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手渡された物
自分の成績の悪さにむくれて、自分の要領の悪さにあきれて、教えてほしい事が沢山あるのに、母がいないのを憎んで。
私は自分のイライラをいつも腫れ物に触るように私と接する父に全部ぶつけて家を飛び出した。
外の天気なんて見もしなかった。
飛び出したから傘なんて持っていなかったのに、雨が降っていた。
近くのコンビニまで走って雨宿りをした。
昨日から急に寒くなってきていたのに、まだ半そでのままの私は濡れたTシャツの寒さに震えた。
10分ほどすると父が迎えに来た。
あぁ、しまった。ここのコンビニは父の知り合いがレジをしているんだった。
どうやら連絡したらしい。
父は私に無言で傘を渡すと、私を先に歩かせて家に向かった。
家に帰ると、
「とにかくシャワーを浴びて、着替えなさい。」
と、いつもははっきりしない父が妙にはっきりと私に言った。
シャワーを浴びて、リビングに行くと何か本を目の前に置いた父が
「座って。」
と促してくる。
「これ、お前がお腹の中にいたときに母さんが書いた日記だ。読みなさい。」
母は、私を産んだ代償にこの世を去っていた。
「え?」
「育児日記ってやつだ。」
部屋に母の日記を持ち帰り、例えいまこの世に居なくても人の日記を読んでよいのか逡巡した。
でも、父が読めと言ったのだから。
と、まだ人のせいにしながら日記を読み始めた。
『〇月〇日
かわいい私のぽんちゃん。今日からあなたのことはぽんちゃんって呼ぶわ。
今日私のお腹を蹴ったのよ。
元気ね。
お母さんはあんまり元気じゃないの。
あなたのせいじゃないのよ。元々心臓がポンコツなの。
でもね、思いもかけずあなたがお腹に来てくれたからお母さんは、ふふ。
お母さん。て何だか照れ臭いな。』
***********
『〇月〇日
ぽんちゃん。
あなたが大きくなるまでお母さん元気でいたいわ。
今はもう入院して、気を付けて生活しているのよ。
あなたと一緒にいろんなことしたい。
お母さんの心臓が持たなさそうだから明日帝王切開であなたを出すって。
小さく産んでしまってごめんね。
明日、会いましょうね。』
私の妊娠がわかってから出産の前日まででその日記は終わっていた。
私と一緒にあれもしたい。これもしたいってたくさん書いてあった。
私が今、聞きたい事、お料理とか、身体の事とかも一緒に話しがしたいって書いてあった。
お母さんは心臓が悪かったのに、私が出来ちゃったから死ぬつもりで私を産んだんだと思っていた。
でも、本当は生きて、私と色々な事をするのを楽しみにしていたんだ。
私は初めて見る、お母さんの字、文章の癖、お母さんの希望をこの日記から感じ取った。
いろいろしたくてもできなかったお母さん。
私を無事に産んで、一緒に生きようとしていたお母さん。
私は涙を拭きながらリビングにいるお父さんの元へ日記を返しに行った。
「それはお前が持っていていいよ。
父さんはお前も身体が弱いんじゃないかと思って、びくびくしながらお前を育てていたけど、お前は喧嘩する元気も、家を走って飛び出す元気もあるんだ。
お母さんは心臓は確かに悪かったけど、帝王切開だったら産めると、お医者さんも言っていたんだよ。
でも、手術中の麻酔と、思いもよらない出血があって、心臓が持たなかったんだ。
もうお前の身体の事は心配しないよ。運動してもうるさく言わない。
母さんがいなくて、いろいろ聞きたいことがあっても男の俺じゃきけないだろ。
お前が飛び出したってあちこち連絡してたら母さんの妹に怒られたよ。
女の子なんだから、気持ちを考えてあげてよ。って。
おばさんが何でも聞いてくれるってさ。」
母の妹は何かにつけ家に来ては、おかずを作ってくれたり、家を片付けてくれたりしていた。
私が大きくなってからはあまり来なかったけれど・・・・
「おばさん、しばらくこれなかったのは自分の子供を産んでいたからなんだ。今度連れて一緒に来るって。
それで、お前の話も色々聞いてくれるってさ。」
父はこれまで、私が一人っ子なので退屈しないように小さい頃から沢山の本を買い与えてくれていた。
私は沢山の本を友だちにして育ってきたのだ。
でも、実際に聞きたい事だってあると、ようやく理解してくれたようだった。
「お父さん。ありがとう。
これ、今まで読んだ本の中で最高の一冊だったよ。
大事にするね。」
父は下を向いて、ギュッと目をつむった。
私の前では泣きたくないんだろうな。と、思い
「これ、ありがとう。おやすみなさい。」
と、自分の部屋に向かった。
この最高の一冊は私の運命の一冊になる事だろう。
私はきっと、明日から、もう少し前を向いて生きていけそうな気がする。
生きたくても生きられなかったお母さんのためにも。
【了】
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