本は全て解禁でした

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本は全て解禁でした

 いつもエッセイ、日記をお読みいただきましてありがとうございます。  メリーでございます。  さて、私は息子二人に「おたく」と言われるほどの本好きです。  デジタル本が出る前には常時5000冊程度の蔵書が大きな本棚に奥と表の二段になり、上の隙間にも重ね、引っ越しの度に本の数が多くて、引っ越し屋さんに嫌な顔をされていました。  再婚する夫と最初の住居に移る時に、思い切って大分処分しましたが、紙で読みたい本は残しているのと、小説などはデジタルで出さない作者さんもいらっしゃるので、今でも漫画、小説合わせて500冊程度はあると思います。  こんな私の出来上がるまで。  それは小さい頃から、家にある本はどれでも読んで良いと父からの許可が下りていたからでした。  父は時代物の小説や、経済関連の小説が好きでしたが、その頃の大人にしては珍しく、漫画も読む人でした。  我が家には毎週、週刊サンデーと週刊マガジンが届いていました。  他にもHな週刊誌も届いていましたが、それはさすがに子供の目の届かない所にあったらしく、小学校の高学年になるまでは読めませんでした。  小さな田舎の町に育った私の家は、町の中では少し大きな洋品店を経営していて、商工会もありました。  父はアイデアマンでもあり、上昇志向の高い人でした。  田舎の小さな町に、三波春夫や都はるみを呼んでショーを開いたりもしていました。  これは私や姉がまだ幼稚園と小学校低学年の頃で、その頃は町も羽振りが良かったようです。  祖母も父の母親らしく上昇志向の高い人だったし、何よりも目立ちたがり屋でしたので、私と姉はショーの時に花束をあげる役を仰せつかり、二人で着物を着せられて壇上に上がっていました。  そんな感じの親や祖母でしたので、その時代では信用のある人にはできるいわゆる「つけ」で町内の店の品物を持ち帰り、月末に集金に来たときに母がお店のお金から支払っていました。    御小遣いをもらえる年齢になると、私と姉は大抵、月刊誌を買って、お小遣いが終ってしまいます。姉は「りぼん」私は「マーガレット」を買っていました。  その他に小学●年生。という本は母が買い与えてくれました。    高学年になる頃には、町内の一件だけある書店だったら、どうしてもお小遣いが足りなければ、本に限っては「つけ」で買ってきて良いと子供にも許可が下りました。  結構厳しく育てられた姉も私も、めったなことではそんなことはしませんでしたが、月刊誌を買った後に、続きで購入している漫画の単行本んが出たりすると「つけておいてください。」と、書店の厳しく怖いオジサンに勇気を出して言い、家に帰るときちんと「この本はつけてもらってきた。」と母に報告をしていました。  何せ田舎の事なので、見付けたときに買わないと、一度売れてしまうと入荷がないのです。  漫画の単行本を買うきっかけになったのはわたなべまさこ著の「蝶はそこには住めない」という漫画の単行本で、アウシュビッツのお話が主題のお話でした。  戦争の恐ろしさ、哀しさ、どうしようもなさが伝わってきて、読むたびに涙していました。  その後ろにシャム双生児の子供を産んだ母親のお話も載っていて、私にとって、初めて、漫画で歴史や本物の医療分野のお話を呼んだ本でした。  この本は漫画からも私の苦手な歴史的な出来事なども教えてもらえるんだ。と感じた一冊で、忘れることのできない物でした。    日本の漫画、アニメの質の高さはこうした昔の漫画家から、受け継がれているのだなぁ。と今も感じます。  姉と私は商売で忙しい母親から、小さい頃にはディズニーのレコードと本が一体化されたものを与えられ、暗記してしまう程繰り返しレコードをかけ、絵本をめくりました。絵本の方にもレコードの抜粋のセリフなどが書いてあります。  それは101匹わんちゃんのおはなしでレコードをかけて、その語り部にそって、絵本をめくっていくというものでした。  日本にはない綺麗な絵。ワクワクするお話。何度聞いても楽しかったのを覚えています。  