それぐらいに兄ちゃんと橋本さんの姿は衝撃だったんだろう。
一方で、聡ちゃんの声を聞いてこちらを振り返った兄ちゃんの顔もまた蒼ざめていく。まさか会うとは思っていない、絶対に今日のことは知られたくなかった人物が自分の名前を呼んで迫ってくるんだから。
「聡、太……?」
「女連れってどういうことだよ?!」
いきなり怒鳴りつけられて呼び止められ、橋本さんはかなり怯えて兄ちゃんの腕にしがみつくようにしていて、それが一層聡ちゃんの逆鱗に触れたのかものすごい形相で兄ちゃんをにらみつける。
聡ちゃんのデカい声のせいで周りから注目されてしまってちょっとした騒動みたいにもなっていて最悪の展開だ。
野次馬が軽く集まりだして聞こえるような声でひそひそと笑う声がする。
ヒーローである兄ちゃんと、その想い人である聡ちゃんが公衆の面前に晒しだされて嗤われている。それは僕にはすごく耐えがたいことだ。
でも僕にはどうやったらこの場が治まるのか全く分からなくて、泣き出したい気分でいまにも兄ちゃんに飛び掛かりそうな聡ちゃんのTシャツの裾を掴むしかできなかった。
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