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数日後。私は早速、あの不動産屋へと足を運んだ。
連絡はしなかった。逃げられると思ったのと、カマをかけるには面と向かった方が一挙手一投足分かりやすいと思ったからだ。
店の前で深呼吸し、店内に足を踏み入れる。
いらっしゃいませと愛想の良い挨拶と共に、パソコンの前から立ち上がったのは若い女性だった。
「あの、菊池さんはいらっしゃいますか?」
私の問いかけに、女性の顔色が瞬時に変わった。少々お待ちくだいという言葉と共に、店の奥へと吸い込まれていく。しばらくすると、眼鏡をかけた中年の男性が現れた。明らかに客に向けるような視線ではなく、不服そうな表情だった。
「菊池に何かご用でしょうか?」
「以前、物件を紹介して頂きまして、そのことについてお聞きしたいことが――」
「菊池なら、もう何ヶ月も前に辞めましたよ。物件についてでしたら、私の方で――」
「辞めたんですか? どうして?」
私は食い気味に聞いた。まさか、そんなに早く姿を消すとは、想像だにしていなかった。
「さぁ……突然だったので、分かりません」
「連絡先とか、ご存じないですか?」
ここまで来て、引くに引けなくなった私は駄目元で尋ねる。
案の定、眉間に皺が寄り、「それは致しかねますね。プライバシーに関わりますので」と一蹴される。
「なにか個人的な事でもありますか?」
「……いえ、別に」
さすがに十年前に捨てられた彼女の幽霊がいて、などとは言えるはずもない。
今ですら不審者であるのに、さらに頭の可笑しい女としてグレードアップするのは、さすがの私も避けたかった。
私は渋々店を出ることにした。
ものの五分。なんの収穫もないまま、私は家路に着く。
思わず重たい溜息が出ていた。彼女とはあの日から、ルームシェアする友達みたいに良い関係を築いていたから尚更だ。痛い恋愛をした仲間同士、元彼に対する罵詈雑言のお披露目会は楽しくて、陰鬱とした日々に明るい兆しが見え始めていたのというのに。
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