第二章 幻茶と賽子苺ぜんざい

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 石の鳥居をくぐると茅葺屋根の神様茶屋の真ん前だ。 「あれ?」  私が違和感に気づいて声を出すと、前を歩く伏拝さんが足を止めて振り返った。 「あの私……着物を着た覚えがないのですが」  私が今まで着ていたカットソーとデニムパンツはどこかへ消えて、知らないうちに桜色の紬を纏っている。自然味が溢れる淡い桜色の生地の紬が身体に添い、金色をあしらった帯がきちんと着つけられていた。着物にリュックを背負っているという不格好さだ。 「僕、柄は見えへんねんけど……発心門様と何か契約した?着物を着るとか」 「そういえば、契約の時、制服着用って言ってました」 「それやな。女の子を着せ替えすんのとか好きやから発心門様……」  私は袖の端を両手で持って眺め、不思議な現象に目を丸くしていた。また外に出たら洋服に戻るような仕組みか。説明しておいてもらいたかったが、女の子を着せ替えするのが好きと周知されている発心門様の日ごろの行いが少し気になった。 「嫌やったら、僕が発心門様に言うけど」 「いえ、可愛い紬で嬉しいです」  伏拝さんはじっと私を上から下まで眺める。 「……可愛いんか」  伏拝さんは独り言のように呟いて茶屋へ入って行った。伏拝さんに柄は見えないというが、塞いだ目でどういう視界があるのだろうか。私が入口前で考え込んでいると茶屋の中から伏拝さんに呼ばれた。 「由真、おいで」  茶屋に足を踏み入れ、伏拝さんに案内を受けた。三和土の百味箪笥の前を通り抜けた奥には鶯色の暖簾が垂れている。暖簾をくぐると、そこは調理場だった。 「由真、ここは好きに使ってええよ。僕はあんまり使わんから」 「もっと古いかと……思っていました」  新品かと思われる鍋やコンロ。銀色に光るステンレスのぴかぴかの作業台。茶屋内の古風さと違って、奥の調理場はとても今時だ。  棚には私が欲しいと要望を出した砂糖や小豆に上新粉、白玉粉が取り揃えられていた。銀色の大きな冷蔵庫の野菜室を開けてみると、昨日私が八咫烏に運ぶようお願いした苺とミキサーにかけたヨモギの葉がきちんと収納されていた。私が作りたい甘味を作る環境は完璧に整っている。 「調理場が欲しいって速玉之男命(はやたまおのみこと)にお願いして作り変えてもらってん」 「速玉之男命?八百万の神様ですか?」 「王子の僕らとは比べ物にならんくらい、ものすごい力の持ち主やで。この茶屋を作った空間使いや」  そういえば今まで会った方たちの能力ではこの神様茶屋という「幻空間」をつくる能力が見当たらない。速玉之男命(はやたまおのみこと)様が幻の空間を創造することができるとするならそれは、桜を操る能力と比べて別格だと言えるだろう。 「今度、由真を連れて本宮大社に……挨拶に行かなな」 「ぜひ、お願いいたします」   伏拝さんは頷きつつも猫背をさらに丸めて小さく息をつき、調理場を出て行こうとした。伏拝さんは水吞王子が苦手のようだったが、速玉之男命(はやたまおのみこと)様のことも心から歓迎という雰囲気ではない。  挨拶に行くのは気が進まないと猫背が物語っていた。伏拝さんはあまり社交的に見えないが、よく私の押しかけお手伝いを許してくれたものだ。私は一つ気になっていたことを伏拝さんの背中に問いかけた。 「あの伏拝さん、私ここに来たときに、前に来店した時の記憶が戻ったんですが。それも何か、空間の力なんですか?」  振り返った伏拝さんが薄い唇を開いた。 「茶屋には『決まり』があるんや。ここに来たお客は主人の僕を疑わずお茶を飲む。僕に話をする。これも決まりや。もし二回目に来店したら、前回来店した時の記憶が戻る。でも二回来る子はほとんどおらんよ。僕の知る限り、由真が初めてや」  伏拝さんはそれだけ言うと背を丸めて茶屋側に戻った。茶の用意をするのだろう。なるほど、茶屋に来て自然と伏拝さんにもてなされるように空間自体が強制力をもっているということか。しかし、二回来るのは、相当珍しいことらしい。私のように日記を細かにつけて、消えた記憶より記録を信じるような人間は稀なのだろう。  腑に落ちた私は作業台の上に置かれた伏拝さんの作務衣と同じ若草色のエプロンを紬の上からつける。エプロンと揃いで用意されていた襷をかけて袖をまくって準備完了だ。発心門様は制服の準備が良い。  私は朝からずっと連れ歩いたリュックから一冊のノートを取り出して、銀色の作業台の脇に広げた。茶色い無地表紙の素っ気ない安いノート。今日作る甘味の完成系を書いたレシピ日記だ。すでに工程はすっかり頭に入っているのだが、レシピ日記を一読してから作業を開始する。 「よし、まずはっと」  私は大きめの鍋にたっぷりの水と小豆を加えてコンロで煮始めた。沸騰したら蒸らして水をすて渋切りを行い、再び鍋で煮ながら細かに灰汁をとる。ことこと煮立つ良い音を聞きながら砂糖と塩を加え優しく溶かせば、甘い香りにくすぐられる善哉のできあがりだ。ここに焼いた四角餅を投入すれば関東風の善哉となるが、関西では白玉を入れるのが主流だ。  私は冷蔵庫から苺を取り出した。艶やな光沢を放つ唐紅の苺を一つ手で転がして水吞王子の言葉を思い出す。 『地元の食べ物はたくさん食べなさいね~!』 「はい、地元の苺『まいひめ』をたくさん使います」  ボールに白玉粉と潰したまいひめ苺を混ぜて練ると、淡い桜色の愛らしい苺白玉が出来あがる。続いて若草色のヨモギ白玉、純粋な白玉。花見団子を思わせる三種類の白玉を湯でた。  白玉を湯で終わったころに、伏拝さんが暖簾をくぐって調理場に顔を出した。 「八咫烏が来たで」
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