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学校から家までは、友達と追いかけっこしながら帰るとすぐに着く。走っていたせいで落とした黄色のキャップ帽を颯太は拾って、
「バイバイ」
玄関前で友達と別れた。ポケットの中の鍵を探す。
小学校に入学する少し前にここに越してきたって、お父さんとお母さんが言っていたから、この木造一戸建てに住んで5年。颯太はいつものように鍵を使って、玄関のドアを開ける。
「ただ──」
中に入らず、急いでドアを閉めた。
いつも見慣れた茶色いドアに、ホッとする。
なんだったんんだ、今のは……
さっき家に入ろうとドアを開けたのに、森の中に入ったみたいな景色が広がっていた。見間違い?
颯太は再度ドアを開ける。恐る恐る、慎重に。
見間違いじゃなかった。家の中のはずなのに、木々が覆い茂っている。人が一人通れるぐらいの細い道が真っ直ぐ伸びている。その道も塗装されていなくて、土の道。脇には木の根元を隠すみたいに、雑草が生えている。
三和土で、呆然と立ちすくむ颯太の後ろでドアが閉まる。
「冗談……」
言葉が漏れたとたん。
「ごめん。帰ってたんか」
って、声がして森の景色が消えた。いつもの狭い玄関ホールとリビングダイニングにつながる廊下が見えた。
「え、どういうこと?」
目をしばたいてる颯太に、
「いや、脅かすつもりはなかってん。颯太たちが毎日、『ただいま』って帰ってくるの見てたら、俺も帰りたくなって」
と、申し訳なさそうな声がした。
颯太は家に上がれないままキョロキョロ辺りをみまわした。声はどこからしているのだろう。僕らの帰ってくるのを毎日みてったって、誰?
「ああ」
今度はすごく落ち込んだ声がした。
「ごめん。ずっと話しかけるつもりはなかってん」
声の主が何処からか出てくるかも。
颯太は閉まってしまった玄関ドアの取っ手を握りしめた。
「心配はいらん。誰も出てこん。俺はこの家やねん」
は?
「信じられない気持ちはわかるけど、ほんまやねんからしょうがない」
呆れる颯太をそのままに、家は説明を続ける。
新築でこの一戸建てに建てられ5年。毎日颯太の家族を見ていた家は、自分も故郷に帰りたくなったのだと。それで、お父さんとお母さんが仕事に出ている間、颯太が学校に行っている間、故郷を思い出していたのだ、という。
説明を聞きながら、颯太は家に上がりリビングに向かった。お父さんとお母さんは、まだ帰っていない。
ランドセルを降ろして、いつもの定位置のソファに腰掛け、
「で、家さんの故郷って何処?」
聞きながら、ランドセルを開けタブレット端末を出す。
え、マジ? 俺の故郷を調べてくれるんか?
家は颯太の態度に驚きながら、記憶を遡る。
「うーん。実は船で運ばれてきて。確か──」
颯太は家の話をききながら、しばらく端末で調べていた。
やがて辺りがすっかり暮れたころ、端末に3Dの地図を出していた。
「あ、ここや。この辺や」
確かにこの地図の様子は、さっき颯太が帰って来た時に見た森の景色に似ている。
「わあ。探せたなあ。『ただいま』や」
探してもらっても、家の足元はこの土地にぎっちり固定されている。帰りたくても帰れない。けれど颯太が3Dの地図を出してくれたおかげで、記憶の中の景色ではなく自分の故郷が実在するのだと実感できたのだった。
家の「ただいま」に重なるように、玄関で「ただいま」と、声がした。お父さんとお母さんが帰ってきたのだ。リビングのドアが開く。
「あれ? 颯太、一人? 友達が遊びに来ているのかと思った」
「誰かと話してなかった?」
父と母はキョロキョロするけど、
「話してないよ。宿題してた」
と、颯太が答えている。家はそんな颯太の背に、小声で、
「ありがとな」
と、呟いた。自分の話を親身に聞いてくれて。帰ってからずっと故郷を調べてくれて。お陰で自分の出身も知れた。おまけに、お父さんとお母さんに自分のこと黙っていてくれて。ええ子や。颯太が優しい子だって知れた。俺は故郷に帰れないけれど、これからも毎日帰ってくる颯太たちの「ただいま」を見守っていこう。そう決心するのだった。
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