菫と、一杯のシャンパン

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 何日待っても嵐からの折り返しの電話はなかった。  朔郎さんへの返事も保留にしたままだ。朔郎さんは何も言わない。ただ私の選択を待っていてくれる。まったく、どこまでも優しいひとで、その優しさに甘えきっている自分に嫌気が差すのは今回がはじめてのことではない。  彼の優しさに寄りかかりすぎないように、甘えずに済むように、彼と同じくらい優しい人間になりたいと願ってきたのに、結局私はいつだって彼に甘えるばかりなのだ。  優しいひとは損だ。私みたいに身勝手な他人に寄りかかられるばかりで。  けれど今はその優しさに救われていた。もしも、急かされるままに胸の奥の引っ掛かりを見ないふりして返事をしたら、どんな選択をするとしても、一生後悔してしまいそうだった。  嵐は仕事が忙しいのだろうか。留守電に気づかなかったのだろうか。気づかないふりをしているのだろうか。  私が話をしたくなったから、嵐だって話をしたいはずだと当然のように考えていた。だって私たちはそうだったのだ。よく似ている私たちは、たまに、言葉にしなくても通じ合っていることがあった。  けれど、離れていた年月は振り返ってみるとあまりに長い。私は今の嵐がどんな顔をしているのか、どんな風に喋るのか、笑うのか、なにも知らない。  幼い頃からよく似ていて、寄り添いながら成長した、かけがえのない半身のように感じていた存在は、いつしか、目をこらしても見えない真昼の月のように遠い。  このまま嵐からの連絡が来ないのではないか、もう一度かけてみようか、でも次こそ無視ではなく明確に拒絶されたらどうしよう、そうやってぐるぐるとまとまらない思考をあちらこちらへ巡らせながら、退勤した金曜日の夜。  鞄の内部でスマートフォンが振動するのを感じた。急いで取り出せば、画面に表示されている電話の主は、南。  待ち望んだ相手でないことに少々落胆したけれど、同時に背筋がひやりとした。    現在進行形で南と嵐の付き合いは続いている。同棲話が出るほど親密に、順調に。  女たらしの色狂いだった昔の嵐ならともかく、今は南だけに誠実らしい嵐である。いくら私と嵐が幼馴染だからって、私と南が友人だからって、恋人である南をさしおいて勝手に彼に連絡をとるなんて、不義理な行いではなかったか。今更思い至っても遅い。
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