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2話:縁次えるる。
事件が起きたのは十月の中旬、残っていた暑さがようやく落ち着き、過ごしやすくなった秋のことだった。
僕とエルルちゃんは迫りくる注文を必死に捌き、一息つこうとテーブルで店長お手製のココアを飲んでいた。僕の皿には木の実のタルトが一つ、エルルちゃんの目の前には顔くらいの高さのパフェが置いてある。
かわいらしいエルルちゃんを見たいという客も少なくないため、売上貢献度が違うのもあるが、それにしてもエルルちゃんのまかないが豪華すぎる。
こういう僕も待遇差に文句が言えない。
残念ながら、僕もエルルちゃんに惚れてしまっているのだ。
「あ、ゆきいろくん。お客様がいらっしゃったよ」
エルルちゃんは軽快な駆け足でお客様のもとへ。
僕もそろそろ休憩は終わりかと、席を立った瞬間だった。
激しくも鈍い音が響く。
僕は顔を上げてその光景を見た。
黒いフェイスマスクを付けた男が刃物を振り回している。
エルルちゃんは暴力をふるわれて床に倒れ込んでしまったらしい。
店長は見開いて、慌てて携帯電話を取ろうとする。
フェイスマスクの男に見つかってしまう。
「おい、何しているんだ、お前!」
驚いた店長は咄嗟に手を引こうとするが、焦りのあまり足を滑らして前に倒れた。
立ち上がろうとするものの、ナイフを向けられると諦めて座り込む。
「ど、どうしよ。ゆきいろくん、腰が抜けた」
店長は心配そうな表情を僕に向けてくる。
いち高校生にはどうにもできない。
生き残る方法を考えるしかない。
エルルちゃんも店長も床に倒れてしまった。
僕がどうにかするしかない。
状況を確認しようと見渡す。
「てめえ、何をしようとしている? おい、この女のことがどうでもいいのかッ!」
刃物でエルルちゃんのワンピースを裂いた。
切り傷から血が滲んでいる。
「やめろよ」
「決定権があると思うなよ。この女と、金だ」
「はあ? 金ならいくらでもやる。だからエルルちゃんには手を出すんじゃない!」
店長が震えながら言うが、おそらく逆効果だ。
フェイスマスクの男たちは店長の弱々しい抵抗に笑ってしまっている。
店長が僕に『どうにかしてよ』と顎でエルルちゃんに刃を向ける男を指すが、同じく身動きが取れず刃物に脅される僕がどうにかできる問題ではない。
「くそ。どうして、エルルちゃんを攫う?」
「見てくれはいいが、その実態は人を騙し歩く悪女なんだよ。捕まえてぼこぼこにする。この悪魔が」
「何を言っているんだ? エルルちゃんは、『天使ちゃん』だ」
僕が叫ぶと、「うるせえ」と怒鳴られて、
「痛い」
……死ぬ。
銀色に光る刃先が僕を睨んでいる。
店長は一発殴られてうずくまってしまった。
「おい、エルル。金を出せ、できる限りな」
「罪は重くなりますよ。私が目当てなら、お金も触らないでください。私たちが汗水垂らして稼いだものです。店長にもゆきいろくんにも触らないでください。私だけでいいですよね?」
「お前、生意気になったな。付き合っていた頃とは大違いだ」
「見定めたから振ったんですよ。分かりますか?」
男の逆鱗に触れたらしい。
刃物で服を切り裂き、エルルちゃんの肌が露出する。
男はエルルちゃんを床に叩きつける。
エルルちゃんは悲鳴を殺して男を睨む。
「見てくれはいいよな、相変わらずよ」
男はエルルの胸を鷲掴みにする。
エルルちゃんは唇を噛んで耐えていた。
動けるのは僕だけだ。
「やめ、」
視界にエルルちゃんの表情が入る。
涙が溢れていた。
大好きな『天使ちゃん』が暴行されている。
助けを呼んでいるんだ。
「やめろおおおお!!」
僕はナイフで反撃されるのを考慮してタックルを決める。
一人は倒れて頭を打った。
あとは店長とエルルちゃんを捉えている男二人だ。
僕は先ほど倒した男のナイフを武器にしようとして屈む。
「あ、」
男は意識があった。
ナイフで僕の足首を突き刺す。
痛みのために足首を手で覆うようにすると、さらに足を切りつけられた。
動けない、痛い。
痛い、痛い、痛い、痛い、痛い。
痛い、痛い、痛い、痛い、痛い。
エルルちゃんの涙が遠くなっていく。
ここで助けられるのは僕だけだ。
でも。
限界みたいだ。
……。
……。ゴンッ。
バン。ドン。ゴッ。
「え?」
エルルちゃんが男たちを投げ飛ばしていた。
店長はかわいい少女が次々と男たちの意識を刈り取る様子を見て引いてしまっていた。
足がぶるぶると震えてしまっている。
エルルちゃんは頭を掻いた。
「私、ここまでするつもりなかったのに。振られて腹いせに暴行なんてひどいです。店長、終わりました。怖がらないでください」
エルルちゃんは店長をじっと見る。
店長は漏らしていた。
「ひいいっ」
「だから弱い女の子として生きていたんですよ。かわいくて弱い女の子の方が受け入れやすいと思ったので。はあ、また別のバイト先を探さないとですね」
エルルちゃんは店長に頭を下げて、椅子もテーブルも散らかった店内を抜けていく。
「じゃあ、」
今までありがとうございました、そう続けようとしたエルルちゃんに対して僕は。
「かっこいい」
きらきらした目を向けてしまった。
かわいくて惚れてしまった『天使ちゃん』は実は男どもを簡単にボコしてしまう最強少女と知ったことで、むしろより好きが加速してしまったのだ。
それから。
エルルちゃんのアルバイト先が変わっても時々二人きりで出掛けるようになり。
ついに。
カラオケデートをしたときに、気持ちを伝えたのだ。
「好きです。付き合ってください」
エルルちゃんは微笑む。
「いいですよ?」
こうして、僕の『天使ちゃん』は冴えない僕の恋人になった。
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