この頃は余りに小さくて、ディズニーが何かも分からなかったし、外国のお話というのは、レコードの出だしが低い男の人の声で「ここは、ロンドンのとある町」だったので、日本のお話ではない事は分かりましたけれどあまり意識せずに楽しみました。  小学校に入ってからは、私の漫画熱は少し冷め、月刊誌と決まった単行本を読むにとどまり、学校の図書館にある本に夢中になりました。  私の祖父は私が3歳になる前に亡くなってしまったのですが、陸軍の軍人で、祖母は満州で長男である私の父と、叔父の二人を産み、姉を除けば一人だけの父方の肉親の叔母がお腹にいる時に、日本に引き揚げて来たそうです。  そんな祖母の話をたくさん聞いていたので、日本が敗戦した戦争にも興味があり、戦争の本も沢山読みました。でも、運命の一冊と決めるにはどのお話もあまりにも悲しくて、理解はするのですが、子供の頃の私はできるだけ心から追い出しながら読みました。  特に3月10日の東京大空襲の話や原爆のお話は読んでいても耐えられない程の苦しみをもたらしました。    私の育った長野県には信濃教育界監修の信濃文庫という子供が読み易い薄い冊子があり、私はまだ低学年の手にもすっぽり収まるその本がお気に入りでした。  これは多分姉が定期購読して買ってもらっていた本を、姉はあまり読まなかったので私が借りて読んでいたのだと思います。  中でも「月のわぐま」に入っているお話はとても面白く、田舎でも街中に住んでいた私には、山の中の生活などそれまでは興味がなかったのに、一気に引き込まれました。  でも、運命の一冊と言われると、やはり母が買ってくれた世界名作全集。  そこには、「青い鳥」「秘密の花園」「ガルガンチュア物語」「巌窟王」「ヘンゼルとグレーテル」「若草物語」等、外国の子供向けのお話が夢の様に詰まっていて、私の世界を広げてくれました。  学校の図書館の本で読んだお話と微妙に違っている物もあって、これはあまり物事を深く追求しない私なので、訳者によってニュアンスの違いがあるのだと気付いたのは大人になってからでした。  私は世界名作全集の訳者とよほど息があったのか、こちらで読む方が同じお話でもすんなり私の中に入ってきてくれたのです。  小さい頃から、良質な本に触れさせてくれ、その頃、子供が禁止されている事の多かった漫画の本も自由に読ませてくれた今は亡き両親には、感謝しています。    よくよく考えれば、読み聞かせができなくても、幼児二人で楽しめるレコードと一体化した絵本が、きっと私の本当の運命の一冊なのかもしれません。  母はきっと本当は自分で読み聞かせをしたかったのだと思います。  私はその分、自分の息子二人にはできる限りの読み聞かせをしました。  子供が小さい頃は私が選んだ本。  小学校になると図書館から借りてくる子供の好きな本。怪傑ゾロリシリーズばっかりでしたね。  最後はお兄ちゃんはもう小学校6年生になる頃まで、夜の読み聞かせは続きました。  最後の方で読み聞かせていたのは、ハリーポッター。  勿論、自分たちでも読めるんですけれど、読み聞かせてもらうというのは違う魅力があるのだと、子供の小学校のPTAの時に、大人向けの読み聞かせを聞く機会があって知っていたので、子供が大きくなっても続けていました。  さすがにハリーポッターは長いので、1単元を全部読むことは不可能で、何処で区切るかで子供と揉めたのは今はよい思い出です。  その後、新居に引っ越したのを機に、なしくずしに読み聞かせの時期は終わってしまいました。  その後、すぐに私は離婚して家を出てしまったので声を出して本を読むこともなくなりました。  本は私の人生の中でずっと友達でいてくれるのです。音楽もずっと一緒ですけれど、音楽を奏でられない程元気が出ない時には何冊かあるお気に入りの本を読んで時を過ごします。漫画の時も、小説の時もあります。  私の中であまりその両者は区別がありません。  もう少し年を取ったら、リハビリで声を出して本を読んだりする時期が来るのかもしれません。  「運命の一冊」を選ぶにはあまりにもたくさんの本との出会いがあり、難しいですね。  最後に声を出して読む本が、私の運命の一冊になるのかもしれないですね。 【了】          
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